プロローグ
春から夏へと変わる季節。
夕日が校舎をまぶしく照らす。
ドクドク?ドキドキ?どちらでもいいか。
とりあえず音をたてる僕の心臓。
自分の心臓の音がここまで大きく聞こえることなんて今まであっただろうか。
少なくとも僕の記憶にはない。
緊張しているんだ。緊張している。
一旦落ち着かないと……。
壁にかかっている時計を見る。
もうすぐだ。
もうすぐ第一関門。
時間になっても誰も来ないという可能性がある。
誰かと一緒に来るってことも考えられるな。
あ〜もしも別の人が来てってこともあるか……。
あ〜ダメだ。悪い方にばかり考えちゃ!
少し緊張をほぐさないと。
「ふー、ふー、すぅ〜。はぁー」
深呼吸だ。深呼吸して落ち付かないと。
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……
落ち着こうと思えば思うほど緊張してきた。
ガラガラ―――
後ろの扉が開く音だ。
ドキドキと鳴り響く心音が体中を駆け巡る。
ついにこの時が来たんだ。
足音は一人。
独りだ。後ろには一人。
とりあえず複数人ということはない。
「ふぅー」
小さく息を吐き。心を決めて振りむく。
「私に何の用?」
僕が振り向くと彼女は短くそう言った。
彼女に緊張などそういった特殊な感情はないようだ。
何一つ、普段と違うところはない。
いつもと変わらず彼女は綺麗で美しい。
「うん」
ヤバイ。なんで寄りにもよって「うん」とか返してるんだ僕!
ここでつまずいちゃダメだろ。折角第一関門、桐野さん本人が一人で来る。を突破したのに……
「?」
僕が「うん」何て返したもんだから桐野さんは首をかしげて不思議そうに僕を見てくる。
「わざわざ下駄箱に手紙を入れて呼び出したのだから用事があるのでしょ?それともあれかしらベタに手紙を入れるのは隣の子だったとか?」
「違うよ。僕は桐野さんに話があるんだ」
「そう。なら話してちょうだい。私無駄な時間は嫌いなの」
相変わらず、桐野さんは辛口だ。でもこれは普段通りの彼女だ。
夕日が照らす教室には僕と彼女しかいない。
言え。今言うんだ。僕。今が最初で最後のチャンスだと思って勇気を出せ僕。
「桐野さん!」
「何。雪森くん?」
「僕は桐野さんのことが好きです。僕と付き合ってください!」
言って僕は頭を下げる。今日一番に心音が高鳴る。今にも心臓が破裂しそうだ。
右の頬に当たる夕日が暑い。でもそれ以上に僕の体温は高い気がする。
彼女は何も言わない。
時間にしてどのくらい僕は頭を下げているのだろう。
数秒なのか、数分なのか。僕の体感時間が実時間とズレて行く気がする。
でも沈黙は彼女の言葉によって終焉を迎える。
「いいわ。雪森くん。貴方とお付き合いしましょう」
すぐに彼女に何か言わなきゃとそう思った。
けど、僕は喜びと驚きでとっさに言葉が出なかった……
頭を上げて彼女を見たとき。彼女は何一つ変わらずいつも通りだった。
きっと彼女の目に映る僕は、随分と間抜けな顔だろう。
「もしかして、私に告白したのは罰ゲームかしら?」
「っん。そんなことないよ」
やっと言葉が出た。僕の反応に彼女は少しだけ微笑んだ。
「私とお付き合いできて雪森くんはうれしい?」
「も、もちろん。まるで夢を見ている様だよ」
「そう。それは良かった。これは現実よ」
やっと、少しだけ緊張がほぐれてきた。
安心したら、じっとり汗をかいてきた気がする。
「あ、そうだわ。雪森くん」
「何かな。桐野さん?」
「私と付き合うのに一つだけ条件を付けていいかしら?」
「条件?」
「えぇ」
淡々と彼女は言う。
夢心地から現実に帰ってくる途中の僕には彼女が何を言っているのか処理するのに時間がかかる。
何だ。条件って。秘密のお付き合いとかそういうのか。クラスの人とかに知られたくないとか……
「その条件を守れないと言ったら……?」
「悪いけど雪森くんとはお付き合いできない……」
「大丈夫。どんな条件でも守るよ!!」
ここまで来たらもうなんでも来い!
条件の内容を聞くよりも早く、僕は条件を飲むことを宣言した。
いくつかの関門を突破したら最後の最後に伏兵が潜んでいる様な感じかな……。
ここまで来たら何が来ても行くしかない。
「よかったわ。それじゃ雪森くん何かお金が必要な時はあなたにお金をもらうわね」
「え?」
「わからない?」
「それは、デートとかのお金は全部僕が出す、という意味でOK?」
「う〜ん。まぁ、それはそうなのだけれど……」
「違うの??」
「簡単に言えば」
「簡単に言えば?」
「私のATMになってもらいたの」
夕日が教室を照らす。僕と彼女以外に誰もいない教室。
季節はそろそろ暑さが本格的になるころ。
外で運動部が何か叫ぶ声がする。きっと大会とかが近いんだな。
僕、雪森志成はクラスメイトの桐野来美に告白した。
そして僕と彼女は付き合うことになる。
でもそれには一つの条件があった。
条件は僕が彼女のATMになること。
それでも僕は彼女と付き合いたい。
彼女が何を考えているのかはわからない。
でも、僕は彼女が好きなんだ。
どこが好きか何か僕は知らない。
少なくともずっと彼女と一緒にいたい。
今はそれだけ……。
こうして僕と彼女の奇妙な恋愛が始まる。