国境の森で3
少し離れた場所で、レイナルトとグレイゼル、そしてカザンが向き合い、低い声で言葉を交わしていた。
その様子を視界の端に留めながら、カナは草の上に敷かれた布に腰を下ろしていた。
柔らかな土の感触が、布越しに伝わってくる。
木々の葉が擦れ合う音に混じって、時折、低く抑えた声が届いた。
「……そうか」
「それは……」
――気にしないように、と思っても。
それでも、耳が自然とそちらへ引き寄せられてしまうのを、カナは止められなかった。
視線を伏せ、手元の草をそっと撫でた、そのとき。
「エフィ」
不意に、レイナルトの声が響く。
「はい」
即座に応じ、エフィはすっと立ち上がる。
そしてティリアへ視線を向けると、穏やかに言った。
「ティリアさん。すみませんが、こちらのバスケットにいろいろと入っていますので……。
カナ様を、よろしくお願いします」
ティリアは驚いたように瞬きをした。
異国の身である自分に、何のためらいもなく主の世話を託してくれる――その重みと、向けられた信頼に、胸の奥が温かくなる。
「はい。エフィ様。お任せください」
エフィは頷くと、静かにその場を離れた。
ティリアは手際よく、けれどどこか楽しげに、カナの世話を焼き始めた。
菓子を差し出し、飲み物を注ぎ……カナの様子をそっと伺いながら。
しばらく沈黙が続いたのち、カナがそっと口を開いた。
「……ティリアさんは」
ふと、問いが口をついて出る。
「きっと……あちらのお話、聞こえていますよね?」
その声に、ティリアははっとしてカナを見た。
一瞬の間の後、素直に頷く。
「……はい」
けれど、すぐに柔らかな微笑みを浮かべる。
「でも、きっと、聞かせたくないのだと思って……聞かないようにしています。
必要なことでしたら、きっと、兄なら話してくれると思いますし」
少しだけ声を落とすと、付け加えた。
「……あ、もしカナ様がお望みでしたら、お伝えすることもできますが……」
カナは慌てて首を振り、目の前で小さく手を振った。
「あ、ううん。違うの。ごめんなさい」
自分の胸のざわめきを隠すように、カナは微笑み、視線を伏せる。
風が、草を揺らす。
(信じて、待とう)
ティリアはすべてを汲み取ったように、静かに頷いた。
彼女は何も言わず、ただ穏やかに微笑んだまま、再び静かに菓子の準備へと戻る。
森の中には、風に揺れる葉音だけが、変わらず流れていた。
*
「兄様……今、何と?」
ティリアの掠れた声が、森の静寂に落ちた。
風が葉を揺らし、その音だけが、しばしの沈黙を埋める。
グレイゼルは、視線を逸らすことなく答える。
「言ったとおりだ。
お前は――クラヴィス辺境伯領にいろ」
ティリアは小さく息を吸う。
「え……なぜ……?
母様は……?」
「大丈夫だ」
グレイゼルは静かに頷いた。
「俺がいる。
エフィ殿から薬を頂いたんだ。きっと、良くなる」
「……」
ティリアは言葉を失い、俯いた。
その沈黙を破るように、レイナルトが静かに口を開く。
「ティリア。
これは、君の身を護るためだ」
落ち着いた声が、重みを伴って響いた。
「幸いにも、森の中には、君の血と、壊された罠の痕跡が残っている。
事情を知らぬ者が見れば――君は魔獣に襲われ、命を落としたと思うだろう」
レイナルトは一拍置き、続けた。
「もし傷ひとつない姿で現れれば、誰が助けたのかと追及されるはずだ。
王国とのつながりは隠したい。
だからこそ、君は今、君は身を隠さねばならないんだ。分かるな?」
ティリアはゆっくりと顔を上げ、そして、静かに頷いた。
「……はい。……すみません。
お心に、感謝いたします。
承知しました……殿下」
そう言ってから、兄を見つめる。
「兄様……母様を、お願い」
「任せろ」
頷くグレイゼルの横で、カザンが低い声を出す。
「俺もいる。
だから大丈夫だ、ティリア」
「うん。
カザンも、ありがとう」
その言葉に、ティリアは微笑んだ。
そして、レイナルトは、ゆっくりと視線をカナへ移す。
一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから、口を開く。
「……カナ。これは、君に伝えるのは心苦しいが……」
低く、決意を含んだ声。
「俺は、隊商に紛れて、ゼンウェールへ入ってみようと思う」
「……えっ?!」
その瞬間、カナの顔から、すっと血の気が引いた。
胸の奥で、言葉にならない不安が広がっていった。




