SS エフィ・クラヴィス辺境伯令嬢7
そして、数年が経ち――運命の日が訪れた。
大聖堂での務めを終え、自室へ戻ろうとしていたエフィは、背後から名を呼ばれて足を止めた。
同じ神官服を纏った仲間が、少し改まった表情で告げる。
「エフィ様。
大神官様がお呼びです」
「はい。承知しました」
返事をしながらも、胸の奥に小さなざわめきが走る。
(……何かあったのかしら)
思い当たる節はない。
エフィは首を傾げ、大聖堂の奥へと向かった。
回廊は、昼なお薄暗く、ステンドグラスから差し込む光が、床に静かな色彩を落としていた。
エフィは、大神官の執務室の前で足を止める。
軽くノックをすると、落ち着いた声が返ってきた。
「――お入りなさい」
扉を開け、一礼する。
「失礼いたします、大神官様――」
その瞬間、言葉が喉で途切れた。
部屋の中央に立ち、ゆっくりとこちらを向いた人物を目にした途端、エフィは息を呑む。
「……え?」
信じられない、というように目を見開いたまま、震える声で名を呼んだ。
「……エ、エリアス……?」
懐かしい面影を残したまま、けれど確かに大人の佇まいとなった青年は、にっこりと微笑んだ。
懐かしい声が返ってくる。
「……久しぶり、エフィ」
変わらない、柔らかな微笑み。
胸の奥にしまい込んでいた記憶が、一気に溢れ出す。
返す言葉を見つけられないエフィをよそに、大神官は柔らかな笑みを浮かべて言った。
「エフィ。
精霊庁のエリアス・グラン殿が、君に会いたいと来られたんだ。
二人は学院の同級生だったそうだね。
積もる話もあるだろう。応接室を使いなさい」
「……はい」
ようやく声を絞り出し、深く一礼する。
「お心遣い、ありがとうございます。大神官様」
そして、エフィはエリアスへと向き直った。
「……行きましょう。応接室へ案内するわ」
「ありがとう」
二人は大神官の部屋を辞し、並んで回廊を歩き始める。
(……何を話せばいい?)
廊下に響くのは、二人分の足音だけ。
気まずい、というより――懐かしさが胸を満たしすぎて、言葉が追いつかない。
「……元気そうだな」
先に口を開いたのは、エリアスだった。
「ええ。あなたこそ……」
横顔を盗み見て、エフィは小さく息をつく。
「噂は、嫌というほど耳に入ってくるわ」
「……ああ。忙しいよ。でも」
一瞬、言葉を切り、エリアスはエフィを見る。
「君が、ここで頑張っていると知っていたから。
それだけで、踏ん張れた」
エフィの胸が、きゅっと締めつけられる。
(ああ……この人は)
昔から、そうだった。
成果を誇らず、努力を語らず、ただ静かに隣に立つ人。
「……私もよ」
エフィは、歩きながらそう答えた。
「あなたが前に進んでいるって思うと、負けていられないって……不思議と頑張れたわ」
沈黙が戻る。
「で……どうして、今日なの?」
エリアスは一拍置いて答えた。
「今日でなければ、いけない理由ができたからだ」
「……そう。でも、会えて良かったわ。
私も、あなたに伝えたいことがあったの」
やがて、応接室の扉が見えてきた。
*
応接室のソファに腰を下ろすと、しばし沈黙が落ちた。
柔らかな陽光が、磨き上げられたテーブルの縁を淡く照らしている。
先に口を開いたのは、エリアスだった。
「エフィ。君は、精霊庁で聖女カナのお世話係をしてくれていたそうだな」
「……え?」
思わず、声が漏れる。
エフィは目を瞬いた。
「どうして、それを……?」
エリアスは肩の力を抜くと、穏やかに微笑んだ。
「精霊祝祭の際、彼女たちを担当していたのが俺だったからさ。
報告書の中で、君の名前を見た」
「あ……そうだったのね……」
エフィは、記憶をなぞるように息を吐いた。
「精霊祝祭……本当に、すごかったわね……」
「ああ。本当にな。
彼らは本当に、素晴らしかった」
頷くと、エリアスは少しだけ表情を改めた。
「それで……」
彼は懐に手を入れ、一通の手紙を取り出すと、エフィの前に差し出した。
「カナから預かった。君に、だそうだ」
「……え?」
エフィの目が大きく見開かれる。
「君に、きちんと礼を言えないまま別れてしまったのが、どうしても心残りだったらしい。
だから――届けてほしい、と託されたんだ」
「まあ……カナ様が、私に……?」
震える指で、それを受け取ると、エフィは大切そうに胸元へとそっと抱き寄せた。
「……今、読んでもいいかしら?」
「ああ。もちろんだ」
エフィは静かに封を切り、便箋を広げた。
そこには、丸みのある、どこか跳ねるような――いかにも彼女らしい、可愛らしい文字が連ねられていた。
『エフィさん
精霊祝祭で不安だった私に、あたたかく、優しく寄り添ってくださり……本当にありがとうございました。
とても、とても心強かったです。
私は、エフィさんがいてくれたからこそーー……』
幾重にも重ねられた感謝の言葉。
一行一行が、胸に沁みていく。
読み進めるうちに、気づけば、視界が滲んでいた。
(ああ……カナ様……)
ぽたり、と一粒、涙が便箋に落ちる。
(やはり……あなたは――私の“光”です)
「……大丈夫か? エフィ」
心配そうな声に、エフィははっとして顔を上げ、頷いた。
「ええ……大丈夫よ。ごめんなさい」
柔らかく微笑み、涙を拭う。
「わざわざ届けてくれて、本当にありがとう。エリアス。
……あ、ごめんなさい。お茶を入れるわね」
立ち上がり、手早く湯を用意してカップに注ぐ。
香り立つお茶を、そっとエリアスの前に置いた。
再び向かい合って腰を下ろすと、エフィはしばらく彼を見つめ、それから静かに切り出した。
「ねえ……ところで……」
「ん?」
「カナ様のことを……“カナ”って、呼び捨てにしているのは、どうして?」
「ああ、それは……」
エリアスは少し困ったように笑い、語り始めた。




