表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1話 線を引かれた夜の出会い

 二週間ぶりの王都。

 今晩の仕事場は、とある子爵家の夜会だった。

 華やかなイブニングドレスと燕尾服(テイルコート)の人垣の中から、すぐに彼女の姿を見つけた。

 ──見つけてしまった。


 彼女も僕の方を、見た。

 視線が合う。

 こんなに離れているのに、見ていたと知られるのが恥ずかしくて、思わず視線を逸らした。

 けれどやっぱり見たくて──。


 合って、

 逸れて、

 それでもまた、合う。


 二週間前までは、僕の方が一方的に彼女を探して見つめていた。

 けれど、今は。

 彼女も、もしかしたら、僕と同じ気持ち?

 それとも……。


 そう思って、胸が高鳴ると同時に、締め付けられるほど苦しくなった。

 今はまだ。

 僕は、彼女に、何も約束することができない──。



 *



 社交期が始まったばかりの王都。

 少し前まで学生だった僕は、外交官の父の補佐として、貴族たちの私的な集まりにも顔を出していた。


 夜会は、滞りなく進んでいた。

 高い天井に下がる燭台の灯りは柔らかく、銀器はよく磨かれている。

 父の名刺代わりのようなこの席に、失礼があってはならない。

 僕は父の少し後ろに立ち、必要とあらば書類を取り、視線を受け止め、静かに応じていた。

 少しずつ慣れてきた役割。

 人脈を知り、空気を覚え、言葉を選ぶ。

 やがて音楽が変わり、客たちがいくつかの小さな輪に分かれ始める。


 その中に、見知った顔があった。

 ついこの前まで、寄宿学校で机を並べ、同じ卓を囲んだ者たち。

 同じ教師に叱られ、同じ試験に備え、同じ未来を当然のように語っていた相手。

 友人──だと思っていた相手。

 彼らの視線が、こちらに向く。

 笑みを交わす。

 だが彼らの瞳に、かつて浮かんでいた親しみの色なかった。


「……グランデッタ卿のご活躍、お伺いしております」


 父に向けて誰かが、丁寧にそう言った。

 僕自身には、他人行儀な視線だけが向けられる。

 親しく名で呼ばれることはない。

 久しぶりだな、と声をかければ、返事はきちんと返ってくる。

 笑顔もある。

 礼儀も、欠けていない。


 だが──。

「君は、今はそちら(・・・)だったな」

「お父上の手伝いをされているとか」

 気安い関係だったことさえ、なかったかのような台詞。

 彼らの輪の中だけで納得したように頷き、話題は、近隣諸国の動向や領地の収穫高、次の議会の動きへと移っていく。

 かつてなら、当然のように加わっていたはずの会話。

 けれど今は、聞き役に徹するしかなかった。

 質問は振られず、意見を求められることもない。

 彼らに悪意はなかった。

 それが分かるからこそ、何も言えなかった。


 ああ、と思う。

 爵位を継がない未来は、こうして、音もなく始まるのだと。

 これは拒絶ではない。

 ただ、区切られただけ。

 同じ場所に立っているのに、もう同じ円の中にはいない。


 なんだろう。

 この、疎外感。

 悲しくて、恥ずかしくて、惨めで。


「ジョー」

 彼らから少し離れたところで、父に呼ばれた。

「何ですか?」

「……少し休んで来い」

 情けなかった。

 背筋を伸ばし、穏やかな表情を浮かべ、動揺を見せたつもりはなかった。

 けれど、父には見抜かれていたらしい。

「このあと、また扱き使うからな」

 父はそう言って、笑った。

「すみません。……少し外します」


 そうして会場の端に移ろうとした。

 その時、ふと、誰かと目が合った。

 見覚えのある令嬢。

 デビューしたての年若さでも、派手な装いでもない。

 つい先日、別の夜会で、挨拶したことがある。

 たしか……マーガレット嬢。

 南の方に領地を持つ男爵の、二番目のご息女だ。


 僕は会釈だけをして、視線を外す。

 彼女も、同じように軽く頭を下げたが、


「……失礼ですが」


 意を決したように、僕に話しかけてきた。

「先ほどの方々は、お知り合いですか?」

