9話
講堂の前に着くと、僕は、中に控えていた講師に話しかけた。
「あの…バッジを集めてきました」
僕は、森の中で男性から受け取った、二名分の腕章を、講師に手渡した。
「ふむ…二名分か…」
「た、足りなかったでしょうか…?」
時間管理役の講師は、ただ「他ペアから奪え」としか言っていなかったと思うけど…。
講師は、僕のほうを、改めて、値踏みするように見ると、答えた。
「いや、試験としては、合格だ。ただし、他のペアは、最低条件である二名分ではなく、もっと多くのバッジを巡って、奪い合いに興じている頃だと思うがね…」
なるほど…。僕らが集めたのは、あくまで、この査定を受ける上での、最低条件だったということか…。
でも、それって…。
横で黙って話を聞いていたセラが、静かに、しかし、鋭く、口を挟んだ。
「それは、生徒同士で、もっと争え、と言いたいのですか?」
講師は、セラの、あまりにも真っ直ぐな視線に、少し気まずそうにした。
「い、いや…。学びの場である、この学院で、そんな物騒な事を、我々が望んでいるわけではない」
ごもっともな意見だ。
ただ…。
「…彼らは、優秀な術師ですからね。将来的には、魔人族との抗戦に、所属する可能性も、大いにある。だから、今のうちから、実戦的な戦闘技術を、習得させたい。…そういうわけですよね?」
僕は、自分が感じていた、この試験の裏にある、本当の意図を、口にした。
講師は、僕の言葉に、隠すのを諦めたように、答えた。
「…そうだ。…もちろん、全員というわけではない。彼らが、それを望んだ場合は、我々も、その期待に応える。ただ、それだけのことだ」
「名誉、という名の餌を、ぶら下げて、ですか?」
僕の、そのあまりにも挑発的な言葉に、講師は、少しだけ、声を荒げた。
「…無才の君に、何がわかるというんだね。少し剣が振れるだけの君に、我々、術師が背負う、その苦悩の、何がわかるというんだ…!」
「…すいません」
「…わかればいい。…才能ある者には、それだけの役割が、この世界では課せられる。ただ、それだけの話だ。君は、自分のことだけを、心配していればいい」
術師の才能がない者は、ないなりに、身の丈に合った人生を探せ。
その言葉は、僕の胸に、冷たく、重く、突き刺さった。
「わかりました…。では、このバッジは、お渡しします。それで、僕の、この実力査定の試験は、合格。ということで、よろしいでしょうか?」
「あぁ、問題ない」
そう言われ、僕は、まるで、その場から追い出されるかのように、静かに講堂を後にした。
帰り道、セラが、僕の心を気遣うように、静かに言い出した。
「…さっきの講師が言ったこと、別に、気にしなくていいと思う。アルスは、何も悪くない。ただ、本当の事を言われて、ちょっと、頭に来て、八つ当たりしたかっただけだと思うよ」
「…そうだね。優秀な彼らが、この国家の、重要な防衛の要になる。講師たちは、それを斡旋し、育てなければならない。その重圧に対する、自身の不甲斐なさに、何か、動揺を感じているのかもしれないね」
「アルスは、将来、何がしたいの?」
不意に、セラは、僕にそう問いかける。
「…なんだろうね…。昔は、立派な術師になって、先生や、孤児院のみんなを支えたいって、そう思ってたけど…」
「…けど?」
「今は、何もないかな。村に居場所がなくて、この学園に来て、どうにか、ここに、新しい居場所を作るために、必死に頑張ってる。…そんな感じ、かな」
「そっか…」
僕の、あまりにも夢のない答えに、セラが、少しだけ、暗い顔をする。
その表情を見て、僕は、少しだけ、申し訳ない気持ちになった。
「…あ、でも、今は、親方の元で、鍛冶屋として働いているから、将来は、鍛冶師になるって手も…!」
僕のその言葉に、セラは、ぱっと、顔を輝かせた。
