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第十一話 ママとお客

 小さな鐘の軽快なリズムが、店内に響く。

 酒がずらりと並ぶ、カビ臭い木製カウンターの向こう側から、大きな影がひょっこりと姿を現した。


「────あら、お客さん?」


 扉を閉じながら入ってきたのは、冴えないサラリーマンといった雰囲気を持つ男だった。彼は薄暗い店内を眺め、それから声を掛けてきた人物────店主へ視線を移す。


「いらっしゃい。お客さんツイてるわね。今日は全部あたしの奢り。酒もツマミもタダよ」


「いえーい、キミちゃん太っ腹ァーッ!」


 店の隅、ソファに身体を沈めていた人物が酒瓶を持ち上げて、店主を称えた。

「客の前でうるさくしないで」と素っ気なく返すキミエに男が笑う。逆さまに持ち上げられたガラス瓶が、店のライトを反射した。


「旦那がごめんなさいね。いつもはこんなんじゃないんだけど……」


「いいじゃないか。今日ぐらいは好きにしたってバチは当たらんよ」


 キミエが呆れたように首を横に振るも、やはり男は酒瓶を呷る手を止めない。

 客はそれを黙って見つめた後、ようやくカウンター席に近寄った。「ご注文は?」という声かけに返事をせず、ただじっと俯いている。

 ああこれは、きっと何か嫌なことがあったんだわと、キミエは考えた。例えば、ガールフレンドに振られたり、仕事でやらかしたり、もしくはボーイフレンドに振られたり。つまり、顔も知らない誰かからの慰めを求めて、ここへ来たのだろう。


「どうしたの? 世界が終わりそうって顔してるけど」


 客は目も合わせようとしない。

 キミエは後ろを向いて、棚の隅から隅まで視線を走らせる。手に取ったのは、酒とグラスだ。辛気臭い男の前にそれを置いて、並々と液体を注いだ。


「お、でた。キミちゃんのお酒カウンセリング」


「大袈裟に言ってハードル上げないで。そんな大層なもんじゃないわ」


「いや俺はね、デッカい会社にいたから知ってるが、あそこのなんちゃらカウンセラーとかいうのより、よっぽどキミちゃんのほうがアテになると思ってるんだ」


「プロより優れてるわけないでしょ。あんたがその人と合わなかっただけよ」


 キミエはグラスを差し出して、辛気臭い男が反応するのを静かに待った。

 店主として、こういう客は何人も相手にしたことがある。彼らは傷付き、他者を拒絶するように振る舞いこそするが、本質的に、誰かとの交流を求めているからこそ、ここまで来るのだ。


「……ありがとうございます」


 酒をちびちび飲み始めた客に、キミエはにっこりと笑いかける。

 加齢のせいで、すっかり怖いという評判が定着してしまった笑顔だが、昔は愛嬌たっぷりだとよく褒められていた。


「人を、探してるんです」


 客がポツリと言って、再び酒に口をつける。


「恋人さん? それともお友達?」


「いえ、顔は知ってますが……他は何も知りません」


「名前も知らないの?」


「…………我々は、彼女をこう呼んでいました」


 オルキュロスノミコ。

 客が口にした単語に、キミエはこれっぽっちもピンとこなかった。

 耳慣れない単語を二、三度口ずさみ、どうせ聞き耳を立てているであろう旦那に「知ってる?」と声をかける。


「いやあ聞いたことは……ないんだがなあ。ううむ……」


「なに、奥歯に物が詰まっちゃった感じの言い方して」


「よく分かったな。最近虫歯の治療をしたんだよ」


「バカ」


 しかし、こんな時に人探しだなんて。キミエの心中に疑念が過る。同時に、客の素性に興味が湧いた。

 スーツ姿。七三の割合で分けられた前髪。髭は綺麗に剃られている。人相に特徴という特徴は無く、取り立てて不細工ではないが、目を引く程のハンサムでもない。

 客はむしろ、違和感を覚えるほどに平凡であった。


「その人、なんかやらかしたの」


「いえ、やらかしたのは私のほうでして」


「どーりで。やけに落ち込んでるなって思ったのよ」


 キミエは脳内で、犯罪の二文字を打ち消す。オルキュロスノミコが何らかの事件に巻き込まれているのかと警戒したが、様子を見るに、客は闇金やヤクザの構成員といった雰囲気ではなかった。


