隊商主・ジグ2
ソファーに腰を下ろしたカナに、ギルノードが静かに顔を向けた。
「カナ様。この者は、先ほどはジグ・ダボットと名乗りましたが――。
真の名は、ジグレンツァ・ファルグレイスと申します。
かつて……私の下で、辺境伯軍の副団長を務めていた者」
その言葉に、カナは目を見開いた。
「え……辺境伯軍の、副団長……様、だったのですか……?」
「はい」
首肯したギルノードの表情が、わずかに歪む。
そこには、悔恨にも似た痛みが滲んでいた。
「彼女は“鋼の鷹”と呼ばれた、稀代の弓の名手でした。
風を読み、一矢で魔獣の眼球を射抜くほどの腕前。
……ですが」
遠い記憶をなぞるように、声が低くなる。
「我らの仲間を逃がすため、暴走した黒霧の魔獣に立ち向かい――。
その左腕に喰らいつかれ、呪いを受けました。
それが原因で、彼女は辺境伯領を去り、やがて隊商の用心棒となり、マスターにまで上り詰めたのです」
「え……?」
カナは再び目を見開く。
「あ、あの……失礼ですが、その手は……。お怪我、ではないのですか……?」
「はい……残念ながら」
「そんな……ことが……」
室内に、重い沈黙が落ちる。
「閣下……」
ジグが口を開くと、ギルノードは首を振った。
「ジグ。今は我々しかいない。畏まらなくていい」
「……わかりました。団長」
そう言うと、ジグはかすかに微笑んだ。
「聖女様」
その声は、穏やかだった。
「ジグレンツァという名を持つ者は、もう……死んだのです。
今の私は、ただの――ジグです」
彼女はそう言うと、自らの左腕を、軽く叩いた。
カン、カン――
金属の管を叩いたような、硬質な音が響く。
カナは、息を呑んだ。
「……以前は、ここまでではありませんでした。
それでも、何とか動いてはいたのです。
ですが今は……」
ジグは静かに視線を落とす。
「この腕には、もう血が通っていません。
石のように冷たく、固い」
静かな声が、淡々と現実を告げる。
「呪いは進みます。
いずれ、我が身をすべてを蝕むでしょう。
今の私は――ただの、泥袋の中でもがく、羽の折れた、名もない小鳥なのです」
そう告げてから、ジグはギルノードを見た。
「それでも、あの日の選択を、私は誇りこそすれ、後悔はしていませんよ。
――あれが、最善だったのです。そうでしょう? 団長」
「……ジグ……」
ギルノードの声は、掠れていた。
ジグは一度俯くと、再び口を開いた。
「……すみません。話を、戻しましょう。
……ゼンウェールの帝国監察官は小物ですが、とても狡猾、かつ策士です。
もし不測の事態が起きてしまった場合、この腕では……」
視線を伏せる。
「お一人なら、何とかなるでしょう。
ですが……レイナルト殿下とエフィ様、お二人をお守りすることはできません。
やはりこのお話――お受けするのは、厳しいと言わざるを得ません」
カナは、じっとその左腕を見つめていた。
呪い。
瘴気。
動かぬ肢。
――オルレーナの、あの足が、脳裏に鮮やかに蘇る。
(……どうしたら、いい……?
あの時は、リュファリア様がいた。アルヴェリオン様もいた。
エルハイムの魔力が満ちていた。
でも、ここはヴェルデン……)
無意識のうちに眉を寄せ、視線を逸らさず考え込むカナに、レイナルトが、そっと声をかけた。
「カナ……どうした?」
カナははっと顔を上げた。
「あ……すみません。なんでも、ありません」
(レーナ様の瘴気の時、とは違う……。
……考えろ、私! ジグ様を救う方法を……!)