 一瞬、うわ、と思った。

 さっきの場面を、見られたのか、と。

 きまりの悪いところを見られたのだと知り、顔が熱くなった。


「ええ。……同じ学校でした」

 それだけ答えて、それ以上は説明する気にも、誤魔化す気にもなれなかった。

「そうなんですね」

 彼女は束の間視線を巡らせ、もう一度、僕を見る。

「あの方々、皆さま、……家を継がれる方ばかりでしたね」

 その言葉にハッとする。

 もしかして、紹介してほしい、とかだろうか。

 彼女は未婚だったはず。

 未婚の令嬢の大多数がそうであるように、彼女も結婚相手を探すために、王都へやってきているのだろうから。

 なんて答えようかと逡巡しているうちに、彼女の方が、焦ったように続けた。


「不躾に申し訳ありません。……少し、お顔色が悪くなられていたように見えましたので」


 そう言われて、知らず肩に入っていた力を抜く。

 なんだ、そうか。

 彼女は、冴えない顔色の僕を、純粋に心配して声をかけてくれたのか。

「そう見えましたか」

 苦笑するしかない。

 僕は、全然取り繕えていないな。

「ええ。……差し出がましかったら、すみません」

「いえ」

 声は思ったより落ち着いていた。


 僕、ジョー・グランデッタといえば、少し前まで、貴族名鑑にも載っている爵位継承者候補のひとりだった。

 名門グランデッタ伯爵家の後継。

 正確にいえば、父が推定相続人で、その長子の僕は、継承権第二位。

 ところが、正当な継承者が誕生したことで、僕の家は、分家──傍流へと格下げになった。

 そのことについて、どうこう思ったりしているわけではない。

 昔から父に、(スペア)の継承権はないものとして過ごせ、と口煩くちうるさく言われていたから。


 けれど。

 外の世界は違う。

 そのことを、まざまざと思い知らされた。

 さっきの、仲間のように過ごした彼らの態度には、正直、……こたえた。


 僕は項垂れたが、彼女はそれ以上踏み込んでこなかった。

「失礼いたしました。突然、お引き止めしてしまって」

 そう言って、一歩、下がる。

 ──それで終わるはずだった。

 けれど。

「……お気になさらず」

 自分でも意外なほど、すぐに言葉が出た。

 引き止めたのは、彼女ではなく、たぶん僕の方。

 彼女は少し驚いたように目を上げ、それから、ほんのわずかに微笑んだ。

 優しい琥珀色の瞳だった。



 そのことがきっかけで、昼餐会や夜会に出た時、マーガレット嬢がいると気が付くようになった。

 直接顔を合わせたり、言葉を交わしたりすることがなくても、「あ、今日もいるな」と認識する。


 次に会話したのは、また違う夜会。

 規模も、集まっている顔ぶれも、違う。

 僕は、父の少し後ろの、必要なときだけ言葉を添えるいつも通りの立ち位置。


「こんばんは」

 声をかけられて、思わず瞬きをする。

「……こんばんは。先日は、どうも」

「いえ。こちらこそ」


 それ以上、会話が続くとは思っていなかったが、案の定、会話が途切れた。

 けれど、沈黙は不思議と気まずくなかった。

「今日は……少し、賑やかですね」

 彼女の言葉に、周囲を見渡してから頷く。

「ええ。この時期は、どうしても」

「お忙しそうですね」

「そう見えますか」

 口にしてから、前回と同じ返しだったことに気づく。

 彼女が、少しだけ笑った。

「前も、そうおっしゃっていました」

「……覚えていてくださったんですね」

「ええ。印象的でしたから」

 その言葉に、どう返すのが正しいのか、迷う。

 あんな場面は、早く忘れてほしかった。

 少し間が空いてから、言葉を足す。


「今日は、お一人ですか?」

「父が、向こうに……」

「そうでしたか」


 当たり障りのない会話。

 それで十分だった。

 約束をしたわけでもない。

 次に会えると確かめたわけでもない。

 それでも、彼女とは、こうして何度も言葉を交わすことになるのかもしれない。

 そんな予感が、静かに残った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