隊商主
執務室には、静かな時間が流れていた。
積み上げられた書類に目を落としていたギルノードの視界に、ふわりと淡い光が浮かび上がる。
(……エフィ、か?)
ギルノードは眉をわずかに動かし、指先に魔力を乗せた。
呼応するように光は揺らぎ、やがて輪郭を得て、声となる。
『……お父様。殿下と私で、ゼンウェールへ潜入希望。
至急、ジグ様にお取り次ぎを』
それだけを告げると、光は霧が散るようにほどけた。
執務室には、再び静寂が戻る。
「……」
(一体……国境の森で、何があった?)
ギルノードは椅子に深く身を沈め、天井を仰いだ。
古い梁の影が、日差しに揺らぐ。
「やれやれ……」
独り言を落とし、低く息を吐く。
「……まったく。はねっ返り娘の頼みとあらば――」
口元に、わずかな笑みが刻まれた。
「一肌脱がんわけには、いかんな」
そう呟くと、彼は静かに立ち上がった。
*
ギルノードは愛馬オルタスに跨り、国境へと続く道を駆けていた。
乾いた蹄音が、春の空気を切り裂く。
やがて、小さな村が見えてきた。
その外れに、幾つもの天幕が整然と張られている。
ジグ率いる隊商の野営地だった。
荷馬車が円を描くように並び、見張りの影が行き交う。
長い街道を知り尽くした者たちの、独特の空気がそこにあった。
ギルノードはオルタスから降りると、手綱を引きながら隊商へと歩み寄る。
「えっ……あ、こ、これは……閣下?」
隊商の一人が目を見張り、慌てて帽子を取る。
「えっと、ボスに御用ですかい?」
「ああ。いるか?」
「ちょうど今、村長のところに出向いておりやして……。
もう帰ってくると思いますんで、ボスのテントでお待ちになりますかい?」
「そうだな。待たせてもらおう」
ギルノードは頷くと、天幕の中へと入った。
――待つこと、数刻。
外がにわかに騒がしくなり、足音と低い声が交錯する。
やがて、入り口の天幕が押し上げられ、一人の人影が姿を現した。
「お待たせして申し訳ありません、閣下」
旅装のまま、隊商主――ジグは一礼する。
「我らを訪ねて来られるとは……。
何か、ありましたか?」
ジグの瞳に鋭さが混じる。
ギルノードは椅子に腰掛けたまま、静かに応じた。
「ああ……。折り入って、お前に頼みがあってな」
「……頼み、ですか?」
その言葉に、ジグはわずかに目を細めた。
「入手をご希望のお品がある、という話ではなさそうですね?」
ギルノードは答えず、天幕の内側へ視線を走らせると、遮音の魔術を確かめる。
そして、真正面からジグの目を見据え、口を開いた。
「さすが察するか、ジグ。
単刀直入に言おう。
我が身内の者を――ゼンウェールに連れて行ってほしい」
空気が張り詰める。
ジグの目が大きく見開かれた。
「お身内……?!
閣下、一体、何を……?!」
ギルノードは静かに頷いた。
「いや。俺も、無茶なことを言っている自覚はある。
……夕刻、城に来てほしい。できるか?」
短い沈黙が流れる。
やがてジグは、ふっと息を吐くと、僅かに口元を緩めた。
「相変わらずですね、閣下」
肩をすくめるようにして、続ける。
「承知しました。
ただ……お受けできるかどうかはお約束できません。
お話を伺うだけでもよろしければ」
「……悪いな」
ギルノードは、短く息を吐くと立ち上がる。
「では、待っている。頼むぞ」
「承知いたしました」
全ては、今宵。