「ふふっ…。そうだね。アルスは、誰かと戦うより、そういう、何かを生み出す仕事のほうが、ずっと合ってると、私も思うよ」
そうだ…。
別に、戦うことだけが、全てじゃないんだ。
むしろ、生産職になって、安定した暮らしを手に入れるほうが、僕にとっては、ずっと、幸せな道なのかもしれない…。
「そうだね。…少しだけ、自分の進むべき道が、見えてきた気がするよ。ありがとう、セラ」
「どういたまして」
そうして、僕たちは、学園の正門の前で、立ち止まった。
「そろそろ、私も、自分の仕事に戻るよ」
そう言い、セラは、僕らに、ひらひらと手を振った。
僕らは、そこで別れた。
僕は、ひとまず、遅めの昼食を摂るために、一人、学食へと足を向けた。
胸の中には、さっきまでの重苦しい気持ちではなく、新しい、かすかな希望の光が、灯っていた。
学食で、いつものように、固いパンとスープだけの簡素な昼食を済ませた僕は、その足で、親方の待つ鍛冶屋へと向かっていた。
街はずれを歩いていると、開けた河川敷で、数人の子供たちが、木の棒を振り回して遊んでいるのが、目に入った。
どうやら、騎士ごっこをしているようだ。
一人が「魔人族の将軍」役になり、残りの子たちが、それを「騎士」として、取り囲んでいる。
長閑で、どこにでもある、ありふれた風景。
(僕にも、ああいう時期が…)
あぁ、そういえば、なかったか。
物心ついた頃から、僕は、いつだって一人だった。
もし、あの村で、僕に、少しでも魔術の適性があったなら。
グレンたちとも、対等な「友達」として、ああやって、笑い合える、少しは違った未来が、あったのかもしれない。
自分には、決してありえなかった、もしもの未来を見て、僕の心は、少しだけ、陰鬱な気持ちに沈んだ。
「親方、本日もお世話になります」
「よぉ、今日も来たか、アルスよ」
僕は、店のカウンターの内側に、学園のカバンを置くと、作業着に着替え、いつも通り、仕事を始める準備をした。
「毎日、荷運びと薪割りばっかりで、飽きねえか?」
ふいに、炉の火を調整していた親方が、背中を向けたまま、そんなことを言った。
「え?いえ、大丈夫ですよ。これが、僕の仕事ですから」
僕がそう伝えると、親方は、ようやく、こちらを振り返った。
「…ちったぁ早いが、今日から、お前に、鉄の打ち方を教えてやる」
「い、いいんですか!?」
「あぁ。お前が、薪を作ってくれるのも、資材を市場まで取りに行ってくれるのも、助かっちゃいるがな。それだけじゃ、いつまで経っても、ただの雑用係のままだ。お前が、簡単なナイフ一本でも、剣一本でも打てるようになれば、お前の、ちったぁ稼ぎにもなるかもしれねぇしな」
親方は、僕にそう言ってくれた。
でも、それは、きっと、僕に気を遣わせないための、親方なりの、不器用な優しさなのだろう。
親方が、ただの頑固な鍛冶師ではなく、王都でも指折りの、優秀な職人であることは、僕が今、腰に差している、この素晴らしい剣を見れば、一目でわかる。
街はずれの、こんな寂れた場所に店を出しているのも、高い賃料が発生する中央エリアに店を構えなくても、彼の腕を求めて、客が絶えないことの、何よりの現れなんだろう。
…でも、だからといって、その、あまりにも温かい善意を、僕が無下にする理由には、ならなかった。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます…!」
そう言って、僕は、その日から、親方から、鉄の打ち方を、日が暮れるまで、みっちりと学ばせてもらった。
すっかり、空が、茜色に染まった頃だった。
「よし、今日は、この辺にしとくか」
「はい!ありがとうございます、親方!すごく、勉強になりましたっ!」
親方は、汗だくの僕を見て、ニカっと、満足そうに笑った。
「おぅ。お前は、なかなか筋がいい。いずれ、必ず、立派な剣が打てるようになるだろうよ。…それまでに、お前が、どんな剣を相棒にしたいか、よく考えておきな」
