馬車の中で
馬車は、村を出て森の道をゆっくりと進んでいた。
車輪の音と、馬の蹄が草を踏む軽やかなリズム。
揺れる窓の外には、朝霧に霞む木立が続いている。
車内は、ほどよく整った内装に革張りの座席。
向かいに座る青年、エリアスは、静かに窓の外を見ている。
深い青の髪と瞳。年齢は二十代といったところだろう。
その眼差しには、感情の起伏がほとんどない。
無愛想というよりは、必要以上に何も語らない印象だった。
カナは一度、視線を落とし、ためらいながらも口を開いた。
「……あの、王立学院って、やっぱりすごい所なんでしょうか?」
エリアスはほんの少し顔を向けた。
「……すごい、という表現は曖昧ですが。
精霊との契約適性を持つ者、特異な感応力を持つ者、王命によって推薦された者。
選ばれた者たちの学び舎であることは確かです」
それだけを言って、また視線を窓に戻す。
(……ううっ……会話が続かない……)
そう思ったカナだったが、不意に彼が付け加えた。
「あなたのような“聞こえる者”は、特に珍しい」
「……え?」
「王都にも、声を感じる者は稀にいます。
けれど、はっきりと“聞こえる”と証明された例は、何年かに一度あるかないか」
エリアスは淡々と告げる。
その瞳に浮かぶのは――ただ、静かな観察だった。
*
しばらく沈黙ののち、揺れる馬車の中で、カナはぽつりと口を開いた。
「……でも、不思議ですよね。
精霊と話していると、すごく楽しくて。
とても元気をもらえる気がします」
「……楽しい?」
エリアスが静かに問い返す。
カナはこくりと頷き、どこか嬉しそうな顔で続けた。
「はい。個性がありますよね。
姿も、とっても綺麗なんです。
光が透けて、花びらみたいに舞ったり……」
その瞬間だった。
エリアスの瞳が、大きく見開かれた。
「……姿が、見える?」
馬車の揺れが止まったわけでもないのに、空気がぴたりと凍りついたように感じられた。
カナは驚いて、思わずエリアスを見返す。
「え?
……はい。普通に。
って、私……何かおかしなことを言いましたか?」
沈黙。
その後、エリアスは小さく息を吐き、低い声で呟いた。
「……それは……ありえない」
「え?」
「いや、失礼。
だが……精霊と“会話”できる者は、何年かに一人いればいい方だ。
だが、それはあくまで、“声を聞き取る”という意味での会話。
言葉を投げても、返答など……」
彼は、口調を取り繕うのも忘れ、
信じられないものを見るような目で、カナを見つめていた。
「まして、姿が“見える”とは……精霊庁でも、ごく一部の聖域でのみ確認された、伝承上の現象だ。
……君は、本当にそれが見えるのか?」
「……はい。見えてます。
ずっと、当たり前のことだと思ってましたけど……」
カナの答えに、エリアスはしばらく言葉を失った。
彼の指先がわずかに震えていた。
「――それは、“視霊の才”。
……精霊の真形を認識できる、極めて特異な能力だ。
……いや、それ以上かもしれない。
もしかして、精霊の方から名乗ったり、君の名前を呼んだりも?」
「……え?
あ、はい。風の精霊シルヴィアが、カナ、って呼んでくれてますし、
風の子たちも同じように……」
その言葉に、エリアスの顔から血の気が引いていくようだった。
「……王立学園だけで済む話ではないかもしれない。
……いや、これは、陛下への直接報告事項になる可能性すら……」
エリアスは俯くとぶつぶつと呟く。
カナは、少し身を乗り出して聞く。
「あの、それはそんなにすごいことなんですか?
……私には、友達みたいな感じなんですけど……」
エリアスは返す言葉を見つけられず、ただ深く座席にもたれかかった。
精霊が自ら姿を現し、名を名乗り、言葉を交わす。
その奇跡のような事実が、目の前の少女にとっては日常――
「……精霊たちは、君に何を見ているんだ……?」
彼の声は、風に消されるほどに小さかった。
そして、馬車はそのまま森を抜け、徐々に王都への道を進んでいく。




