そうして夜は明けた 後編
「君は何をするために入って来たの?」
鼻血を出しながら疲れ切った顔で仰向けに寝転ぶ片瀬獅音に真太郎はやけに冷め切った瞳をして問い掛けた。
「…俺は__」
あの時、自分はなんて答えたのだったか。今となってはもう思い出せない。ただ分かるのはこの会話が歩本真太郎との最初で最後の会話だったことだけである。
「君は何をするためにそこに入ったの?」
米神に蹴りが綺麗に入って一瞬、視界がぐらついた時。真太郎は片瀬に問い掛けた。
昔と変わらない冷め切った瞳、でもその中にはあの時には無かったはずの暖かな感情が芽生えていた。
「何を…?」
何をするために…? それはもちろん鵜沼の思想を信じて___いや、違う! もっと前だ。
___じゃあ、約束な!
___俺たちは___
「獅音!!」
聞き慣れた幼馴染みの声が聞こえた。振り返って見れば炎児が立っていた。
「俺たちはっ!! 誰かのために強くなろうって! 決めただろ! 言い出しっぺのお前がやらなくてどうする!!」
あぁ、そうだ。そうだった。あの日、クラスのいじめっ子たちに立ち向かったあの日、私はお前と、そう約束したんだった!
「…っ、あぁ!!」
◇◆◇
「あいつ、ちょームカつく!!」
落ちていた木の枝を持って背の高い草を叩きながら茜色の空に向かって叫ぶ。木の枝を持っているからか、少しだけ勇者の気分だ。
「まぁまぁ、そう言うなって」
後ろで歩きながら宥めるように言うのは獅音だ。
「だってさぁ! あいつ、誰も逆らって来ないからってずっと佐助のこと虐めてんだぜ?」
「だから言いたいこと言ってやったんだろ?」
「そうだよ。ありがとう炎児くん」
獅音に続くように言うのは佐助で、俺たちが来る前まで耐えていたらしい頬の怪我が痛そうだと思った。佐助とは正直この時まで話したことは無かった。だから、どんな奴かは知らなかったけど猫のキーホルダーを付けているのをよく見かけたから猫が好きなんだと思ってた。
「…そーなんだけどさぁ、逃げたのが気に食わない! だって佐助に何も謝ってないんだ」
少しだけ視線をずらして、ぶすくれながら言う炎児に佐助は曖昧に何かを隠すように笑い、獅音は呆れた様子でため息を吐いた。
「炎児くんは誰かのために強くなれるんだね」
思えば、これが始まりだったような気がする。虐められていた佐助を助けた後に言われたこの言葉がある意味、俺にとっては信念であり呪いであった。
「___は?」
「だから、佐助が…自殺した」
苦しそうな今にも泣き出さんといった表情で絞り出すように言った獅音の言葉が信じられなかった。自殺の理由は虐めだった。小学生の時に佐助を虐めていた奴らが中学になって俺たちが別の中学に進学したのをきっかけにまた虐めていたのだという。小学三年生の頃から細々とでも続いていた三人での交流は中学二年生の夏を境にパッタリと途絶えてしまった。そして獅音はかつてとは違う道を歩み始めて、俺と獅音の道は完全に分たれた。
___炎児くんは誰かのために強くなれるんだね。
「キミは強いんだね」
疲れ切ったような声に現実に引き戻された。夏之助が炎児を見つめながら言っていた。
今、俺がやってることは、佐助を虐めている奴らと何にも変わらねぇんじゃないか、と感じた。
掴んでいた胸倉をパッと離すと夏之助は後ろによろけて尻餅をついた。
「それに、キミはとても優しい人だ」
自分の口からただ息が漏れる音がした。どうしてこいつはこんなにも殴られているというのに俺をそんな慈しむような目で見るんだ。その瞳に恐怖なんて一つもない。なんで、どうして、と疑問ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡った。
そして、また佐助のことを思い出した。佐助はよく何かを隠すように誤魔化すように笑っていることが多かった。笑って伏せられていた瞳を一度だけ見たことがあった。それは俺たちを慈しむような穏やかなそんな感情が籠っていた。
思い出してすぐ、俺は居ても立っても居られずに獅音の元へ走った。駆け付けた時には獅音は米神を蹴られてよろめいているところだった。何か、目の前の男に問い詰められているようだった。
ありがとう、佐助。お前のおかげで俺、獅音とちゃんと話をしないといけないと思ったんだ。今さら遅いって言われるかもしれない、罵られるかもしれない、それでもやっとちゃんとお前の死に向き合おうって思えたんだ。だから、俺に一回でもいいから、獅音とちゃんと向かい合って話すチャンスをくれないか?
