第三話 カメラマンと配信者
「どうもー! ナコトチャンネルのナコトでーす!」
橋の手すりに寄りかかりながら、エミリがはきはきと喋り出す。半円を描く綺麗な笑顔は、近所の奥様方から愛嬌があるとのお墨付きを得ている。大仰に手を振ると、ツインテールの髪がフリフリと揺れた。
彼女の一挙手一投足は、目の前のスマートフォンが漏れなく捉え続けていた。
「今日はですねー、なんと、なんとですよ。世界滅亡を配信していきたいと思いまーす!」
アキラは、画面の端を流れていくコメントをちらりと見る。盛り上げてくれる人、不謹慎だと騒ぐ人、見当違いの意見を残す人。内容は千差万別で、世界が滅ぶギリギリまで、インターネットは混沌としていた。
そもそも、どうしてこんな時までインターネットが扱えるのだろう。今から一時間後、人類は例外なく死に絶えるというのに、それでもインフラの維持に尽力している誰かがいることが、おかしな話にも思えた。
「おー、なんか、うん。空が赤いですねー……」
エミリが呟く。画角にすっぽり収まっている彼女の背中は、目の前にいる彼女より遥かに小さい。はるか遠くの何かを見ようと上体を傾け、二、三度ほど軽快に飛び跳ねる。
「えーと、うーん、そう、空が赤いんですよ!」
男は、カメラを放り出して頭を抱えたい衝動に駆られたが、ギリギリのところで踏み止まる。配信者が配信の意思を諦めない限り、カメラマンもまた、その役割を放棄してはならない。
「もう、地平線の向こうまでヤバいです! 地平線は高層ビルで見えないですけど……あっ、でもなんか、地平線の向こうまで紅色に染まるって、なんかエモくないですか!?」
エモくないし、不謹慎だ。
アキラはツッコミを入れようかとも思ったが、男の自分が口を挟んで、視聴者に変な勘繰りを入れられるのも嫌だったので、呑み込む。
彼の中にはすでに後悔が渦巻いていた。幼馴染のヨシミで付き合ってやったのは失敗だったかもしれない。
「あとは……まあ、なんか、そう、なんかおっきな穴が、空に浮かんでます……なんて、見ての通りですよね、エヘヘ」
「見ての通り」で実況を終わらせてしまう配信者に価値があると言えるだろうか。それを言ったら、赤い空のほうがよほど見た目通りである。
恐る恐るコメント欄を覗いてみる。意外にも「笑顔が可愛い」とか「照れてる?」というような、無難なリアクションばかりだ。世界の終わりに無名の配信者を見に来るような、インターネットの奇特なオタクたちにアキラは感謝した。
後はエミリが実況を放棄さえしなければ、配信の体裁は保てるだろう。わざわざ口出しすることでもない。そう思った。
「それじゃあー……あと一時間、みんなで静かに眺めていきましょー」
「天体観測でもすんのか?」
我慢ならず、ツッコミを入れる。
「ならアッくんも助け舟出して! 初めてで何を話していいか分かんないよー」
「そういうのは事前に考えてくるべき。常識的に考えて……」
「破っていこうよ、常識!」
「身に付けてないのに破れるわけないだろ」
アキラは内心で悪態をつく。今頃コメント欄で「男?」、「彼氏持ちだったんだ」といった流れになっているだろう。
そういった指摘や冷やかしなら微妙な空気になるだけだが、セクハラ系が来たらいろいろ面倒くさい。
「……じゃあ質問。世界が終わるってどういうことですか」
流れを変えようと思って、彼は仕方なしに質問を投げかける。
エミリは「そんなのみんな知ってるでしょ?」と首を傾げる。確かにそうかもしれないが、配信というのはそうじゃないだろうと、アキラは歯ぎしりをした。
「知らない人がいるかもだろ。もっと優しさを持てよ!」
「人って、ここには私とアッくんしかいないけど……」
「まず俺の名前を呼ぶな。次にもっと配信者としての自覚を持て。画面の向こうに人がいるのを忘れんな」
「やめてよ、私が天然キャラみたいじゃん。忘れるわけないよ」
「キャラではないだろ」
エミリは口元に人差し指を当て、小さく「うーん」と漏らす。
どうやらしっかり考えているらしい。幼馴染の成長に、アキラは心の中で涙を流す。行動力と計画性のバランスが崩壊していても、自分で解決しようという意思はあるのだ。
「……考えたら、私もよく分かんないや。ねぇねぇアッくん、どうして世界は終わっちゃうの?」
「よし、じゃあ今日は世界の終わりについて解説……って、馬鹿。俺はあくまでカメラマン。お願いだからコメントを求めるな」
「えぇー、いいじゃん。掛け合いっていうの? 相方がいると私も楽だよ。みんなもそう思うよねー?」
エミリは視聴者を巻き込み始めた。コメント欄を見るよう促す口ぶりに対して、アキラは躊躇いを覚える。内容によっては、エミリが悲しむかもしれないと思ったからだ。
しかし、幼馴染の期待に満ちた眼差しを前に、拒絶を選べるはずもなかった。
仕方がない。これも勉強。なんとなく配信というものをしてみたいなんて馬鹿げたことを言い出したあちらが悪いと、少年は自分を納得させた。
「カップルチャンネル? 爆発しろ」「アッくんの苦労人感」「アッくん頑張れ」「せっかくの終末なのでアッくんは貰っていきますね」「ナコトちゃんはポンコツかあ」
「……あれ?」
「ねえ、みんな何て言ってる?」
彼が予想していたより、反応は悪くなかった。なぜかカメラマンが応援されている状況に目を瞑れば、つつがなく進行しているとさえ言える。
アキラは少し拍子抜けしつつ、それならばと呼吸を整えた。
「配信主がポンコツだってよ」
「なにそれ、ひどい! 誹謗中傷だよ、開示請求して思い知らせよう!」
「開示されるのはお前のポンコツぶりだけだろ」
「アッくんまで敵なの!? うーん……だとするとちょっと劣勢かな……」
口をへの字に曲げ、エミリは顔の半分をはるか遠くの空へ向けた。生温かい風で髪がなびく。不気味な赤い空を背に、物憂げの色を湛える彼女の横顔は、確かに美人と表現して差支えがない。
美人なのだ。アキラの幼馴染は。この前に行った修学旅行先で、謎のナンパ師に絡まれた程度には。
少年はしばし、カメラに映る少女の姿を見つめてから、ようやく「俺は」とひねり出した。
「別に、敵じゃない。もしお前が嫌いだったら、世界が終わって時まで、こんなことに付き合ってない」
事情を説明した時の親が見せた表情を、アキラは覚えている。
それは「エミリちゃんが言い出したのなら仕方ないね」という生温かい保護者の面だった。それなりに長い付き合いの中で、彼はすっかり引率役というポジションを期待されるようになっていた。
不本意ながら、彼自身もそのポジションを嫌ってはいなかった。
「だからほら、配信続けるぞ」
見る見るうちに、エミリの顔つきが明るくなる。
さきほどの美少女はどこへやら、アキラの言葉に元気よく「うん!」と応え、カメラに向かって姿勢を正した。
「じゃあ改めて、まずは解説をお願いします!」
「……おっけー。じゃあまずは────────」
彼らは、終わりの迫る今を存外に楽しんでいた。




