花見だんご
李人氏(葦部李人)・・・御曹司。桜は見上げるもの。
私(桂藤さん)・・・・・運転手。桜は舞い散る花びらを見るもの。
娘・・・・・・・・・・・桂藤家長女。写真の撮り過ぎに厳しい。
桜の木・・・・・・・・・死体が埋まっている。
桜の咲き具合も日本全国で様々だろうが、読者の皆様はもうお花見は済まされただろうか。
そう、お花見だ。
もはや全国規模で「花より団子」と言わんとばかりに大騒ぎする春の風物詩。
何が楽しいのかと言う方ももちろんいらっしゃるだろう。私も長いこと社会人をやってきた端くれであるから、あの喧噪が苦手だという人がいるのも理解はしているつもりだ。
それを承知であえて言わせて頂くとするなら、騒がしいというだけで花見自体を敬遠するのは、実にもったいない。
あらかじめ言っておくと、この発言にハラスメントの意図はないので労基署への通報は勘弁していただきたい。賢明なる読者の皆様におかれましてはそのような心配など不要だとは思うが……まさかしがない小説のしがない登場人物にハラスメントされたなんて言うわけにもいかないだろう。しめしめ。
さて。何もまったく知らないグループに「混ぜてくれ!」と飛び込んで行けというパーティーピーポー的発想を推奨するものではない。私には絶対できないし。やれと言ったら間違いなくハラスメントだし。別にお一人様でも構わないから、近場にぶらっと出かけて桜を眺めてみてはいかがだろうか、という話だ。「いま」を逃せば、明日には春一番に煽られたり、春雨に打たれたりして散ってしまうかもしれない。その前にせっかくだから足を運んでみるのもまた一興。今年の桜は、来年は同じように咲きはしないのだから。
などともっともらしいことを言ってみたが。
結局のところ、飲んで騒いで桜がどうだったかなんて忘れてしまうのも人のサガだ。まあでも。何も花を見るだけがお花見ではないし。極論、桜の花は写真に収めておけば記録には残せるわけだし。
だんだん説得力を失ってきている自覚はあるので、お願いだからそんな目で見ないで欲しい私である。
*
「えっ、お花見をなさったことがないんですか?」
自分でも驚くほど感情の乗った声が出た。それほどまでに意外だったのだ。私からの投げかけに、後部座席の李人氏は若干照れたように頷いた。
「お恥ずかしながら」
「恥ずかしがることはないと思いますが……」
李人氏は――結局そのときはカレーパンへと話が流れてしまったのだが、車の窓を開けてまで桜を見ようとしていた。だからというわけではないが、花見についても充分な理解と経験があるものだと思い込んでいたのだ。
「いや、何も私も、葦部財閥の方々がビニールシートの上でドンチャン飲み食いをなさっていると思ってはおりませんが」
ひょっとしたら成り上がりの初代様には経験があるかもしれないし、それをずっと続けている可能性だって無きにしも非ずだが。それは李人氏によって明確に否定された。
「親族や、心を置けない間柄の方と……というのはありませんでしたね。『桜を見る会』のようなものにお呼ばれしたことはあるのですが」
桜を見る会。いかにもお偉方が集まりそうな会合だ。目的をシンプルに表す名前が、逆にお堅さを強調している。
「広報用に桜を眺める姿を写真に撮られることもありますが、基本的には挨拶や名刺を交換するための場なので、ちゃんとお花見をしているとは言い難いんですよ」
何と言っても私は緊張しいなので、と付け加える李人氏。一対一で行う会食ですら、食事の味がわからないほど緊張する彼のことだ、そのような場で桜の花を愛でる心の余裕はないかと思われる。例によって、花を観賞しての感想はそつなくこなしてしまうのだろうが。
「時に桂藤さん」
「はい」
「先ほど、ドンチャン飲み食いと仰っていましたが……」
おっと食いついていらっしゃった。しかし、今回はこういう流れになることは想定していた。常に傾向と対策に余念のない私である。
「では……ささやかですが、車の中でお花見をしましょうか」
*
李人氏の今日のスケジュールは、夜10時に終わる「仕事」が最後であった。日付が変わる前に上がりを迎えることができたのは、ここ最近の日程では幸運と言って良い。異動期なものだから、挨拶をしたいという方々の対応で一日が終わってしまうのだ。