「はいっ!」
お世辞なんだろう。
それでも、その言葉は、僕の胸の奥で、じんわりと、温かく響いた。
僕は、親方に、今日一番の、大きな声でお礼を言うと、心地よい疲労感に包まれながら、帰路についたのだった。
胸の中には、新しい「夢」の、小さな灯火が、確かに、灯っていた。
すっかり日も暮れ、月明かりが、ぼんやりと道を照らす。
僕は、人通りの少ない、河川敷の端を、一人、歩いていた。
昼間見た、騎士ごっこをしていた子供たちの姿を、ふと、思い出す。
(いつか、僕が打った剣を、あの子たちが、手にしてくれる日が、来るんだろうか…)
そんな、今まで、考えたこともなかったような、新しい未来を想像して、僕は、一人、小さく笑った。
その時だった。
目の前から、月明かりを背にして、一人の男性が、こちらに向かって、歩いてくる。
すれ違いざまに、会釈でもしようかと、顔を上げた、その瞬間。
相手が、穏やかな声で、僕の名前を呼んだ。
「やぁ、アルス」
「え?フレデリック…?」
僕は、驚きのあまり、思わず、その場で足を止めた。
声も、顔も、その輝くような金の髪も、間違いなく、僕の友人、フレデリックのものだ。
しかし、その姿は、僕が知っている彼の姿とは、あまりにも、かけ離れていた。
いつも身にまとっている、騎士見習いとしての、優美で、高価そうな服ではない。
洗いざらしの、麻のリネンシャツと、簡素なズボンを履いた、まるで、街のどこにでもいる、ごく、普通の青年。
その姿が、そこには、あった。
「ふふっ…驚かせてしまったかな。君が、昼間、僕に鍛冶屋の場所を教えてくれただろう?それで、そろそろ仕事が終わる頃かと思って、様子を見に来たんだ」
月明かりの中、フレデリックは、少し照れくさそうに、はにかむように笑う。
「…ただ、学院の、あの物々しい制服のまま、こんな街のはずれまで来るのは、少し…目立ちすぎるかと思ってね。だから、こんな格好で、来てみたんだ」
自分の、その質素な服装を、少しだけ、気にするように、フレデリックは見下ろした。
「変、かな?…私も、たまには、こういう普通の格好もするんだよ。騎士見習いとしての服も、もちろん好きだけど、こうして、誰にも『フレデリック』だと気づかれずに、静かな夜の街を歩くのも…悪くない」
そして、彼は、再び、アルスの顔を、真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、昼間、学園で見せる、誰もが憧れる「特別推薦枠のフレデデリック」の顔ではなく、ただの、友人を心配する、一人の優しい少年の顔をしていた。
「それより、アルス。今日の仕事は、どうだった?疲れてはいないかい?」
「そ、そうなんだ。まさか、こんな遅くに、わざわざ来てくれるとは思わなかったよ。…夕飯とかは、もう食べた?」
フレデリックは、僕の問いに、あぁ、と少し困ったように、でも、どこか嬉しそうに笑った。
「あぁ、心配してくれてありがとう。夕食は…まだなんだ」
彼は、少しだけ、気まずそうに視線を逸らす。
「実は、君が仕事を終える時間を、ここで待ちながら本を読んでいたら、すっかり、こんな時間になってしまってね。…学院の食堂は、もう、閉まっている頃だろうし」
そして、ふと、僕の表情を窺うように、尋ねてきた。
「…君は、もう食べたのかい?もし、まだなら…その…」
彼は、何か、言葉を選ぶように、少しだけ躊躇った後、意を決したように、僕の目を真っ直ぐに見た。
「良かったら、どこか、夜でも開いている店で、一緒に食事でも…どうかな?もちろん、支払いは、私がするから。…君の、今日あった、新しい仕事の話を、ぜひ、聞かせてほしいんだ」
その表情は、いつもの、完璧で、そつのない笑顔ではなかった。
