16話
親方から、本格的に剣の作り方の手ほどきを受けてから、あれから、二週間ほどの時間が、経過しようとしていた。
僕は、あの日以来、学院には、週に一度しか、講義に出なくなっていた。
週に一度…。それは、退学にはならない、ギリギリの、最低限のラインだった。
代わりに、僕は、毎日、親方の元で、鉄の打ち方を学び、手解きを受け、僕自身の、初めての剣が、もう、完成間近にまで、迫っていた。
だが、僕が、学院に、ほとんど顔を出さない、ということは。
当然、フレデリックと、顔を合わせる機会も、激減していた、ということだ。
これでいい…。
これで、いいんだ…。
最初から、どこかの、ボタンの掛け違いで、偶然、出会えただけだったんだ。
彼のような、光の中にいる人が、僕みたいな、魔術の才能もない、日陰者のやつと、関わる必要性なんて、これっぽっちも、ないのだから。
僕と、関わることで、フレデリデリックの、学院での、その、輝かしい評判が、少しでも、下がってしまう。
それだけは、どうしても、避けたかった。
そんな事を、考えながら、炉の火を見つめている時だった。
「アルス、俺は、街に、ちと用事で出掛けてくる。悪いが、少しの間、留守番を、頼んでもいいか?」
「あ、はい!お気をつけて!」
親方にも、すっかり信用され、この店の一人の従業員として、扱ってもらえるようになった。
そのことが、僕には、何よりも、嬉しかった。
僕は、もう、あの、華やかな学院よりも、この、鉄の匂いがする、熱気に満ちた場所と、この仕事にこそ、自分の、本当の「居場所」を、感じていた。
親方が出かけて、少しした、その時だった。
店の扉が開けられ、チリン、と、小さな呼び鈴が、鳴った。
僕は、たたら場での作業を、一旦、中断し、店の、カウンター側へと、出た。
「いらっしゃいませ」
とびきりの、愛想笑いで、お客さんを、出迎えようとした、その時だった。
「…久しぶり」
そこにいたのは、あの、漆黒の髪を持った、少女、セラだった。
「…やぁ、セラ。久しぶり!」
僕は、一瞬で、溶けてしまいそうになった、作り物の愛想笑いを、もう一度、顔に、張り付けた。
「ちょっと…話せる?」
「う、うん。どうぞ」
僕は、カウンターの奥から、親方が使っている、簡素な造りの椅子を、引き出した。
椅子に腰かけたセラは、何か、考え込んでいるようだったが、すぐに、意を決したように、口にした。
「…その、フレデリックに、聞いたんだけどさ。最近、学院の講義にも、あまり、出てないようだ、って、すごく、心配してたよ」
…やっぱり、その話題か…。
「あ、あはは…うん。ちょっと最近、こっちの、仕事のほうが、立て込んでてね」
気まずい空気が、店の中に、流れる。
「…私で良ければ、相談に、乗ろうか?…きっと、フレデリックには、直接、伝えづらい事、なんでしょう?」
「い、いや。本当に、大丈夫だよ。そ、それに、ほら!僕なんかの、つまらない悩みを聞いたところで、セラが、フレデリックに、それを、上手く話せるかどうかも、分からないと思うんだよね」
僕を通して、きっと、フレデリックと、何か、話がしたいんだろうな。
でも、ごめん。セラ。
君の、その、切ない恋路は、もしかしたら、もう、僕は、応援してあげられないかもしれないんだ。
「…なんで、私が、アルスの話を、フレデリックに、言わなければいけないの?」
セラは、何か、言いたそうな、少し、むっとした顔で、僕の顔を、見た。
「………」
一体、何を、どう、伝えればいいんだ…。
「言いたいことがあるなら、はっきり、言ってよ。それに、別に、相談話をされたからって、他の人に、言いふらすわけ、ないじゃない」
い、言ったところで、君の、迷惑になるだけなんじゃないだろうか…?