その最後の仕事も押しに押して、李人氏がベンツに乗り込んだのは11時を回った頃であった。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、お仕事が第一ですから」
アクセルを踏んでベンツを出す。車内限定の花見がいよいよ始まる。
私は何も特別なことはしていない。花見をするにあたって、車内からでも桜を眺めることができる街路樹のコースを組んだだけだ。
夜中の10時を回ってしまえば、野外で花見をしようという人足も少なくなっているだろう。ライトアップされている桜並木をご案内することにした。
「桂藤さんは、ご家族とのお花見は行かれたんですか?」
「まだなんですが、家族それぞれ、友達とのお花見会を優先させがちでしてね。家族でのお花見の日程がなかなか取り辛いもので」
子どもが小さいうちは良かった。花見に限らず、行くかと言えばじゃあ行こうとなって予定などその日のうちでも決められた。成長した今となっては子どもは新たに形成したコミュニティに夢中で、子どもがどうせ来ないならと妻もご近所の奥様方だけで外出するようになった。
私一人では花見に行く気も起きなかったので、李人氏をお誘いしたのは自分のためでもあった。
「娘なんて『お父さんには風流ってものがない』とまあ、生意気なものでして……」
どうも娘は、私が写真を撮り過ぎるのが気に召さないらしい。それじゃあ桜を見ているとは言えない、と叱責されたことがある。
確かに娘にはそれを言う権利と資格がある。最新機器を使いこなしていながら、むやみやたらに写真を撮りはしない子だ。撮る場合にも、後々面倒にならないよう、知らない人がフレームに収まらないよう気を遣っている。娘の自慢話だから何度でも言うが、私と違って聡い子なのだ。本当に。
「一度お目にかかりたいですね。その時は、私が桂藤さんのフォローをしますよ」
言うようになったな、李人氏!
「いやあ、とても坊ちゃんにお目見えできるような娘では……」
「“こんなもの”って意味でしょうか」
本当に言うようになった。
「そう言われるとかないませんな」
「あっ、すみません。決して食べ物と混同したわけでは」
「いやそれはわかってるんですけどね!?」
たまにびっくりするようなボケをかます李人氏である。ちょうど信号待ちだったのでドリフトはせずに済んだ。
さて、ここから先の運転はより一層、安全運転を心掛けなければならない。嫌でも目に入ってくるが、私まで見惚れて余所見をするわけにはいかないのだ。
ちょうど散り始めの時期。満開といっていい桜の木と、アスファルトに散りばめられた花びら。それらを照らす月明かり。どこぞの文豪が言ったように、人を惹きつけ、人を狂わせるに違いない光景が目の前に広がっていた。私は自然と、アクセルを踏む足を緩めていた。
*
夜桜のライトアップについては、否定的な方もおられるという話は聞いたことがある。おぼろげな月明かりに照らされる桜こそが至高、人工照明など安っぽいもので照らすなどもってのほか、と。あいにく私はそこまでの一家言はないが、照らした方が観客が喜んでくれるというなら照らした方がいいのではと思う程度の庶民感覚にはそこそこの自信がある。
なので、たまたま消灯時間で、たまたま良い月夜という条件が重なった自然のライトアップに出くわせたのは非常にお得というか、日頃見ている照明ありきの桜を“こんなもの”に感じる。決して悪くは思っていないが、いざ実際に目にするとなるほど月明かりが至高というのも頷けるな、と。これも李人氏の人徳のなせる業だろうか。
食べ物については、今日はしっかり、相応しいものを用意させていただいている。
ちょうど李人氏がつまんでいる、串1本につき、桃色、緑、白のカラフルな3個のだんご。お花見の定番、三色だんごだ。
「三色だんご、なんて言っていますが、味は全部一緒なんですがね」
子どもの頃は、色によって味が全部違うと思っていた。串に3個刺さっているのでお手軽に食べ比べができるため、そんなことはなかったとすぐわかってしまったのだが。それよりもどちらかと言えば、かき氷のシロップの味がすべて同じだったということの方が衝撃だった。今でも信じられない……。
かき氷の話は置いておいて。
「いかがですか、坊ちゃん」
「そうですね。確かに、この三色だんごは味に違いがないようですね」
「そうでしょう……うん?」
“この三色だんご”?
