18話
翌日
午後の講義が終わり、多くの生徒たちが、解放感と共に、賑やかな街へと繰り出していく時間。
その喧騒の中で、一つの噂が、まるで熱病のように、ささやかれていた。
アルスが、昨日、この魔術学院を、自主退学した、と。
一般生徒たちの間では、その話題で、持ちきりだった。
あの「狂犬」が野に放たれたのだ、と。
当然の結果だ、と。
これこそが、選ばれた者だけが、在籍を許される、この学院の、あるべき姿なのだ、と。
誰もが、口々に、そう、囁き合っていた。
その、無責任で、心ない噂の全てを、学院の中央広場、そのベンチの端で、一人の赤毛の少女が、ただ、興味なさそうに、聞いていた。
名は、レナ。
アルスと、二度、戦い、そして、二度、完膚なきまでに、敗れてしまった、『“優秀な”魔術師』と、言われている、少女であった。
どうやら、学院内での、公式見解は、こうらしい。
彼女は、アルスに、実力で負けたのではなく、彼の、卑怯な奇策によって、不覚を取っただけなのだ、と。
もし、正面から、正々堂々とぶつかれば、アルスなど、彼女にとっては、取るに足らない存在なのだ、と。
「…なんで、そんなに、あたしを、持ち上げたがるのかしらねぇ…」
確かに、ハッタリも、奇襲も、一切なしの、純粋な殴り合いなら、あたしが負けることはないだろう。
だが、アレは、実戦を想定された、命のやり取りにも等しい訓練だったのだ。
自分より、強いと分かっている、格上の相手に、果たして、真正面から、馬鹿正直に、ぶつかっていく馬鹿が、この世の、どこにいるというのだろうか。
アルスの、あの、友人を盾にする、非情な戦法も。
狂気とも思える行動も。
全てが、彼なりに、必死に、ただ、がむしゃらに、勝ちに、拘った、その、結果だったんだろう。
「…ホントに、ただの、剣士、なのかしらね…あいつ」
確かに、あたしの目には、彼の身体から、魔術の起動も、魔素の大きな流れも、何も、見えなかった。
ただの、剣士…。
だが、対峙した時の、あの、アルスの姿を思い出すと、とても、そうではない、と、何かの警笛が、心の奥で、鳴り響く。
「…呪い…でも、かかってんのかしらね」
いくら、試合で、不死の術式が掛かっているとはいえ。
躊躇なく、ミュウの腕を、斬り落とし。
あまつさえ、それを、動揺を誘うための、道具として、蹴り飛ばし。
そして、あたしのことも、真っ二つにする、あの、狂気とも言える、倫理観の、完全な欠如。
普段の、あの、自信がなさそうな、怯えた子犬のようなアルスからは、到底、想像も、できない。
「…ま、たまには、顔、見にいってやろうかしらね…」
そうだ。
まだ、あたしと、アルスの、決着は、ついていない。
今のところ、まだ、0勝2敗。ただ、それだけの、話だ。
あたしは、ここから、まだまだ、強くなる。
それを、いつか、あいつに、思い知らせてやりたい。
心の中の、ぐちゃぐちゃだった整理が、ついた。
レナは、すっと、ベンチから、立ち上がった。
「さてと…。夕飯でも、食べに、あたしも、出掛けますかね」
あいつは、もう、この学院には、いない。
でも、同じ、この、王都の街に、いるのだ。
きっと、また、どこかで、会える。
その時にでも、あたしの、この、成長した姿を、見せてやろうじゃないか…。
可能であれば…あの、フレデリック様と、共に。
少女は、吹っ切れたような、明るい顔で、夕暮れの、賑やかな街へと、一人、繰り出していった。
*
フレデリックは、その日の最後の講義が終わると、誰に声をかけるでもなく、早々と自室への道についた。
「あの…フレデリックさん、もし、良かったら、このあと私と一緒に食事でも…」
取り巻きの女子生徒が、勇気を振り絞ってフレデリックに話しかけるも、彼は、その存在にすら気づいていないかのように、一切無視して、ただ、前だけを見て歩き去っていく。
(うっとおしい…)
(なんだ、その、媚びるような眼は。一体、この私に、何を期待している…)
小声だが、絶妙に、耳に届く声で、さっきとは別の女子生徒たちが、ひそひそと話している。
「最近、フレデリックさん、なんだか、暗いよね~」
「あれじゃない?お気に入りの『ペット』が、自主退学したって、噂のやつ」
「えー…。あんなのの、どこがいいのよぉ…。女の子を、平気で斬り飛ばすような、『狂人』じゃないのよ」
(なんなんだ、お前らは…)
フレデリックは、その、あまりにも、下品で、心ない言葉に、思わず、足を止め、彼女たちを、心の底から、蔑むような眼で、睨みつけた。
「…うわっ…こっわ…」
フレデリックは、怯える彼女たちを、汚物でも見るかのように一瞥すると、その場を、足早に去る。
…私は、お前らのような、弱き者を、ただ、見下し、蔑むような、卑劣な連中とは、違う…。
お前らとは…。
お前らとは、違う。
その言葉が、まるで、自分に言い聞かせるかのように、フレデリックの胸の奥で、何度も、反芻していた。
*
フレデリックは、自室に、まるで、閉じ籠るように入ると、乱暴に、鍵をかけた。
そして、擬態を、解いた…。
重い鎧を、脱ぎ捨てるように、「フレデリック」という、窮屈な仮面を、剥ぎ取る。
その瞬間、彼女の心も、まるで、擬態が解けたかのように、抑えきれない、本当の想いが、溢れ出した。
(…辞めないで、くれないか…?君の、為なんかじゃない…。この、私の、為に。私の、傍に、ただ、いてくれないだろうか…?)
