第二話
隆史が目を覚ましたのは、もう朝日の昇る翌日だった。
インターホンの音が家中に響く。
爺ちゃんがでるだろう、と考えていたが、また、インターホンの音が響いてきた。
誰だこんな時間から…と、ベットにある時計を見る。
8時だった。
「なーんだ、まだ8時か……って、もう8時じゃん!」
よく聞くと、インターホンの音以外にも声が聞こえた。
「たーかーしー。早く起きないと遅刻しちゃうよー」
早姫が起こしに来てくれたらしい。
俺は、急いでベランダから顔を出し、
「ごめん。先に行っといてくれ」
と、早姫に言い返し、急いで準備し、一階のリビングへ駆け下りる。
そしてそこに、早姫がいた。
「あ、おはよう隆史。ちょっとまって、今朝ごはんできるから」
「……は?」
一瞬頭に空白が出来たが、
「いやいや、なんでお前が勝手に入って来てるんだ?」
「何を言ってんのあなたのお爺ちゃんに頼まれたのよ。それに、いつものことじゃない」
「いつもじゃねーよ! 何年前の話だよ」
「はい、朝ごはんできたよ」
目の前に朝飯が…隆史は、もういいです、ハイ…と、飯をかきこみ、
「よし、後10分だから全力疾走で行くぞ」
靴を履き、鞄を背負い、
「ええ、競争よ」
と、二人は学校に向かって走りだした。
しかし、
「早姫、早すぎ、ってもう見えねぇ!」
結局、隆史は一人で、まだ人の少ない商店街を抜け、海岸を駆け、学校のある山のふもとに到着し、一息…
そして、崖の様な学校に続く階段の坂道を駆け上がる。
――ここだけの話、隆史の頭からは、昨日の出来事は1ミクロンも残さずなくなっていた――
*
チャイムが古ぼけた音を響かせる。
そしてまた沈黙する前に、隆史は教室に、比喩抜きで、転がり込んだ。
「あ~、あぶねぇ。ギリギリセーフ」
「宮岡遅刻っと」
いや~、一時はどうなるか・・・・・・と、安堵していた隆史に、クラス担任の近藤奈絵先生が、素っ気無く遅刻マークを刻み付ける。
「ちょ、ちょっと待てよ。まだチャイム鳴ってたじゃん、奈絵ちゃん先生」
「な、奈絵ちゃんって呼ぶな! せっかく落ち着いた大人な先生になろうと頑張っているのに、宮岡も沢波も桝谷も、そろって小馬鹿にしやがって~」
奈絵ちゃんこと近藤奈絵先生は、今年来たばかりの新米教師、化粧気の無い顔と、髪を後ろで束ねているのが特徴。
そんなところに、
「奈絵ちゃんでいいじゃない。それより先生、朝礼が終っちゃうよ」
早姫ナイスフォロー! と、隆史は、ささっと自分の席に着く。
「あぁもう、今日は転校生が来てるのに紹介出来ないじゃない」
「え、転校生が来たのか?」
「転校生ですか。これは事件の予感がぷんぷんしますねぇ」
突然の奈絵ちゃんの一言に、クラスがざわめく。
そして、奈絵ちゃん自身は、
「あー! みんなを驚かせようと黙っていたのに言っちゃったよー!」
と、自分の失態に頭を抱える。
「で、奈絵ちゃん先生。転校生は女の子ですか? 僕はロリっ娘で銀髪にリボンを着けてるかわいい子を希望」
「おいおい仁、そんな子がこんなところに来るはず無いだろ、あきらめろ」
「はい、そこのヘンンタイ達黙りなさい。転校生がまってるのよ」
え、俺もヘンタイですか? と、抗議する隆史をよそに、クラスが静かになる。
「じゃあ、紹介するわね。どうぞー」
おんぼろの木製扉が静かに開いて転校生が入ってきた。
その転校生は、女の子だった。この辺では珍しい銀髪とそれに付けている大きなリボン、碧眼で童顔で、どこかお嬢様なオーラが出ている。
なんだか仁の希望どうりの人だ。
そして、彼女は、
「はじめまして、私は、アーミリア・D・エリヲズといいます。今週こちらに来たばかりで至らぬところがあるかも知れませんが、よろしくお願いしますね。それと私のことは、アーミーと呼んでください」
と、歌うように言った。
見た目だけで無く、中身まで相当お嬢様のようだ。
みんな拍手をして沸きかえり盛り上がる。
そうして、あっという間に朝礼は終っていた。
*
そんな明るい朝礼後、近藤先生は薄暗い校長室にいた。
「校長先生、今日宮岡が遅刻しました」
「ほぅ、報告ごくろう。また遅刻ですか。教頭先生、これはいったい何回目でしたかな?」
校長と呼ばれた肥満な中年は、意地悪そうに告げる。
その隣で、校長とは対称的なやせ気味の教頭が、
「えぇ、もう三回目です。これはかなりひどいですな」
「三回目ですか。確かに、一度指導しないといけませんねぇ。」
近藤先生は、あまり表情を変えず、失礼しましたと退出する。
静かに閉まった扉。
その沈黙を破るように、ふっはっはー、と、どこか勝ち誇ったように校長と教頭は笑う。
「ふっ、やっと口実が出来たようだ。宮岡君には、もっとがんばっていただく必要があるからな。私の利権のために・・・・・・」
校長室に僅かに沈黙する。
その瞬間を狙ったように、黒衣の人が現れた。入って来たのでは無い、現れたのだ。
驚いている教頭を尻目に、
「いやいや、亜人殿にはいつも驚かされますなぁ」
と、校長が言う。
「ふっ、ご冗談を」
亜人は、表情を変えずにそう言って、――それと――と付けたし、
