執務室で3
彼らを執務室に見送ってから、どれほどの時が過ぎただろうか。
沈黙だけが、ギルノードとレイナルトの間に、澱のように溜まっていた。
――ギイ……ッ。
扉のきしむ音に、ギルノードははっと顔を上げる。
「……エフィ」
呟きに応えるように、エフィは静かに頷き、一礼した。
「レイナルト殿下、お父様……。
……お待たせいたしました」
その一言に、ギルノードの喉が、ひくりと鳴った。
彼はレイナルトと視線を交わし、何も言わぬまま部屋へ足を踏み入れる。
ギルノードの視線は、抗いようもなくソファへと吸い寄せられた。
そこには立ち上がったジグがいた。
抑えきれぬ喜びを湛えた満面の笑みで、彼女は力強く頷く。
「……団長……っ!」
かつて黒く、醜く歪み、呪物と化していた左腕は、今、人の肌の色を取り戻し、確かに“生きた腕”として、そこにあった。
その光景を目にした瞬間、ギルノードは足を止める。
「あ、あ……」
声が、喉で詰まった。
その大きく、武骨な手が顔を覆った。
「そ……うか……! よか……った……っ!!」
続く言葉が見つからない。
やがて、かすかに震える声で、ようやく言葉を紡いだ。
「……カナ、様……ディオリア……様……っ!」
胸の奥から絞り出すように。
その声は、感情を必死に抑えながらも、僅かに揺れていた。
「……心からの、礼を……申し上げる……っ!」
深く。
ただただ深く、深く、頭が下げられる。
そして――。
ぽつり、と。
その瞬間、ギルノードの足元に、一滴の雫が落ちた。
彼はぐい、と親指で顔を拭い、その痕跡を無言のまま拭い去る。
誰も、何も言わなかった。
言葉は、必要なかった。
床にこぼれたその一滴は、絨毯に、音もなく、静かに吸い込まれていった。
*
「そん、なことが……」
しばしの後。
ソファーに腰を下ろし、腕を組んだまま、ギルノードは彼らの話に耳を傾けていた。
短く吐かれたその言葉には、安堵と、なお消えぬ緊張が混じっている。
室内には、先ほどまで満ちていた奇跡の熱が、淡い余韻となって残っていた。
レイナルトは、静かに視線をカナへと向ける。
「カナ。本当に、身体や魔力に問題は無いんだな?」
案じる色が滲む問いかけに、カナは柔らかな笑みを浮かべ、こくりと頷いた。
「はい、レイナルト様。
先ほどお伝えしたとおり、精霊石が砕けてしまいましたが……。
私自身は、何ともありません」
「そうか……」
レイナルトは小さく息を吐く。
「いや、心配していたからな。
精霊石は……残念だが、その役目を終えたのだろう。
カナに何もないのなら……良かった」
「ありがとうございます、レイナルト様」
その言葉に、カナは穏やかな笑みを返した。
ジグはその様子を見つめ、穏やかに目を細める。
そして、感謝を宿した微笑みをカナに向けた後、視線をギルノードへと移した。
「それで……団長。
呪いが解けたことですが、辺境伯領を離れるまで、周囲には伏せておこうと思います」
ギルノードは頷いた。
「ああ。そうだな。
下手に知られれば、変に勘繰られるからな」
「はい」
ジグもまた、静かに頷く。
そして、一拍の沈黙ののち、言葉を選ぶように続けた。
「それと……ご相談なのですが……」
「何だ」
促すギルノードの声に、ジグはまっすぐに顔を上げた。
その瞳が、わずかに光を帯びる。
「イリシャ様とリゼア様も……。
レイナルト殿下とエフィ様とご一緒に、来ていただくことは……可能でしょうか」
その言葉に、エフィは目を見開き、ギルノードはわずかに眉を上げた。
「……ほう?」
部屋の空気が、静かに張りつめる。
「……理由を、聞こうか」
ジグは、その視線を正面から受け止め、静かに息を吸った。




