3分でわかるこれまでのベンツ飯
李人氏(葦部李人)・・・御曹司。
私(桂藤さん)・・・・・運転手。
私は日本有数の大財閥、葦部グループの専属運転手をしている。
車は黒塗りのベンツ。もちろん私の所有物ではない。仕事でなければ触れることも叶わない高級車だ。
「桂藤さん、出してください」
そしてベンツの後部座席に乗り込んだのが、グループの御曹司、李人氏である。
私の仕事は主に、彼のために車を回すことだ。
「あ、それと――」
「はい。そう仰ると思って、用意してございます」
葦部財閥は、李人氏の祖父が一代で財を築いたものだ。それによって一般庶民から突如御曹司となった御父上と違い、李人氏は生まれついての御曹司。マナーを身に着けるのにはたいへん苦労したという御父上の意向で、李人氏には幼い頃から英才教育が施されている。
庶民ゆえの下衆な勘繰りとしては、そのような育ち方をすればさぞかし性格も歪むだろうと思うところだが、李人氏はたかが運転手の私にも高圧的に接することはなく、それでいて「分け隔てない」という言葉の意味を勘違いした馴れ馴れさを押し付けるわけでもない。立ち居振る舞いのすべてから、御曹司としての品格を窺える好人物である。
本当だ。
本当なのだが。
一心不乱にハンバーガーを貪る姿は判断材料に入れないで欲しい。
「ふう……やはり特に何も感想が浮かばなかった。充実したひと時でした」
「前の文と後ろの文が矛盾してるとしか思えないんですけどね……」
「いや、何も考えずに食べられるというのは素晴らしいことですよ。普段の食事では味わえない」
注釈。李人氏の言う「普段の食事」とは、三ツ星レストランや高級料亭での食事である。
そして李人氏は、自らにとって非日常である庶民の軽食にたいそう興味をもっておられる。
だが、周囲の人間がその趣味を認めてくれるとは到底思えない。少なくとも李人氏本人はそう思っているし、私のステレオタイプな富豪観でもそう思う。そこで李人氏は、ベンツに乗っている移動時間の間だけ、軽食を嗜まれているのだ。
私と李人氏は、その秘密を共有している。
李人氏が用事を終えるまでの待ち時間の間に軽食を用意しておくのが私の役割だ。先ほど李人氏が貪っていたハンバーガーのように。
「時に桂藤さん」
李人氏が話題転換するときは、この話と決まっている。
「そろそろ新しい“こんなもの”を開拓したいのですが……」
李人氏は、庶民の軽食を“こんなもの”と呼ぶ。
決して、侮蔑の意図があるわけではない。恐れ多くも、私の口真似をされているのだ。
李人氏が初めてハンバーガーを召し上がられるときに、私は「(李人氏が普段口にされている高級料理に比べれば)こんなもの」と称した。私はその表現を「愛着と、その照れ隠し」と説明し、李人氏がお気に召されたという次第である。
より詳しく知りたい場合は、『ベンツ飯』(http://ncode.syosetu.com/n9210dt/)へどうぞ。
閑話休題。
「開拓はいいんですが、またカップラーメンみたいな無茶は勘弁ですよ」
「とんでもない冒険でしたね……今でもたまに“ゾーン”の感覚が」
「おっと……あまり“ゾーン”については語らない方がよろしいかと」
いや、本当に。あれはいい大人がすることではなかった。
こちらについて、我々の黒歴史を垣間見たいという方は『ベンツ飯2 ~車内でカップラーメンを食べるには~』(http://ncode.syosetu.com/n2905du/)へどうぞ。ただし、真似をしてはいけない。たとえあなたが動画配信者だったり漫画家だったり小説家だったりしてもだ。
と、まあ。
抑えておいていただきたいところはこれくらいである。
李人氏を乗せた黒塗りのベンツは、今日も分刻みのスケジュールの中から僅かな時間を見つけて、“こんなもの”を求めて走る。
時に語り、時にバカをやり、時に「買占めですか……?」と警戒されたりしながら、「いや、べつに……」と大して感想も出てこない貴重なひと時を味わうために。
そんなこんなで、ぼちぼち3分かなあ、と思う私である。
『ベンツ飯』『ベンツ飯2』と短編を続けて、唆されてシリーズ化しました。
どこまでやれるのかわかりませんが、力まずに続けたいのでよろしくお願いします。