20話
セラが僕の新しい部屋を訪ねてきた、あの日から、十日ほどの時間が経過していた。 僕は、相変わらず、毎日、親方の元で、鉄を打つ仕事をしていたのだが…。
「なんでぇ、アルス。また、浮かねえ顔しやがって。なんだ、また、何か悩み事か?」
たたら場で、短剣を打っていた僕に、親方が、呆れたように、声をかけてきた。
「い、いえ、別に、悩みって程じゃ…」
そう、答えたのだが…。
「…お前の打つ、その刃に、迷いが出てんだよ。どれ、言ってみろ?誰かに話せば、少しは、気も晴れるかもしれねぇぞ」
そう、優しく促され、僕は、親方に、最近の出来事を、相談してみることにした…。 あれから、ほぼ毎日、セラが僕を訪ねてくること…。 そして、肝心のフレデリックは、せいぜい、三日に一度くらいしか、顔を見せに来ないことを…。
「…なんでぇ…。どんな、深刻な悩みかと思ったら、あの、威勢のいい嬢ちゃんが、毎日、お前に会いに来るって、ただ、それだけじゃねぇか」
親方は、心の底から、呆れた、という目で、僕を見てきた…。
「そ、そうは、言いますけど…。こんな、毎日、女の子が、僕みたいな奴の所に、訪ねてくるのなんて、生まれて初めてですし…。それに、肝心の、フレデリックに、この事を、相談したら…」
*
「…アルスは、セラが、毎日、君の元へ押しかけてくるのは、迷惑なのかい?」
フレデリックは、僕の悩みを聞いて、心の底から、不思議そうに、首を傾げた。
「別に、迷惑ってわけじゃ、ないんだけど…。仮にも、女の子が、一人暮らしの、男の家に、毎日、遊びに来るっていうのは、ちょっと、不用心じゃないかなって…」
フレデリックは、僕の、その、あまりにも初心な心配に、優しく、微笑みながら、
「それだけ、君のことを、信用している、ということじゃないかな…。あの、油断ならない、女狐は」
「女狐って…」
「まぁ、私としては、アルスが、少し、心配ではあるが。セラも、流石に、その辺りの常識は、弁えてはいると思うから、大丈夫だよ」
フレデリックは、そう、確信に満ちた様子で、言うのだが…。
「…何を、弁えてるっていうのさ?」
僕には、さっぱり、意味が、分からなかった。
「…アレも、一応、女だからな。君に、いきなり、襲い掛かったりは、しないだろう、ということさ」
セラが…僕に、襲い掛かる?
「え?何、それ?セラって、怒らせると、そんなに、怖い人なの?」
フレデリックは、何かを思い出したかのように、神妙な面持ちになった。
「ん-…。怖い…というよりは、ヤバい、感じかな?一度、キレると、自制が、全く、効かなくなる、そういうタイプで…」
フレデリックは、何かを、思い出したかのように、遠い目をして、苦笑した。
「げ、言動には、気を付けるよ…」
*
…と、フレデリックに相談したことを、そのまま、親方に、話した。
「こんな感じで、軽く、あしらわれてしまって…。僕、どうしたらいいんでしょうか…」
親方は、僕の話を、黙って、聞いていたが、やがて、軽く、頷いた。
「ま…色々、お前にとっては、好都合じゃねぇかよ、アルス」
「好都合…ですか?」
親方は、ニヤリと、意地の悪い笑みを、浮かべた。
「おめぇ、あの嬢ちゃんに、惚れてんだろ?」
「!?ほ、ほ、惚れてなんか、いませんよ!!」
「そうかぁ?おめぇさん、あの嬢ちゃんが、店の外まで、迎えに来てくれた時なんか、嬉しそうに、瞳を、キラキラさせながら、出ていったじゃねぇか」
うぐっ…。 三日ほど前に、セラが、仕事が終わる時間を見計らって、店の外で、僕を待ってくれていた時のことか…。
「あ、あれは、その、友人として、ですね…」
親方は、ニヤニヤと、楽しそうに、笑いながら、
「そうかぁ?まぁ、その、フレデリックだったか。そいつが、別に、あの嬢ちゃんの事が、好きってわけじゃ、ないんだろ?…なら、いいじゃねぇか。お前が、どうこうしようと」