「私は……家業の関係で、ずっと巫女を探していました。それで先日、ここの近くで、ようやく彼女を見かけたのです」


「彼女ってことは女の子? 見つかってよかったじゃない」


「ただ、興奮するあまり……そのつもりは無かったのですが、強引に話しかけたせいで、ナンパだと勘違いされてしまったみたいで……」


 そこから色々あって、見失ってしまったのだという。

 自分の失態を思い出したのか、客はまたしてもがっくりとうなだれてしまった。


「また出会えるかもと思い、今日も探していたのですが、結局見当たりませんでした」


「うーん。残念だけど、諦めるしかないのかもね。縁が無かったのよ」


「でも、それじゃあダメなんです」


「そうは言ってもねえ……」


「彼女こそ、人類存続の鍵を握っているんですよ」


 話を遮るように短い歓声が上がり、キミエの旦那がいきなり立ち上がる。彼は「思い出した」と手を叩きながら、キミエの咎めるような目線も意に介さず、客の隣に座った。


「オオクロズ、オオクロズだよ!」


「なに、オオナマズ?」


「全然似てねえな。ほら、前に言ってただろ。モモネちゃんが────」


 小さな鐘の軽快なリズムが、キミエに来訪者の存在を告げる。差し込む光から隠れるように、客が背中を丸めた。

 旦那の話が気になるところだが、せっかく来てくれた客を蔑ろにするわけにはいかない。店の出入り口に向かって、彼は元気よく「いらっしゃい」と声を掛けた。


「コウタさん、いる? ちょっと車貸してほしいんだけど」


 息を切らした男────否、オカマが、挨拶も無しにズカズカと入り込んでくる。額に浮かぶ汗を拭い、カウンターに近づくと、ちらりと背後を見る。

 閉まりそうな扉を押さえ、遅れて入ってきたのは、年若い女だった。


「コータさん、車貸して!」


「おいおい……二人とも、どしたんだよ」


「このままじゃ私のせいで世界が終わんだよ!」


「ちょっとモモネ、落ち着いて」


 キミエは、入ってきた二人をよく知っていた。片方はこの店で働く従業員。もう一人は、従業員によく懐いている娘だ。


「コウタさん、動画配信とかって見る?」


「まあ、ぼちぼち……」


「ちょっとこれ見てくれる?」


「なあユキちゃん、何の話か教えてくれよ」


 ユキが差し出した携帯の画面に、これまた若い少女が映っている。

 見覚えのない子供だとキミエは思った。旦那も同じことを考えたようで、怪訝そうに眉をひそめている。


「前に話したわよね。モモネが修学旅行生を助けたやつ。それがこの子らしいの」


「あー、はいはい! そうだよ、俺もそのこと話そうとしてたんだ!」


「オオクロズって子だろ。オオクロズエミリ!」興奮気味に、キミエの旦那が名前を叫ぶ。彼はこの場にいる人々の顔を順に見て、それから満足げに一人頷いた。


「ほら、オルキュロスとオオクロズ、なんか似てないか?」


「全然似てないわ。オオナマズのほうが似てる」


「オルキュロスの巫女……」


 静かにしていた客が、口を開く。その視線は配信画面に釘付けだった。

 彼は、震える手で携帯を指さし「ここはどこですか!」とキミエと旦那に尋ねた。二人が答えられないでいると、次にユキとモモネのほうを見て、それから、言葉を詰まらせた。


「あ、あなたは……」


「おめー、あの時のナンパ野郎じゃねーか!」

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