「これが、私の考える計画の概要だ。このまま行くと、この夏には決着が付く。後で目を通しておいてくれ」
と、無地の茶封筒を、校長の机に放り投げた。
放り投げられた封筒から、一枚の紙を取り出しながら校長は言う。
「確かに受け取りました。しかし、この計画は亜人殿に利益はあるのですかな?」
「あなたに心配されるほど、私も馬鹿ではありませよ。それに、この計画は、あなたと私の利害が一致したからに過ぎないので」
「ははは、それもそうか。では、ありがたく受け取りましょう」
と、校長は言う。
そして封筒から目を亜人の方に戻すと、亜人はすでに校長室から消えていた。
*
全校生徒92人のこの学校では、新しく来た転校生の話題なんかは、あっという間に広がる。
しかも、出身が外国で容姿はお嬢様、珍しい銀髪と碧眼を持つアーミリアは、瞬く間に時の人となる。
隆史達も、例外ではなく、アーミリアの所に集まり喋っていたが、ついさっき他の人達に押されるように教室の外に来ていた。
「すごい人気だなアーミーは。それに早姫は結構アーミリアのこと知ってんだな」
「ええ、実はちょっと前に一回だけ和也さんのペンションで会ったことがあって、そのとき仲良くなったの。まさか、ここに転校してくるなんて思ってなかったよ~」
「ここに転校ったって、島の高校はここだけだろ」
「あ~、そうだったね」
と、早姫はテヘッと自分の頭を叩き照れ笑い。
そのぶりっ子的な照れ笑いにいち早く反応した仁は、
「早姫さん、最高っす! じゃあ次はツンデレしてください」
「べ、別にアンタのためにやってあげるんじゃ無いんだからね!」
「おぉ~、では次は・・・・・・あえぎゅがぁ」
仁の語尾が、おかしくなったのは、隆史による無言横腹突きのため。
もろにくらった仁が、そのまま地面に倒れこんだ。
情けナッシングな攻撃で、ヘンタイを撃墜した隆史は、早姫に、
「はぁ、皆見てるところでやらないでくれるか」
と言って、あっち行け、と視線で観衆を追い払う。
そうして周りを見ていると、廊下の端の階段辺りに何か見たこのあるような人影が写った。
「あれは・・・・・・」
この学校の先生でも生徒でも無い気がする。
視界の端に映っただけの人影に、隆史も意識しないまま意識を持っていかれる。
「どうしたの隆史?」
「ごめん。早姫は先昼飯食べといて」
どこか、引っかかった。なにか重要なことを忘れているかも知れない。
記憶の片隅を突くようにそれは俺をあせらせる。
俺は、気づくと人影を追って小走りになっていた。早姫が何か言っていたような気がするが、今はなぜか解らないけど人影を優先したかった。
*
隆史は、何かに引かれるように走りだしていた。
「そういえばここ、昨日も早姫と一緒に走ってたな」
先生に咎められない程度のスピードで、廊下を駆け抜けていく。
そのまま階段を数段飛ばしで駆け下り、一階に着いたとき再び視界に人影をとらえる。
「あれは・・・・・・」
隆史は、今見えた人影を走りながら再度頭の中で確認する。
――この炎天下、全身を黒衣で覆っているのに、唯一見える口元や手には、汗ひとつ掻いていないように見――
と、そこまで考えたとき。
ズキンッ!
「グッ・・・」
頭全体に激しい痛みがこみ上げてくる。
その痛みを隆史は気にするまもなく走り出す。体が勝手に動くような感覚だ。ほとんど自分の意思じゃない。
そのまま黒衣の人影を追い、靴も履き替えずに校庭へと飛び出ると、ちょうど校門から出ようとしている人影に追いついた。
そうして、思い出す。
昨夕、堤防であった奴だ。
隆史の頭に昨夕の出来事が、一気に流れ込んでくる。頭痛が嘘ののように消えていく。
黒衣の彼の名は、
「亜人!」
そう、亜人だ。今の今まで記憶から消えていた。
あれほど印象的だった出来事なのに記憶喪失のように無くなっていた。
頭痛はもう治まったが、不可解な要素は頭の中を埋め尽くそうとしている。
そんな隆史の方へ、亜人はゆっくりと振り返って、
「へぇ、思い出したんだ。やっぱり君は普通じゃないね」
と、感情の一切読めない平坦な声でつぶやく。
「お前のほうが普通じゃねぇよ。いきなり意味不明な話したと思ったら、突然殴られるし、どうゆうことなんだ」
そういって、隆史は武術の心得なんてないものの、拳を握り少し構える。再び殴られるのは勘弁してほしいところだったからだ。
「あぁ、そのことはすまないと思ってるよ。なにせ急いでいたものだから。それともう一度謝っておくよ」
と、あっさり謝ると、警戒している隆史の懐に滑り込むと、その頭に手のひらをかざし、
「まだ君の出番はないよ。もうすこし忘れてくれ」
と、言った。
と同時に、亜人の手のひらから閃光が走り、隆史の目の前は真っ暗になった。
続いてくる強烈な頭痛に再び苦しみながら、
「また、このパターンかよ・・・・・・」
昨晩同様の結果に、今度は絶対に忘れまいと、隆史は強く心に誓いながら意識を失った。
亜人は、
「あと、もう少しなんだ。この計画は絶対に成功させるから。もう少し・・・・・・」
と、亜人はまた瞬間的にいなくなった。