「迷惑かも?って、考えてる?…それだったら、むしろ、何も言ってくれない方が、よっぽど、迷惑だよ」
僕の、考えていることが、丸分かりになるような、そんな、情けない顔を、していたんだろうか…。
あと、「言ってくれないと迷惑だ」とか、すごい、暴論な気もするが…。
でも、こういう、悪友みたいな、気兼ねのない会話も、いいかもしれない。
どうせ、もうすぐ、辞めるかもしれないんだ。
そうなったら、こんな風に、話せる相手なんて、誰も、いなくなってしまうんだし…。
「なら、少しだけ、相談に乗ってもらう前に、一つだけ、断っておくけど…。驚かないで、聞いてくれるかな?」
セラは、こくん、と、静かに、頷いた。
「どこから、話せばいいかな…。その…最近、フレデリックと、あまり、会えてなくてさ…。というか、彼って、本当に、すごい立場の人だから、僕みたいな、一般生徒なんかが、本来、気軽に話しかけられるような、相手じゃないんだよね…。だから…」
セラは、僕の、その、しどろもどろの言葉を、ただ、じっと、見つめながら、
「…だから?」
僕は、誠心誠意の、気持ちを込めて、彼女に、深々と、頭を下げた。
「ごめんよ、セラ!!君の、その気持ちとか、君の良い所を、これ以上、僕の口から、フレデリックに伝えるのは、もう、無理かもしれないんだっ!本当に、ごめん!!」
僕は、君が、フレデリックに、惹かれていることは、知っている。
そして、フレデリックと君が、恋人関係になって、幸せになってくれるなら、それが、僕にとっても、本当は、幸せなことなんだと、そう、思えたんだ。
…相手が、他の、ろくでもない男だったら、僕も、流石に、全力で、邪魔をしていたかもしれないけど。彼なら、大丈夫だ。
…これで、僕の、謝罪の気持ちは、伝わっただろうか?
僕に対して、落胆や、失望の念を、抱いてはいないだろうか?
僕は、恐る恐る、顔を上げて、セラの顔を、見た。
そこには…。
「………私も、今、なんて言えばいいのか、よく、わからないんだけどさ…」
セラの、心の底から、困惑した、という顔が、あった。
しかし、そこに、僕が恐れていた、落胆や、失望の念は、なく。
ただ、純粋に、困惑した、という顔だった。
「その…。本当に、フレデリックのことは、ただの、知人で、別に、恋愛感情とか、そういうのは、一切、ないからさ…。それに、私、こう見えても、結構、貪欲だから。欲しいモノがあったら、誰かの助けを借りずに、自分の力で、手に入れたい、っていうタイプの人間なんだよ。…だから、これ以上、君が、変な気を、遣う必要は、ないよ?」
彼女は、答えに、本当に、困りながらも、そう、丁寧に、答えてくれた。
…なるほど…。
確かに、セラは、僕とは、全く違う。
自分に、絶対的な自信がある、そういうタイプの人間だ。
スキルの特性だって、僕とは比べ物にならない、『魔剣士』だし、その容姿にだって、恵まれている。
…なんだ。
よく、考えてみれば、僕が、彼女の恋路の、手助けなんか、最初から、いらなかったんだっ…!