あれは、「フレデリック」が、私の、本当の言葉を、必死に、気高く、変換させて、彼に、伝えた言葉だ。
”あの言葉の、本来の、意味”は…。
(辞めないでよ…。君の為なんかじゃない。ただ、私の為に、私の、傍に、いてよ…)
あの時、アルスの目の前で、この、擬態を解いて。
ただの、「セラ」として、そう、言えば。
アルスも、私の、その、みっともない願いを、聞き届けてくれただろうか…?
「フレデリック」のような、完璧な、理想の人格ではなく。
こんな、不完全で、歪んだ、私の、本当の言葉なら…。
…アルス…
「…っ!!!ふっざけんなよっ!!」
セラは、怒りに任せて、テーブルの上にあった、ガラスのコップを、力任せに、壁に叩きつけた。
コップが、床に衝突し、派手な、甲高い音を立てて、粉々に、砕け散った。
「弱い、お前がっ…!!弱いはずの、お前が、なんでっ!!」
なんでっ!!
「なんで、『フレデリック』の、あの、完璧な言葉が、通じないんだっ!!」
「あいつの言葉が、通じないなら、この、私なんてっ!!!」
セラは、その場に、ずるずると、蹲った。
「私なんてっ…」
『フレデリック』なら、彼の決断を、尊重し、彼の未来を、慮っていただろう…。
…だが、私は、違う。私は、心のどこかで、彼を、見下している…。
あの、「狂犬」と、彼を蔑む、学院の連中と、全く、同じだ…。
「………そうだよ…。私も、『お前ら』と、同じなんだ…」
弱いモノを、庇護しているつもりになって、悦に入り、高みにいる気分になっている、私と、全く、同じで…。
だから、だろうか…。
彼が、私に、少しも、見向きも、しないのは…。
彼が、いつも、見ているのは、「フレデリック」であって、この、私では、ない…。
だから、なのか。
彼の、その、無垢な注目が、欲しくて、欲しくて、たまらない…。
…これは、商家の者として、生まれた、私の、資質、なのだろうか?欲しいものは、何がなんでも、手に入れる…。そして、手に入れたら、飽きるまで、愛でて、飽きたら、捨てる…。まるで、モノのように…。
「…違う…違うよ…。商家だからじゃ、ない…。これが…。この、腐った、性根が…」
…そうだ…。これが、私の、本質だ…。
容姿に恵まれ、家柄にも恵まれ、あまつさえ、才能にも、恵まれてしまった者が。
際限なく、強欲になり、まるで、自分は、天に愛された、特別な存在なのだと、錯覚したものの、哀れな、末路だ…。
それが、ただ、最初は、『可愛い』『子犬みたい』…そんな、庇護欲から始まった感情が、徐々に、
…『無能』『無才』『可哀そう』『私が、護ってあげなきゃ』『騎士である、私が』…
と、歪んでいき。
完全に、見下していたはずの相手から、全く、見向きもされない、この、屈辱…。
「…っ!!」
セラは、蹲りながら、力いっぱい、床を、叩いた。
衝撃と共に、手に、鋭い痛みと、痺れがあったはずだが、今の、彼女には、何も、感じ取れない。
…認めろよ…。
私は、アルスに、惹かれているんだ…。
女の身では、騎士にはなれない。
だから、偽りの『フレデリック』になった、私とは、違い。
彼は、彼自身の、たった一つの、力だけで、欲しいモノを、その手に、掴み取ろうとしている。
その、あまりにも、真っ直ぐな、姿に、惹かれたんだろ…。
恋心、なんていう、綺麗なものは、私には、わからない…。わからないが、これが、『執着』している、ということだけは、痛いほど、わかる…。
セラは、ゆっくりと、立ち上がった。
「…行こう…」
胸元から、アルスから、渡された、あの、住所が書かれた、小さな、紙切れを、見る。
…『フレデリック』は、もう、関係ない…。
本来、彼は、この世に、いない、架空の人物なんだ…。
…私が、演じていただけだ…。
なら、彼の隣に、本当に、相応しいのは、この、私では、ないだろうか…?
…彼が、憧れた、『フレデリック』の、本当の姿は、この、私なのだから…。それなら…。
自分の考えが、錯乱しているのは、重々、承知の上だ…。
だが、それが、今の、私にある、最大限の、行動力に、繋がるのなら。
今は、その、『狂気』に、この身を、委ねるのも、いいだろう…。
茶番は、ここまでだ…。
ここから、この、私と、アルスの、本当の、物語が、始まるんだ…。
彼女は、その胸に秘めた、歪んだ、しかし、純粋な想いを、原動力に、部屋を、駆けだした。
目的は、そう…。
『アルスの、新しい、住処』だ。
(第18話 完)