「獅音!!」
俺は小学生の頃と負けず劣らずの大きな声で叫んだ。
「ごめん。俺、自分のことばっかで獅音だって苦しかったはずなのに何も解ってやれてなくて、お前をここまで追い詰めたのは俺のせいだ。許してほしいなんて思ってない。でも、お前が今まで何を想って今ここに立っているのか」
炎児は言葉を切って獅音の方へ一歩足を踏み出した。それを見た獅音は気まずそうに視線を横にずらした。炎児は言葉を続けた。
「全部聞くから、ちゃんと話そう」
真太郎はそれを見て出る幕は無いな、と一歩引いて夏之助を迎えに二人に背を向けて炎児がやって来た方へ向かった。
「……もう、無理なんだ。どれだけ頑張ったとしても、指の隙間から溢れて守りたいものは全部流れ落ちていくんだ」
炎児は口を開かず、次に獅音が口を開くのを待った。
「ずっとそうだった。どれだけ多くの人間を守ってもちゃんと守りきれていたのはたった一握りの人間しか居なかった。最初は努力の足りなさを疑った。だからもっと努力した。でも、守れなかったんだっ…! 諦めることもできなければ、また夢を追いかけることもできなかった。じゃあもう私はどうしたらいいって言うんだよ…」
思い出すものがあったのか獅音は握り拳を作って炎児を見た。その拳は震えていた。
「獅音は頑張ってる。ずっと見てきた俺が言ってるんだ。間違いない。お前がそうやって疲れ切る前にこうやってちゃんと話し合ってればよかったんだ。俺、やっぱ馬鹿だ。お前が居ないとどうしたら正解か分からないんだ。お前は誰も守れなかったって言ってたけど、俺はお前に救われてたし、佐助だって救われてたんだ、きっと心のどこかで」
炎児は迷子の子供ような顔をして諦観をその瞳に浮かべる獅音を力強く抱きしめて、幼い子供にでも言い聞かせるかのように背中を優しく叩きながら、染み込ませるように優しく、けれども確実に言う。
「お前が自分のこと信じられないって言うなら、何度だって俺が言ってやる『お前は頑張り屋のヒーローだ』ってな!」
獅音は嗚咽を漏らしながら泣いて炎児の背中に腕を回して、抱き締め返した。 獅音が膝をつくのと一緒に炎児も膝をついた。そうやって二人で一頻り涙を流したあと獅音は一呼吸置いてから口を開いた。
「次の佐助の墓参り…一緒に行かないか?」
「あぁ! もちろん!」
◇◆◇
「ねぇ、どうして鵜沼はそういう考えになったの?」
「違う!! 俺はお前の考えを継いだんだ!」
感情任せで後のことを考えない拳を捌いて腕を掴んで晃は鵜沼の頬に一発拳を入れる。殴ったと同時に腕を掴んだ手も離したから支えを無くした鵜沼はそのまま地面に転ぶ。口の中が切れたのか溜まった血を吐き出してまた立ち上がる。目はどこまでも黒く澱んでいて、でもやることに一直線なのがどうにも可哀想だと思った。
もしも、自分がもっとちゃんと夜噛連を纏め上げられていたのなら鵜沼がこんな風になっていなかったのでは無いだろうか。いや、でも無理だっただろう。どうしたって、あの時の夜噛連は圧倒的な指針を欲しがっていたのだから。
___ああ、これはボクじゃ纏められない。
過去にそう思ったことは何十回もあった。組織の中でも特に信頼を置いていた真太郎が抜けてしまった日から何度も何度も。それでもどうにかやって来た。そうやって無理に辻褄を合わせるみたいにやって来たからガタが出たのだ、きっと。
ボクが、今までの夜噛連のリーダーが望んできた争いの必要ない温かな平和を作るというのは、暴力をただ振るいたがる人間たちによって壊されてしまった。真太郎もきっとこれに見切りを付けてしまったのだろう。
せめてボクがちゃんとしていれば良かったのに。無理だったんだ。ボクには人の上に立つということが出来るほどの器が無かったから。
「やめる」と言った日のことはよく憶えていない。寂しがるような声を聞いたような気もするし、歓声のような声を聞いたような気もする。
あの時の鵜沼はどんな顔をしていただろう。喜ばしい顔でもしていたのだろうか。
「…ごめんね」
謝ると鵜沼は思ってもみないことだったのか、目を見開いて唖然としたような顔だった。
「…違う。謝って欲しかったんじゃない」
鵜沼が顔を伏せながら、なんとか呟いた言葉を静かに聞く。何度も言葉を続けようとして続かない中、違うのだと癇癪をこした子供のように泣きながら掴んだ腕を振り解こうとするのを振り解かれないように握り直す。
「あなたに謝って欲しかったんじゃない。ただ、帰って来て欲しかった」
あの日、ボクが抜けると宣言した日。鵜沼は寂しそうな表情で涙を流さないように必死に堪えていたのだ。