そのことに、ようやく気付いた僕は、胸の奥で、ずっと、つかえていた、大きなものが、一つ、取れたような、そんな、清々しい気持ちになれた。
「…」
でも、セラは、少しだけ、まだ、面白くなさそうな顔を、している…。
なぜだろう…。
…あぁ、そうか。見当違いの、恋路の話なんかを、長々としたから、さっさと、悩んでいる、本題を言え、ってことか…。
「あ、それで、その、相談っていうか、悩み事なんだけどさ」
「う、うん…」
僕は、一つ、深呼吸をした…。
「その…僕…近いうちに、学院を、辞めようと、思うんだよね」
「…え?」
ずっと、誰にも言えなかった、その言葉を、素直に、口にした僕は、セラの顔を、まともに、直視することが、できなかった。
「…元はといえば、ただ、居場所が欲しくて、学院に入っただけだったし…。今は、こうして、親方の元で、仕事にも、ありつけた。とりあえず、生きていくための、居場所は、出来たんだし。そう、考えてみれば、僕が、これ以上、学院に、固執する理由もないかなって、気づいちゃって…」
言えた…。
誰にも、言えなかった、僕の、本当の気持ちを、ようやく…。
僕は、すがすがしい気持ちで、やっと、セラの顔を、見上げた。
「………」
そこには、顔面蒼白で、完全に、固まった顔をした、セラがいた。
「セ、セラ!?大丈夫かい!?もしかして、体調、悪いのかい!?」
僕が、思わず、大声をあげると、セラは、ハッとした顔で、我に、戻った。
「や、辞めるって、学院を!?そ、その、フ、フレデリックは、どうするんだい!?」
フレデリック…。僕の、唯一の、友人…。
確かに、彼と、会えなくなることは、寂しい…。
でも…。
「大丈夫だよ…。フレデリックには、ちゃんと、最後に、僕の口から、言うつもりだったから…。それに、彼なら、僕がいなくても、いっぱい、友人は、いるはずだよ」
僕は、確信を、もって、そう、伝えた。
セラは、まだ、少し、体調が、悪いのか。
「そ、そうかい…。ありがとう…。ど、どうやら、学院に通っていない、私には、ちょっとだけ、手伝えそうにない、悩みのようだった、みたいだね…。…と、とりあえず、アルスが、学院を辞めたとしても、私は、また、アルスに、会いにくるからさ…」
ふらふらとした、覚束ない足取りで、彼女は、椅子から、立ち上がった。
…やはり、いくら強がっても、フレデリックとの、数少ない繋がりの一つを、失うことは、彼女にとっても、堪えるようだ…。
「送っていくよ」
セラは、僕の、その申し出を、こちらに、手のひらを見せる形で、弱々しく、断った。
「だ、大丈夫…。それに、アルスは、仕事中なんだから。お店に、誰もいない状況にするのは、良くないよ…」
「そ、そうだね…。帰り、本当に、気を付けて。…あ、そうだ。僕も、セラの悩みの中で、何か聞けることがあれば、今度は、喜んで、聞くよ」
心の底から…本当に、久しぶりに、僕は、自然な笑顔が、出た…。
…ありがとう、セラ…。
こうして、セラは、僕を、最後に、一瞥すると、ふらふらと、頼りない足取りで、帰り道についた。
…彼女は、強い子だ…。
きっと、大丈夫だろう。
僕は、そう、信じることにした。
私は、茫然と、帰り道を歩いていた。
(きっと、アルスの、あの性格のことだ)
私が、欲しいモノは、自分の力で手に入れる、と言った、あの言葉を。
彼の、あの、人の良すぎる表情から察するに、
(フレデリックの事は、私が、自身の力と魅力で、手に入れるから、アルスは、もう、何も心配しなくていいよ)
と、どこまでも、都合よく、解釈しているんだろう…。
あの場で、急に、アルスが、私と、私の恋路を、もう、応援できなくなった、と、心の底から、申し訳なさそうな表情で、伝えてくるものだから。
私も、何を、どう、返せばいいのか、頭が回らず、あんな、変な事を、言ってしまった…。
(私が、今、一番、欲しいものは、君の、心だというのに…)
あり得ない、失態だ…。
商家の娘として、生まれてきたくせに。碌に、欲しいもの一つ、交渉することもできないのか、私は…。
ただ、そんなことよりも、もっと、衝撃が大きかったのは、アルスが、この学院を、本気で、去ることを、考えている、ということだった。
確かに、アルスが、今、あの、くだらない一般生徒どもから、受けている扱いを考えれば、それも、当然のこと、かもしれない…。
(私…「フレデリック」が、傍にいるから、大丈夫だろう…)
と、どこかで、「フレデリック」の、その、カリスマ性に、頼りきりになってしまっていた、私の、完全な、失態だ…。
アルスが、例え、学院から去ったとしても…。
別に、あの鍛冶屋に、行けば、きっと、いつでも、会えるんだろう…。
「フレデリック」としても、この、私、「セラ」としても…。
きっと、変わりない、友情が、そこには、あるんだろう…。
無理やり、自分を、納得させようとしている…。
嫌だ…。
嫌だ…。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!!