どこか不器用で、断られたらどうしよう、という不安が滲んでいて、でも、心の底から、僕を誘ってくれているのだと分かる、そんな顔だった。
僕は、その誘いを、喜んで受けることにした。
「お、お金は大丈夫だよ!今日、初めて親方から給金をちゃんともらってるんだ。そうだね、うん。夕飯、一緒に食べようか」
僕のその言葉に、フレデリックの表情が、ぱっと、花が咲くように明るくなった。
「本当かい?それは…嬉しいな」
彼は、心から、そう言った。
「でも、君の給金を使わせるわけには、いかないよ。それは、君が、今日一日、汗水たらして稼いだ、大切なお金なんだから」
フレデリックは、優しく、でも、どこか頑なな様子で、首を横に振った。
「…それに、今日は、私が、君に会いたくて、勝手にここに来たんだ。だから、せめて、そのお礼として、食事くらいは、私に払わせてほしい。…ね?」
そう言って、僕らが自然と並んで歩き出すと、フレデリックは、楽しそうに続けた。
「この辺りで、夜遅くまで開いている店…。確か、広場の近くに、温かいスープと、肉料理が美味しいと評判の店があったはずなんだ。そこで、いいかな?」
月明かりの中、並んで歩きながら、フレデリックが、ふと、思い出したように尋ねる。
「…ねぇ、アルス。今日、親方から、鉄の打ち方を、初めて教わったんだろう?どうだった?楽しかったかい?」
その瞳には、純粋な好奇心と、友人が、新しい一歩を踏み出したことを、自分のことのように喜んでくれる、温かさが宿っていた。
僕は、その温かさに、胸の奥が、じんわりと、熱くなるのを感じていた。
「楽しかった…かな?…うん、楽しかった、と思う」
僕は、自分でも、まだ整理しきれていない気持ちを、確かめるように、ゆっくりと口にした。
「将来、自分の剣が、自分の手で打てるようになるかもしれないっていう、ワクワクする気持ちと…。これで、ようやく、僕も、自分の力で、将来、食べていけるようになるかもしれないっていう、少し、安心したような、希望みたいな気持ちも、混じってて…」
フレデリックは、そんな、僕の、とりとめのない言葉を、一つ一つ、丁寧に拾い上げるように、静かに聞いてくれていた。
そして、全てを受け止めるように、優しく、微笑んだ。
「…そうか。それは、本当に、良かった」
彼は、少しだけ、夜空を見上げてから、静かに、言葉を続けた。
「『剣士』である君が、自分の振るう剣を、自分の手で打つ。…それって、すごく、意味のある、尊いことだと思うんだ。多くの魔術師は、自分の力は、生まれつき与えられたものだ。でも、君は、これから、自分の相棒となる武器すらも、自分の手で、努力して、生み出すことができるんだから」
少し歩いてから、彼は、また、ぽつりと、続けた。
「…私も、将来は騎士になりたい、と君には言ったけれど、正直、その夢が、本当に叶うかどうかは、分からない。特別推薦枠だからといって、未来が約束されているわけじゃないんだ。…でも、君には今、目の前に、確かな技術を教えてくれる師匠がいて、学ぶべき場所がある。それは…少しだけ、羨ましいな」
そう言って、フレデリックは、ほんの少しだけ、寂しげに笑った。
僕には、その笑顔が、彼が、普段は見せない、本当の心の内を、少しだけ、見せてくれたような気がして、なんだか、無性に、嬉しかった。
「ごめん、変なことを言ってしまったね。…でも、君が、新しい道を見つけたことが、私は、本当に、心の底から、嬉しいんだよ、アルス」
ちょうどその時、僕らの目の前に、広場の喧騒と、温かい光が、見えてきた。
フレデリックが言っていた、レストランの明かりだ。
「さ、着いたよ。今日は、君の、新しい、輝かしい一歩を、二人で祝おう」
彼は、そう言って、僕の背中を、ポンと、優しく押してくれた。
その手の温かさが、僕の、これからの道を、照らしてくれるような、そんな気がした。
(第9話 完)