それはいったい、どういう意味だろうか。
「実は私、三色だんごはすでにいただいたことがあります」
「えっ」
「あの、『桜を見る会』でも食べ物のブースがありますので。そのとき対応できるよう、家の者から食事として出されていたんです。味を覚えられるようにと」
李人氏によると、そのとき口にした三色だんごにはそれぞれ味に違いがあったという。曰く、桃は梅、緑はヨモギ、白は酒粕の味がほんのりしたとのこと。高級なだんご限定のことかと思われる。まさかだんごで格差を知ることになるとは思いもよらなかった。
「なるほど。必ずしも味が違うかどうかわからないからこそ、味覚に集中して味わって食べるようにという意図があるんですね」
「いや、べつ――」
言いかけて、まあそういうことにしておいてもいいかと思い直した。せっかく好意的に解釈してくれているのだからわざわざ卑下する必要もあるまい。
「お花見という行事が、どうして桜を眺めるだけに留まらなかったのか、わかる気がします」
「ほう」
「見る、という行為だけでは、視覚を使って映像だけでしか記憶に残せません。そして『見た』だけでは、記憶としては少々頼りないものですよね」
それは確かに。どれほど美しい桜であろうとも、通りすがって横目で見ただけでは覚えておくことも難しい。じっと見つめていたとしても、果たして目に焼き付けることなどできるものか。
「だから、だんごを食べて味の違いを気にしたり、屋台から漂うソースの匂いを嗅いだり、誰かと一緒に騒いでその声を聴いたりして、五感をすべて使って、二度と同じようには咲かない桜を記憶に留めているんですね」
感嘆の溜息が出た。
今まで散々、どったんばったん大騒ぎしながら催される庶民のお花見は、上流階級の方からすればとんでもなく低俗な風習だと恥ずかしく思っていた。しかし李人氏にそう言っていただけると、まるで庶民の方が春の桜を嗜む方法を心得ているかのように錯覚する。
私の心の中で、「花より団子」のお花見が“こんなもの”にカテゴライズされた。
「桂藤さん、ご家族でのお花見も、こうしてドライブがてらしてみるといかがですか?」
「そうですね。今まで、こういう形でしたことはなかったので、かえって新鮮で良いかもしれません」
「是非。このコースに連れて来れば、きっと娘さんも見直してくれますよ」
ええー、本当にござるかぁ?
まさかそんな口は利けないが、李人氏の後押しのおかげで私の腹は決まっていた。もう風流のわからない父親とは言わせない。完全に散ってしまう前に、家族をここに連れて来よう。見られるうちは、家族で同じ桜を見ておかなくては。いつまで一緒にいられるかなんてわからないのだから。
*
さて、僭越ながら、私も自分の楽しみに時間を割かせていただこう。
「坊ちゃん、少しの間だけ、車を停めても構いませんか?」
「桂藤さんが良いのなら」
言外に、時間配分は私に一任しているという意向が込められているのを感じる。
「私も、桜を撮ろうかと」
娘から風流がわかっていないと言われるきっかけではあるが、そう簡単にやめられるものではない。それに注意されたのはあくまで「撮り過ぎ」だ。撮ること自体に文句は言われていない。
「いいと思いますよ。見事な夜桜ですからね」
李人氏の了解も得たので、ベンツを路肩に寄せて降りる。
未だに慣れないスマートフォン。まだ自発的にアプリのひとつも入れていないが、カメラの操作だけは真っ先に覚えたものだ。
「本当に見事なものだ」
感動で体に震えが走る。決して夜中で肌寒いからだけではない。その震えが伝わらないよう、手ブレに気をつけながら、被写体をフレームに収める。
そして桜の花びらが貼りついたベンツを撮影した。
「うーむ、良い」
薄桃色の花びらが黒い車体に映える。この季節にしか見ることが叶わない、まさしくレアな姿だ。自分の車もなかなかと自負しているが、やはりベンツには格の違いを感じる。娘は私のこの行為を「いや、桜見てないじゃん」と否定するが、ただ単純に桜をぼけーっと眺めるよりよっぽど風流で味があると思うのだが。そもそも桜だけでは見る意味があまりないではないか――おっとこの角度からもなかなか良い。もう一枚撮ろう。
「あー……」
誰の声かと思ったら、李人氏だった。だんごからシフトしたからあげ棒をもそもそと召し上がりながら(むしろだんごよりも満足げで)、私の撮影を見ていたらしい。
「そういうところですね」
「えっ、何がですか?」
「いや、べつに……」
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> いや、べつに…… <
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「絶対何か言いたいことありますよね!?」
納得がいかない私である。
花見だんご(三色だんご)です。
子どものとき食べる機会がなくずっと味が違うものだと思っていました。