アルスがいない、学院生活に、これから、一体、何の面白みが、あるというのだろうか!?
取り巻きの女生徒と共に、ひたすら、恋愛対象として、チヤホヤされ。
嫉妬深い、男子生徒からは、羨望の眼差しを受ける、「王子様」の役を。
これを、ひたすら、卒業まで、あと、何年も、演じ続けろと、言うのか!?
考えただけで、悪寒と、吐き気がする…。
私は、私と、対等に、話してくれる、友が、必要なんだ。
男女?性別の差?
そんなもの、知った事か…!知った事かっ!!
今、私が、この、息が詰まる学院の生活に、少しでも、華があるのは、アルスが、そこに、いてくれたからだ…。
拾った犬?ペット扱い?格下に見てる?蔑んでる?
いいじゃないか…。それでも、構わないじゃないか…。
そこに、確かに、彼を、愛おしいと思う、確かな「情」が、あるのだから。別に、それで、いいじゃないかっ!
私が、あれほど、自己嫌悪していた、醜い感情にも、ちゃんと、意味は、あったんだ…。
それが、アルスが、この学院から、いなくなる、という事実を知って、初めて…。
そんな、醜い嫌悪感なんて、どうでもいい、ということに、気づかされた。
無くなってしまえば、そこで、全てが、終わりなんだ…。
アルスが、学院を去り、鍛冶師を、続ける。
私は、彼の元に、足繁く、通うとしよう…。
しかし、そこには、もう、「学院の友人」という、共通の話題は、ない…。
…考えたくも、ないし、考えたことも、なかったが。
もし、アルスに、いつか、伴侶なんてものが、出来たとしたら。
そこに、私が、付け入る隙なんて、どこにも、ないじゃないか…。
アルスだって、もうすぐ、十七歳だと、聞いている…。
いつ、誰かと、結婚したって、おかしくない年齢に、なっているんだ…。
気づけば、そこに、当たり前のように、大事なものが、あったんだ…。
アルスと、私が、恋人関係に、なる?
そんなこと、考えも、しなかった。
単なる、可愛い、庇護欲をそそられる存在だと思っていた、彼に。
私が、恋愛感情なんか、持っているはずは、ないんだ…。
でも、もし、彼が、それを、望むのなら。
私は、それを、喜んで、受け入れようじゃないか…。
それで、いいじゃないか…。別に、そこに、恋愛感情が、なくたって…。
私には、彼が、必要なんだ…。
彼にも、私が、必要だと、言わせたい…。
「フレデリッック」ではなく、この、私、「セラ」が、必要だと、そう、言わせたい…。
「フレデリック」とは違い、完璧でもなく、呆れるほどに、不器用で、鈍感で。
そして、自分に対して、吐き気がするほどの、醜い感情を、持った、こんな、人間ではあるが。
それでも、彼に、「君が必要だ」と、言わせてみたい…。
…ようやく、自分の、本当の気持ちに、気付けたんだ…。
… ……… ……………
…流石に、今日は、一気に、疲れが、出てきた…。
一旦、部屋に帰って、シャワーでも浴びて、もう一度、策を、考えよう…。
…きっと…。
きっと…。
きっと、私の中にいる、あの、完璧な騎士、「フレデリック」が、この、どうしようもない状況を、どうにか、してくれるはずだ…。
本当に…。
今、この時だけは、「フレデリック」に、私の、この、心も、身体も、何もかも、全てを、預けてしまえれば。
こんな、くだらない問題、きっと、簡単に、解決してくれるのに…。
どうしようもない、無力感と、焦燥に、駆られながら、私は、また、あの、重い鎧を身にまとい、「フレデリック」になり、灯りの消えた、寮への道を、一人、歩き始めた…。
(第16話 完)




