国境の森へ
花々が風に揺れ、淡い香りが丘一面に満ちていた。
「わぁっ! すごい! きれい!」
ティリアは瞳を輝かせ、最初は人型のままディオリアと駆けまわっていたが、
やがて獣の姿に変わると、鮮やかな花畑の上を転がり、跳ね回り、まるで子どものように笑った。
ディオリアも楽しげに飛び、舞い、じゃれついている。
あまりに無邪気で、あまりに眩しい。
カナは敷かれた布の上に腰を下ろし、手にしたクッキーをそっと口へ運ぶ。
彼女の視線は、駆け回るティリアへと吸い寄せられていた。
「……楽しそうですね、ティリアさん」
ぽつりと漏れた言葉に、エフィが柔らかな微笑みを浮かべ、頷く。
「ディオリア様のお陰ですね」
――そう。
彼はいつの間にか、ティリアにとって友となり、辺境伯領に暮らす者たちにとっても、守護の象徴になっていた。
ディオリアの大きな姿を見ても、辺境伯領の者は慌てず、驚かず、畏敬と共に受け入れたのだった。
今日は、馬は不要だった。
光龍の大きな掌にエフィとティリアが乗り、その背にはカナとレイナルトが跨る。
空を駆けるたび、ティリアは歓声を上げ、目に映る世界をすべて焼き付けるように笑った。
レイナルトが小さく息を吐く。
「抑圧されし民族だからな……あれが、本来の彼女の姿なのだろう」
カナの胸の奥で、今朝のティリアの声が小さく疼く。
”奴隷階級ですから”
伏せられた哀しい瞳。
自由に笑い、走り、じゃれ合う。
それが許されるだけで、こんなにも喜ぶ少女。
どれだけの不自由の中で、生きてきたのだろう――。
レイナルトは、カナの表情を伺うと、言葉を続けた。
「カナ。わかっているだろうが……。
今の俺たちには、どうすることもできない。ただ――」
カナは顔を上げる。
風が髪を揺らした。
「彼らが――それを打ち破りたいと願ったとき。
王国は、助ける」
まっすぐに言い切るその声に、カナの胸に熱いものが広がっていく。
「はいっ!」
頬に朱が差したカナの言葉に、エフィが優しく微笑む。
「微力ながら、有事の際は、我が辺境伯領総出でお手伝いいたします」
「び、微力だなんて……!」
カナの目が大きく見開かれる。
ゆうに一個師団を超え、王国の要と称される辺境伯軍。
その力強い後ろ盾は、何にも勝る心強い希望だった。
ディオリアが高く舞い上がり、ティリアの黒い尾が楽しげに揺れる。
笑い声が、花々の間を優しく駆け抜けていく。
その瞳に宿った自由の光が、この先も消えることのないものであるように――
「……ティリアさんが、笑っていられる未来を」
カナはそっと願う。
小さく漏れたその言葉を、風が優しくさらっていった。
ティリアが――どうか、未来を選べる日が来ますように。




