執務室で
※解呪に際し、痛みの描写があります。
苦手な方は「*」以降まで飛ばして頂くか、次のページへお進みください。
カナの目に、呪いが見えた。
それは幾重にも絡み合う呪紋となって、黒く脈動しながら、今なおジグの魂を絡め取り、乗っ取らんと蠢いている。
「……ジグ様……」
カナの唇から、思わず声がこぼれた。
その視線を受け止めると、ジグは静かに頷いた。
「いかような苦痛だろうと……覚悟はできております。
……お願いします。聖女様……!」
「……わかりました。
では……いきます」
頷いたカナの手が、ジグの左腕に触れた瞬間ーー
「――っ、う、ぐあっ!」
弾かれたように、ジグの身体が跳ね上がる。
ジュウッ、という音とともに、腐臭が鼻をつく。
ジグの額には、一気に脂汗が浮かび、歯が強く噛み締められる。
顔を苦痛に歪めながらも、彼女は歯を食いしばって言葉を絞り出す。
「……っ、くっ……! な、んの……この程度……!
聖女様……続けて、ください……っ!」
カナは唇を引き結ぶと、再び、手に魔力を込める。
氷雪の指輪が応え、白く澄んだ魔力が溢れ出す。
それは澄んだ静けさを纏い、淡雪のようにジグの身体を包み込んでいく。
「ぐうっ……!」
悲鳴を噛み殺すような呻き声が零れる。
「ジグ様っ!」
ティリアは、弾かれたように駆け寄った。
ジグの震える右手を両手で包み込み、強く握りしめる。
「ジグ様、大丈夫です!
お傍におります! もう少しです!!」
「……あ、りがとう……ティリア、さ……ん……。
心強……い、よ……」
途切れ途切れの言葉。
それでも、かすかに笑みを浮かべようとする。
歯を食いしばり、ジグは耐え続ける。
(いけない……! このままでは……!)
エフィは即座に布を手に取った。
「ジグ様!
このままでは……舌を噛んでしまいます! 失礼いたします!」
そう告げると、ねじった布をジグの口元へと差し入れ、噛ませる。
その瞬間――
ひときわ大きな叫び声が、部屋を震わせた。
(……よかった。間に合った……!)
エフィは胸の奥で安堵しながら、ジグの身体を支える。
なおも続く過酷な解呪の行方を、二人は固唾をのんで見守っていた。
*
白い光が、限界まで膨れ上がった。
次の瞬間――弾ける。
同時に、カナの手の中で、精霊石がかすかな音を立てた。
「……あっ!」
細かなひびが走ると、亀裂は一気に広がり、音もなく、砕け散った。
蒼白の欠片は、光の粒となって宙を舞い、雪のようにジグの身体へと降り注ぐ。
黒く刻まれていた呪紋が、ゆっくりと崩れ始めた。
それはまるで、春の雪解け水に洗われる泥のように、輪郭を失い、薄れ、流れていく。
抗うように脈打っていた呪いは、次第に力を失い――
やがて、完全に消失した。
ジグの左腕から、黒は消えていた。
人の肌の色が、そこに戻っている。
呪物の気配は、どこにもない。
ジグは、呆然とその腕を見つめていた。
「ああ……」
震える声が、零れ落ちる。
「……私の、腕が……!」
その瞳から、大粒の涙が溢れ、頬を伝った。
喜びと、安堵と、長い恐怖が、いっぺんに溢れ出す。
長い年月、失われたと思い続けてきたものが、今、確かに目の前にある。
――だが。
腕は、力なく、だらりと垂れたままだった。
ジグは、息を呑む。
もう一度、動かそうとする。
それでも。
指は――ぴくりとも動かなかった。
歓喜の声は、喉の奥で凍りつく。
治ったはずの腕。
呪いは、確かに消えた。
それは、失われた時間と、蝕まれ続けた代償。
カナは、その光景を見つめたまま、動けずにいた。
精霊石を失った手が、微かに震える。
万能ではない。
奇跡には、限界があることを思い知る。
これは――始まり。
ここからが、ジグ自身の戦いなのだ。