「セ、セラには、僕なんかよりも、もっと、良い人が、いるはずなんです…。見つけるべき、なんですよ…」
僕から出た、精一杯の、抵抗の言葉だったが。
「はっ。それは、あの嬢ちゃん自身が、決めることであって、おめぇが、勝手に、決める事じゃ、ねぇだろ」
あっさりと、身も蓋もない、事実を、言われてしまった…。
「ま、これで、お前の悩みの、本当の方向性も、はっきりしたろ。ほれ、さっさと、仕事に、集中しろ」
「わ、わかりました…」
親方は、一度、カウンターの方に、戻ろうとしたが、ふと、何かを、思い出したように、振り返り、
「あとな、アルス。おめぇは、自分で、自分を、抑えちまう、悪い癖があるからな。自分に、もう少し、正直に、なりな?じゃねぇと、いずれ、必ず、後悔すんぞ」
そう、言い残し、親方は、今度こそ、カウンターの奥へと、戻っていった。
*
その日の、夕刻過ぎ。 店の扉が、チリン、と、音を立てて、開かれた。
「あっ、すいません。そろそろ、店仕舞いの時間で…」
「やぁ」
扉の前に立ち、ひらひらと、手を振ってきたのは、やはり、セラだった。
「おう、嬢ちゃんか。丁度、いい所に来たな。ちょうど、昼間、おめぇさんの話を、こいつとしててな」
「わー!親方、親方!!余計なことは、言わないでください!!」
親方は、半眼で、僕を見てきた。
「なんでい…。おめぇ、本当に、めんどくせえ、やっちゃな…」
危なかったか…。たぶん、この人は、僕が、セラに惚れてる、なんていう、碌でもない事を、彼女に、吹き込むつもりだったに、違いない…。
「で、嬢ちゃんは、また、アルスの、お出迎えかい?」
親方は、楽しそうに、セラに、問うた。
「…いや、今日は、この後、まだ配達の仕事があるから、無理なんだ。だから、今日は、バッカスさんに、お願いがあって」
親方は、不思議そうな顔をして、
「んぁ?この、俺にか?なんだ、新しい剣でも、欲しいのか?」
セラは、その、大きな体を、真っ直ぐに、見つめ、
「明日、アルスに、一日、お休みを、あげてくれないかな?」
「別に、構わねえが。それで、嬢ちゃんは、そいつと、どうすんだ?」
親方…。僕の明日の休みは、もう、完全に、セラのモノなんでしょうか…。
「買い物に、付き合わせたいの」
………なるほど。荷物持ちを、させたいのか…。
「はぁ…。わかったよ、セラ…。親方が、良いって言うなら、荷物持ちでも、なんでも、付き合うよ…」
「あん?デートか。いいじゃねぇか。行ってこい、アルス」
僕は、自分の、耳を、疑った。
「デート!?」
セラは、その言葉に、クスっと、楽しそうに、笑い、
「…それは、それで、面白そうだから、いいかもね」
そう、悪戯っぽく、答えるのだった…。
*
翌日
私は、自室の大きな鏡の前で、何度も、何度も、大きく深呼吸をして、必死に、荒れ狂う心を、落ち着かせようとしていた。 (落ち着け…。落ち着け、セラ…。大丈夫…。いつもの、完璧な、私に…) そうやって、普段の、冷静な仮面を、自分の心に、無理やり、付けようとしていた。
ここ最近、アルスの仕事場に行って、彼と、毎日、他愛もない会話を交わし、その日を終える。 そんな、穏やかな日々は、私の、ささくれ立った心を、予想以上に、充実させてくれていた…。 おかげで、「フレデリック」として、学院で過ごす時間も、以前のように、ボロが出ることは、なくなっていた。 なんだかんだ、私は、「アルス」という存在に、依存している…。 それは、もう、頭では、嫌というほど、理解している…。 彼の、あの、不器用な笑顔や、ぎこちない仕草が、なぜか、どうしようもなく、愛おしい…。 …それは、きっと、私の、心の奥底にある、「女」としての、本能が、くすぐられているだけなんだろう…。 だが…だが…
