大歓迎
「こんにちは。よい旅になりそうですね」
サバタ共和国の首都メカテからツアーバスに乗り込んで来たアフリカ人夫婦が私に笑いかけた。
ギポテさんと名乗るその夫婦は前席に座り、にこやかに話しかけてきたが、その表情とは裏腹に彼らが放つ波長は“楽しさ”ではなかった。
もしかすると、東洋人の若い女性が一人で旅行しているのを怪しいとでも感じたのだろうか。
強烈な“警戒心”が夫婦の脳裏から垣間見えたのだ。
よく霊能力のある人は、いわく付きの場所に行ってはいけないという。
波長が合うと悪い影響を受けるからだそうだ。
では私のように人の感情が読み取れるタイプのテレパシストは?
答えは観光地以外の場所には行かないことだ。
人は誰でもよそ者を嫌う。
観光地では表面上こそ歓迎されるものの、一歩そのルートを外れると「よそ者がなぜここに来た」という冷たい波動が襲ってくるのだ。
近隣諸国では特に顕著で、観光地ですら“軽い敵意”を感じる事がある。
これは、周辺国とわだかまりがある日本だけの問題かと言えば、そうでもない。
世界中どの国でも近い国(例 アメリカ⇔メキシコ)ほど、その傾向が強いようだ。
思春期を過ぎる頃からテレパシストとしての能力が開花した私は大学在学中、友人から誘われても一度も海外に出かけなかった。
だが、私はある時突然気付いてしまったのだ。
人間も生物である以上は防衛本能があり、異質な物を避けようとする。
それは程度の差こそあれ、町内会の住民の間ですら起こる感情なのだ。
ならば、敵意はあって当たり前。それを粛々と受け入れようではないか。
そう気付いた私は、タガが外れたように、海外旅行に出かけるようになった。
もちろんどこでも笑顔の裏に“警戒心”は感じられた。
だが、このギポテさん夫婦のように強い“警戒心”は始めてだった。
ことによると、このサバタ共和国という所は異様によそ者を嫌う国なのだろうか。
そう思ったが、湖が美しいポカンギ国立公園のホテルに入った途端、その考えが変わった。
私を出迎えてくれたスタッフの誰もが、“大歓迎”してくれている事がわかったのだ。
スタッフから感じられる波長は良いお客さんを出迎えたことの純粋な“喜び”のみだった。
彼らは、私に特別なステーキーを用意してくれた上、本来このツアーは二人または三人一室の処、「部屋が空いているから」と、私一人の為にセミスイートルームまで用意してくれたのだった。
それなのに、ギポテさんは「旅は道連れ」と、自分達の部屋に来るように強引に私を誘った。
心から歓迎してくれるスタッフが用意してくれたセミスィートを辞退して、なぜ私に対する警戒心を崩さないギポテさんと一緒の部屋で眠らなければいけないのか・・・。
正直腹が立ったが、少なくとも表面上は頬笑みを絶やさないギポテさんの内心を言い当て、自分がテレパシストだという事を公表するわけにもいかなかった。
そこで、ならばと逆に私のセミスィートルームにギポテさん夫婦を誘い、眠る事にした。
しかし、結果的にギポテさん達と一緒であったことを、私は感謝する事になった。
実はその夜、私のセミスィートでものすごい喧騒があったのだ。
部屋の中は強烈な“敵意”で満たされていた。
にもかかわらず、私の体は薬物でも盛られたのか、まったく動かなかったのだ。
半ば夢の中で、ギポテさん夫婦が拳銃を手に「フリーズ!」「フリーズ!」と叫んでいた。
朝起きると、ホテルの中はサバタ共和国の警官でいっぱいだった。
「昨夜は驚かせてすまなかったね」
微笑みかけるギポテさん夫婦の脳裏から“警戒心”は消え、“安堵感”と私に対する“気遣い”が感じられた。
なんでもギポテさん夫婦の正体は刑事で、最近頻発する若い外国人女性の失踪事件を追っていたのだそうだ。
「あのホテルの従業員全てがアフリカン・マフィアの仲間でね。君は拉致され、政府の力が及ばないゲリラ支配地の売春宿に売られところだったんだよ」
ニコニコ笑いながら、ギポテさんは恐ろしい事を言った。
この旅で私はひとつの教訓を得た。
海外では“軽い敵意”よりむしろ“大歓迎”の方を警戒しなければならないということを・・・。
〈おしまい 〉