「俺、あなたに憧れてた」
はっきりとボクを見て言う鵜沼の独白の続きを待つ。さっきまでの喧騒は無く、冷え冷えとした夜の寒さだけが広がっていた。
「初めて会った日から俺の命はあなたのためにあるのだとすら思ったこともあるくらいには。あなたが抜けて俺がリーダーになって、同じようにしてもできなくて、結果楽な方に流れた。あなたはいつだって考え続けていた」
一呼吸置いて鵜沼はさらに続けた。
「………あーあ、俺、どこで何を間違えたんだろうな」
ボクは鵜沼の腕を掴んでいた手を離して、一生出ないであろう鵜沼の問いに自分の答えを投げ付けてやる。
「鵜沼はよく頑張ったよ。ただやり方を間違えただけで。変わるのって意外と簡単だよ、結局のところ人との縁なんだからさ。ボクだって簡単に変われたしね。何が言いたいのかと言うとまだ鵜沼はやり直せるよ。変な楔は忘れて好きに生きなよ」
言うだけ言ってボクは鵜沼に背を向けた。後ろから「……なんだよそれ」って言う鵜沼のやや掠れた声が聞こえたが、ボクは仲間の元へ足を進めた。
◇◆◇
「蟻都くん!」
響いた足音で目を開けるとそこに居たのはあつ子だった。「なんで」「どうして」と疑問が頭の中をぐるぐると巡るが、彼女はそんな僕の状態なんてお構いなく近付いて来ると正面にしゃがみ込んだ。夜噛連としての白く分厚い生地のパーカーはところどころほつれていたり、汚れていたりした。
僕を起こそうと手を伸ばしてきた彼女の小さくて細くて繊細な手をやんわりと握って押し返す。ただ純粋で明るく底無しの笑顔を持っていて、今でもその笑顔を讃えておくべき彼女にこんな自分が元より近付いて良いはずが無かったのだ。
謝ろうと口を開くと、彼女は離した僕の手を握りしめて別れたあの時よりもずっとはっきりとした声色で言った。
「私、怖かった。鵜沼がリーダーになってからどんどん変わっていく夜噛連が、私が大好きだった居場所で私だけが変われずにいることが。それに蟻都くんに逃がしてもらった時もずっと怖かった」
あつ子の視線は櫛田の目からゆっくり下がって行ったが、また視線を櫛田に戻して続けた。
「でもね、もっと怖いと思ったのは弱い私が何もできないまま蟻都くんが死ぬこと。だから、蟻都くんを助けに来たこと後悔してないから。絶対に謝罪なんて受け付けてあげない」
何時振りに見ただろうかってくらいに自信満々な、まるで悪戯が成功して嬉しそうにする子供のような笑顔。本当は「二度とそんな危ない橋を渡ろうとしないで」なんて言って説教垂れてやろうかと思ったけど、彼女の笑顔に全部引っ張られて忘れてしまった。その代わり、口を吐いて出たのは「お転婆姫だね」で彼女は数回瞬きをすると楽しそうに笑った。
僕は君を守れただろうか。
あつ子に支えられて立った櫛田が目線を上げた先には仲間と談笑する晃だった。
「ありがとう」
ボソリと呟いた櫛田の言葉は本人に届いたのかなんて分からないくらい小さなものだったが、晃はふっと後ろを振り返った。しかし、その先に確かに居たはずだった櫛田とあつ子は居らず、ただの静けさだけが残っていた。それでも、暗く重い静けさではなくてずっと軽いものだった。
ある男は理想に苦しみ、
ある男は理想を追って裏切り、
ある男は思想に魅せられ、
ある男たちは親友に呪いをかけられ、
ある男女は全てを壊したかった。
____そうして彼らの夜は明けた。
カーテンの隙間から見た空は夜を退けるように明るく染まり始めていた。思い出の終わりと共に朝が来るとは…なんて思いながら、カーテンを全開にして朝日を見る。不安なんてないくらい眩しい光だった。
するとちょうど玄関のチャイムが鳴った。ドアスコープを除けば立っていたのは晃と真太郎と穂彦だった。スコープ越しに笑顔で手を振っている。ドアを開けると「来たよ〜」とか「お邪魔しまーす」とか「意外と広いね!」とか口々に言いながら三人とも押し入るように入って来た。
いつもなら怒るところなのだが、今日はなんだか笑ってしまった。
「どうしよう…夏之助が笑い始めちゃった…」
「頭おかしくなっちゃったんじゃない?」
「それか変なものでも食べて…?」
こいつら失礼だな、と思ったもののあの高一での出来事を思い出してからこんな気の抜けるような会話を聞いてしまえば口からは笑い声しか出なかった。
「本当になんで笑ってんのさ?」
晃が怪訝そうに聞いてきた。だが、残念なことに理由はない。
「いや、なんか面白くって!」
これにて、本編は終了となります。
以降は後日談や番外編となります。