「…なんで、デートなんか、誘ったんだ…!この、馬鹿女が…っ!」
忌々しく、鏡の前に立つ、愚かな自分自身に、そう、問いかける。 昨日は、あれから、学院の、忌々しいレポートの提出期限日だった。 だから、昨日は、アルスと、夜、一緒に、過ごせなかったのだ…。 だから、その、埋め合わせになると、心のどこかで、無意識に、そう、思って。 学院が休みの日である、今日に合わせて、あの、バッカスさんに、アルスに、休みを与えるように、 ”なぜか…ごく、自然と、お願いしに、足を、向けていた…”
馬鹿か…。馬鹿なのか、私は…。 これは、恋心なんかじゃ、ないだろ…。ただの、醜い、独占欲を、満たすための、行為のはずだろう…。 …まるで、飼い犬が、他の、見知らぬメス犬に、粗相をしないように、ただ、仕向けるだけの、はずだったのに…。 予想外だったのは、あの、バッカスさんの、余計な一言だった…。 お人好しで、気弱なアルスなら、きっと、素直に、私の買い物に付き合わされて、ただの、荷物持ちでもさせられると、思っていたんだろう。事実、彼は、荷物持ちを、あっさりと、認めていた…。 だが、バッカスさんが…。あの、朴念仁の親方が…
『なんだ、デートか』
と、あっさり、言うものだから。 私も、引くに引けずに、
『いいかもね』
なんて、馬鹿なことを、答えてしまった… …なぜ、私が。 なぜ、この私が、アルスと、デートなど、することになったんだ…。 あいつは、私の、庇護対象で、所有物であって、決して、恋人なんかじゃない…。 私は、常に、あいつの上に、立っていたい…。 対等な関係なんて、望んでは、いないんだ…。 …お前は、もっと、醜くて、邪で、卑劣な、女だろ、セラ…。
そう、自分に、必死に言い聞かせながら、再度、鏡を、見上げた、その時。
「…っ!」
私は、思わず、鏡のすぐ隣の壁を、力任せに、殴りつけていた。
「…なんで、そんなに、嬉しそうな、顔、してるんだよ…」
一瞬、鏡に映った、自分自身の顔は。 私の、この、醜い心とは、裏腹に。 他の、誰よりも、今日の、彼との「デート」を、心の底から、待ちわびているかのような、そんな、愚かで、幸せそうな、表情を、していた。
*
私は、時間通りに、待ち合わせ場所である、広場の噴水前に、向かった。 そこには、私よりも、少しだけ、早く着いていたのであろう、アルスが、噴水の縁に腰かけて、ぼんやりと、空を、見上げて待っていた。 普通の、革のジャケットに、着古したキルトのシャツと、ズボン…。 どこにでもいるような、ごく、普通の少年…いや、もう、青年、か…。 そこには、そんな、飾らない彼が、待っていた…。
対して、私は…。 あぁ…本当に、自分が、嫌になるな…。なんなんだ…。こんなに、気合を入れた格好をして…。 私は、自分の、抑えきれない「女」の部分に、心の底から、嫌気がさしながら、ゆっくりと、彼に、近づいた。 彼の、背後から、声をかける。
「…待った?」
アルスは振り返り、
「あ、いや、ちょうど、今さっき、来たところだよ、セラ」
…最近は、後ろから、こうして、声をかけても、あまり、驚かなくなってきてるな…。 私の、この、気配の消し方に、慣れたのか。それとも、彼自身が、無意識に、私の気配を、察するようになってきているのか…。 どちらにしても、少しだけ、寂しいかもしれない。
そうこうしているうちに、アルスは、噴水の縁から、すっと立ち上がった。
「それで、今日は、どこに行くの?」
彼が、いつもの、あの、人懐っこい笑顔で、問いかけてきた。
「あ…ごめん、あんまり、考えてなかったや…」
朝の、私の、あの、どす黒い毒気が、彼の、その、屈託のない笑顔一つで、一気に、抜かれていくような、感覚になっていく…。
