辺境伯執務室2
エフィは、湯気の立つカップを一つずつ皆の前に置いていく。
香ばしい薬草茶の香りが、張り詰めた空気をやわらかく包んだ。
首を傾げるカナに、ギルノードが穏やかに微笑んだ。
「カナ様、分からぬのも当然です。
……エフィ、お前は分かるか?」
「……恐らくは」
エフィは静かに頷いた。
茶葉の香りが、緊張の中にほのかな温もりを添える。
ギルノードはカップに口をつけると、目を細めた。
「ほう。そうか。……説明してみろ」
「はい」
エフィは腰を下ろすと、カナの方へと向き直る。
穏やかな微笑みに込められたのは、真実を伝える覚悟だった。
「カナ様。
先ほど、父がティリアさんに、“枢機卿が変わって何かあったか”と尋ねたとき……。
彼女はこう言いましたよね――
『帝都で仕事ができ、若い者が出るようになった』と」
カナは頷いた。
「はい。嬉しそうでしたよね」
エフィはゆっくりと、しかし明瞭に言葉を重ねる。
「――それこそが、帝国の矛盾なのです」
「え……? ……どうして、ですか?」
カナは瞬きをする。何が矛盾なのか分からずに。
エフィは淡々と真実を紡いだ。
「本当に仕事があり、彼らが自由に出て行き、動ける環境であるならば――
国境に罠を張り巡らせる必要などありません。
なのに危険な罠が仕掛けられていた。
つまり帝国――いえ、枢機卿は、獣人たちの力を求め、逃がさぬよう囲い込もうとしている」
その言葉に、カナの表情が強張る。
エフィは一度、深く息を吸った。
「その理由は……何かを隠すための強い意図。
おそらく後ろ暗いもの。
若い者しかできない何か……。
そして――」
言葉を切ると、エフィはカナの瞳を見つめた。
「もしゼンウェールで何か起きたとき、
ヴェルデン王国、ひいては我が辺境伯領へ、助けを求めに出た者を捕らえるため」
カナの顔から血の気が引いた。
「そんな……。
一体、ゼンウェールに何が……」
「分かりません。
ですが――不穏なのは確かです」
カナは手を握りしめ、視線を落とした。
その沈黙に、ギルノードが重く頷く。
「その通りだ。そして、エフィ。国境付近に、見慣れぬ連中が増えている」
父の瞳を受け止めた瞬間、
エフィの表情が鋭く引き締まる。
「……俺たちは、備える」
「……承知しました。お父様」
辺境伯はすっと姿勢を正すと、レイナルトを真っ直ぐに見据えた。
その表情には、民を守る者の覚悟が宿っている。
「レイナルト殿下。
もしゼンウェールの者が助けを求めてきた場合――」
レイナルトは迷いなく頷く。
「王国は、ゼンウェールの者に手を貸そう」
ギルノードはふっと口角を上げた。
「……かしこまりました。
仰せのままに」
静寂は、嵐の前の静けさ。
来る嵐を迎え撃つ覚悟と共に。




