表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

第七話 偽りなき赤とマッチ売り

「おや、こんな夜に淑女がひとり。まったく危険じゃあございませんか」


 夜闇に沈むリンクス通りに、赤いマントがヒラリと舞った。

 大きなフードを目深に被り、マントによって輪郭がぼやけた男は、隠し持ったナイフの感触を、指先で確かめる。


「ご婦人、どうされたんです。夜逃げか逢引きか、あるいはもっと危ない遊びを?」


「あらあら優しい殿方。こんな怪しい女を心配してくださるなんて、きっと本物の紳士ね」


「それじゃあ」と言って、古びた上着の女が立ち去ろうとするも、男が立ち塞がった。


「お待ちなさいな。あんた、まだ質問に答えてないぜ」


 鐘の音が、暗い路地裏を駆け抜けていく。今日もどこかで誰かが死んでいるのだ。

 動こうとしない男に対して、女は小さくため息を吐く。「いじわるな方」と笑いながら、サイズの合っていない上着の懐に指を入れた。


「じゃあ────────死んでもらおうかぁ!」


 男の足元を埋め立てていたレンガが、勢いよく砕け散る。

 赤いマントを翻し、男は粉塵の中に素早く紛れた。


「待ってたぜ、”マッチ売り”!」


「そういうお前は”穢れなき赤(レッドオブスルース)”。王室直属のエージェントだね!」


 真っ赤なマントは手練れの証。女王への拝謁を許された、諜報機関の構成員のみが羽織る象徴だ。

 今日を逃すわけにはいかない。決意を胸に、男は窓の縁を駆けあがり、瞬く間に二階建ての高さへ到達する。相手の武装を見定めるため、ナイフを構えて飛び降りた。


「腐った女王の下僕に会えるなんて光栄だ。あたしも有名になったものだよ!」


 金属の擦れ合う、甲高い音が塵を裂く。

 ナイフは寸分の狂いなく、その切っ先を心臓に突き立てたはずだが、男の眼前で小銃が銃口を晒していた。

 側面に刻まれたエンブレムは燃え盛る炎。死の媒介者にして武器商人たる”マッチ売り”のシンボルマークだ。

 男は大きく跳躍して、ニヤリと笑う。


「観念するこった。ここは包囲されてる。クライアント共々終わりさ」


 ”穢れなき赤”は、”マッチ売り”の拠点や下部組織をいくつも潰してきた。男が参加してきた作戦は、両手両足を使っても数え切れない。

 それでも、忌まわしい死神の活動は衰えなかった。火の無いところに火を点けて、火の有るところで火を増やす。頭目である彼女こそ、国に漂う黒煙の根源だ。


「包囲だって? そいつぁ何人だい。五人、十人、それとも百人か?」


「あんたが想像する以上さ」


「笑わせるんじゃないよ!」


 女が上着を脱ぐと、弾薬ベルトが露になった。”マッチ売り”が組織でなく個人の忌み名であった頃、あるいはそれよりさらに前。彼女の周囲には絶えず争いがあった。スラムの男たちは些細な事で殴り合い、女たちは罵り合っていた。

 だから、マッチ売りの女が最強の個(ワンマンアーミー)に拘りを持つのは、必然であった。


「しみったれの赤が何人いようと同じこと。全部蹴散らしてやるさ!」


「強がりはおよしなさい。ガキを失った今の”マッチ売り”なんざ、杖を奪われた老人みたいなもんだ」


 女は顔をしかめる。

 かつて、逃走の最中に死んだ構成員を思い出す。気まぐれとはいえ拾ってやったにも関わらず、恩知らずにも死んだ少年のことを。

 男が腰を落とす。その姿勢を見て、”マッチ売り”は直感的に、相手が打って出るのを悟った。


「お黙りよ。足手まといのガキなんざ、いるほうが邪魔ってもんさね」


「口だけなら何とでも言えるさ」


 壁面が爆ぜ、歪んだ鉄柵が路地に倒れ込む。迫り来る弾丸を捌きながら、”穢れなき赤”は突き進む。

 男は、路地裏を焼き尽くさんばかりの殺意を意に介さず、ナイフの切っ先へ意識を向けていた。そうするだけで、弾丸は男の身体を逸れていく。

 刃をあてる必要は無い。飛んでくる場所に、置いておけばいい。

 男は、そう教えてくれた師匠のことを思い出していた。


「クソ忌々しいね! あの女王に仕えているというだけでも吐き気がするのに、お前のやり方は無性に腹が立つ!」


「まるで見透かされてるようだろう────────なあ、ばあさん?」


 女は目を見開いた。

 彼女の年齢は、老人扱いするには若い。傲慢な女王によって家族を奪われた少女時代を、まだ鮮明に覚えている。

 そんな”マッチ売り”をいたずらっぽく「ばあさん」と呼んだのは、ただ一人。


「お前…………っ!」


 銃声が止む。

 女の身体に、ナイフが沈んでいった。

 倒れ込む彼女を抱きとめたのは、真っ赤なマントに身を包んだ男だ。流れ出る血が、”穢れなき赤”の衣服を黒く染めていく。フードの下に隠れていたのは、いくらか大人びた少年だった。

 女はその顔を覚えていた。初めて銃器を触らせた時の気後れした態度を、手料理を振舞ってやった時の笑顔を、人を殺す時の冷徹な眼差しを、はっきりと覚えていた。


「この、恩知らずの……ガキッ!」


「すまないね、ばあさん。こうするしかなかったんだ」


 数年前、”マッチ売り”に捨てられた彼を拾ったのは、”穢れなき赤”に所属していた師匠であった。少年はそこでナイフ捌きを学び、諜報員としての教育を受け。

 そして、女王の恐るべき野心を知った。


「安心してほしい。あんたの尊厳は、俺が守る。」


 少年、今や青年となった彼も、女のことを忘れた日は無かった。スラムの厄介者を温めてくれたのは、紛れもなく、一本のマッチだったのだ。

 彼は女王に忠誠を誓ってはいない。己を穢れなきなどと自称するつもりもない。厄介者と厭わず育てててくれた”マッチ売り”と、命を救ってくれた”穢れなき赤”の師匠に、恩を返すためだけにここにいる。

 彼に、選択肢は無かった。

 女の吐息が漏れ出た後に、焚火の爆ぜる音より小さな慟哭が、短く、路地を流れていった。


「……殺したのか」


 夜の路地裏に灯された、最後のマッチが消えた後、闇の中から出てきた同僚が、男に尋ねた。


「撃ってきたなら、やり返す他ないでしょう?」


「陛下はお怒りになるぞ。”オルキュロス”の血筋はこの者で最後なのだから」


 都市の片隅で二つの赤いマントが相対する。

 男は肩を竦めて、それから、自分の衣服よりも赤い空を見上げた。


「なに、滅びるんならそれまでの話。陛下の千年王国は、最初から馬鹿げた夢だったんですよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