「そうなんだ…。にしても、セラ。今日の、その格好、すごい、似合ってるね」
「!?」
…確かに。 恐らく、今、私が持っている私服の中で、一番、気に入っている、一番、高価な服を、着てきてはいるが…。
「あれ…もしかして、その服、あんまり、気に入ってない、とか?それで、今日、新しい服とか、買おう、とか?」
「…別に、気に入ってはいるが…。ただ、アルスが、そんな、堂々と、『似合ってるね』などと、言うとは、思ってなかったから。少し、驚いただけだ…」
自分の顔が、熱くなっていくのが、分かる。 この、照れた顔を、彼に、見てほしくなくて、私は、思わず、顔を、背けてしまった。
「孤児院の先生がさ、『女性が、綺麗な格好をしている時は、変に勘ぐらずに、素直に褒めなさい』って、昔、よく言ってたから。だから、素直に、言うべきかなぁって」
「…それは…いい先生だな…」
良い先生ではあるが、その、教育方針は、少しだけ、見誤ってはいないだろうか…。
「そしたら、とりあえず、服でも、見に行く?」
私は、どうにか、呼吸を整えて、答えた。
「…そうだね。そう、しようか…」
それから、私たちは、服屋を、一緒に見て回った…。 時間を、忘れてしまうほどに、それは、楽しくて、穏やかな、時間だった…。
「セラには、こういう、少し、落ち着いた色の服も、似合うんじゃないかな…?」
私の、普段の好みとは、少し、掛け離れた服ではあるが。
「…アルスが、私に、それを、着て欲しいと、言うのなら、考えてなくも、ない」
普段の私からは、絶対に、考えられないような、言葉が、口から、出ていた。
「え…じゃ、じゃぁ、今度、ぜひ、着て来て、ほしい…かな?」
素直に、そう、伝えてくる、アルス。
「…う、わ、わかった…。今度、自分で、買って、着ていくよ…」
(何故、今、ここで買わないのか?なんて、もし、聞かれたら、どう答えるべきだろうか…) いや、彼なら、きっと…。
アルスは、やはり、私のそんな、複雑な心の内など、知る由もなく、ただ、嬉しそうに、微笑んだ。
「そっか。なら、期待してるね」
そう、言うのだった…。 いや、違う。 私は、彼に、そう言って欲しいと、期待して。 そして、その、期待していた通りの言葉が、返ってきたのだった…。 その事実に、私は、気づかないフリをした。
*
昼は、一緒に、ランチを食べた。 落ち着いた雰囲気の、カフェテリア。最近、街で見つけた、ずっと、気になっていた店だ。 周りの客からは、今の、私達は、どう、見られているのだろうか? 仲睦まじい、恋人か…。 あるいは、年の近い、姉弟か…。 それとも、ただの、友人か。
「セラ、ここのお勧めって、何か分かる?」
アルスは、そんな、私の、複雑な考えなど、知る由もなく、メニューを眺めながら、無邪気に、聞いてきた。
「…さぁ…。前から、気になっては、いたんだけど。なんだか、一人で入るのが、気が引けてね」
「そうなんだ。じゃぁ…」
…さて、何に、しようか…。 さっきから、頭の中で、変な考えばかりが巡って、自分が、今、何を食べたいのかが、よく、分かっていない…。 私が、店を選んでおいて、店員さんに、お勧めを聞くのも、なんだか、カッコ悪い気が…。
「すいませーん。今日のおすすめって、なんですか?」
アルスが、何のてらいもなく、そう、店員さんに、聞いていた。 (恋人、姉弟、友人…) (もう、なんでも、いいじゃないか…) (今の、私は、心の底から、素直に、この時間を、楽しんでいるんだ…) (…自室に戻った、未来の私が、あとで、どれだけ、この日のことを、思い出して、苦悩しようが、知った事か…) (苦悩したら、また、「アルス」に、会いにくれば、いいさ…)
「セラ、今日のお勧めは、Bセットの、煮込みハンバーグだってさ」
「ふふっ、なら、それに、しようか」
今は、ただ、素直に、この、穏やかな気持ちに、従おう。 何気ない、他愛もない会話しかない、時間ではあるが。 今の、私にとって、これが、一番の、安らぎであることは、確かだった。 アルスと、一緒に、ご飯を食べて。 また、再び、街を、ブラブラと、目的もなく、歩きながら、雑談を、楽しむ。 それが、どれだけ、今の、偽りの仮面を被り続ける、私にとって、貴重な時間なのか…。 今は、それだけを、理解して、この、束の間の幸福を、楽しもう…。
そんな、楽しい一日も、あっという間だった…。 ランチの後に、街中を、二人で、散歩して。 また、買いもしないのに、色々な、店を、見て回って…。 たまに、店の、人の良さそうな主人から、
「おや、若い二人は、デートかい?」
と、聞かれて。 私が、
「はい、そうなんです。デート、なんです」
と、悪戯っぽく、笑顔で答えると、隣で、アルスが、顔を真っ赤にして、狼狽える。
…あぁ…。 なんて、楽しい、時間なんだ…。 本当に、この、穏やかな時間が、一生、続けばいいのに…。 心の底から、そう、思える、一日だった。
そんな中、夕刻が過ぎ、街に、夜の帳が、下り始めた、その時…。 街に、異変が、起きた…。 突如、西の空が、昼間のように、白く、光り輝き、何かしらの、大規模な魔術が、発動したのであろう、空気が、ビリビリと、震える、前兆…。 その、直後。 全てを、破壊するような、大きな音が、王都中に、鳴り響いた。
「セラッ!!」
轟音と、衝撃波が、私達を襲う、その、寸前。 アルスは、私を、すぐに、庇うように、その、華奢な身体で、強く、抱きしめた…。
(…ホント、弱いくせに…) (こういう、とっさの時に、ちゃんと、男の子、するんだから、君は…)
そう、思った、矢先。 巨大な、光の奔流が、学院と、私達の、遥か後ろにそびえる、壮麗な王宮を、同時に、撃ち抜いた。 一瞬で、音もなく、瓦解していく、学院と、王宮…。
「…魔人族の、奇襲…?」
王都に、何重にも張られていたはずの、魔術防壁を、たった、一撃で、撃ち抜く、大規模な破壊魔術…。 こんなものを、発動させるには、相当な数の、生贄が、必要になるはずなのに…。 いつもの、国境での、小競り合いじゃなく。 本当の、戦争が、始まるんだろうか…。 私は、そう、冷静に、状況を、分析しながら、まだ、私を、強く、抱きしめてくれている、アルスに、話しかけた。
「アルス、もう、大丈夫だ。庇ってくれて、ありがとう」
照れ隠しをしながら、彼の、その、逞しい腕の中から、顔を、見上げた。 …あぁ…。 君は…。 そう…。だよな。
ガチガチと、恐怖に、歯の根が、合わず、震えながら、アルスは、ただ、崩壊していく、学院の、その一点を、見つめていた。 彼の、口から、次に出る言葉は…。
「フ…フ、フレデリックッ!!!!!!!」
…わかっていた…。 わかっていたよ…。 君が、一番に、心配する相手は、この、私なんかじゃ、ないってことくらい…。
アルスは、私を、腕の中から、乱暴に、解き放つと、今まで、見たことがないほどに、真剣な、絶望に満ちた顔をしながら、言った。
「セラッ!!君は、安全なところに、避難してくれ!!僕は、フレデリックを、探しに行く!!」
そう言って、アルスは、信じられないような、驚異的な速度で、瓦礫の山と化した、学院の方へと、駆けていった。
(…ホント…。君が、一番、大事にしてる相手は、今、目の前に、いるっていうのにさ…)
私の、その、華奢な手に、自然と、力が、入っていき。 気がつけば、爪が、手のひらの、柔らかい肉に、深く、食い込むほど、強く、強く、握りしめていた。 私は、ただ、茫然と、崩壊していく、学院を、背景に。 その、絶望的な光景の中へと、消えていく、アルスの、小さな、背中を、目で、追っていた…。
(第一部 完)




