レイナルトの密談
澄み渡る風が、山の稜線をなぞるように吹き抜けていた。
眼下には、遥か彼方まで続く国境線が、淡く霞みながら横たわっている。
レイナルトは、ギルノードと並び、その光景を見下ろしていた。
「ふぅ……」
深く息を吐き、ギルノードが首を回す。
「いや、こんなに駈けたのは久しぶりだな。
さすがだ、レイナルト」
「いえ。伯父上が貸してくださった馬が、よく応えてくれたお陰ですよ」
レイナルトは微笑むと、馬の首を軽く撫でた。
「ははは。言うようになったな」
場に和やかな空気が流れる。
しかし、次の瞬間――ギルノードの表情から、笑みが消えた。
「……さて」
低く、静かな声で、レイナルトを見る。
「この先に、簡単な小屋がある。
そこで話を聞こうか」
「……伯父上。お気づきでしたか」
「まあな」
それだけで、十分だった。
二人は言葉を重ねることなく、再び馬を進める。
ほどなくして、森の切れ目に、頑丈そうな炭焼き小屋が姿を現した。
風雪に耐えてきたことを物語る、厚い壁と低い屋根。人の気配はない。
年季の入った造りだが、手入れが行き届いており、今も使われていることが一目でわかる。
ギルノードは馬を止めると、護衛へと命じた。
「お前たちは、ここで待て。
こいつらの世話を頼む。休ませてやってくれ」
「はっ!」
即座に応じる二名の護衛に、二人の馬が預けられる。
ギルノードとレイナルトは地に降り立ち、何も語らぬまま、小屋の扉を押し開けた。
重い木の扉が、低く軋む音を立てて閉じる。
*
炭焼き小屋の中は、薄暗く、静まり返っていた。
壁際には使い込まれた道具が立てかけられ、微かに炭と木の匂いが残っている。
小さな窓から差し込む光が、床に細い筋を落としていた。
ギルノードは扉を閉めると、低く呟いた。
空気がわずかに揺れ、遮断結界が張られたのが分かる。
「……さて」
向かい合うと、先ほどまでの快活さは影を潜め、辺境を預かる男の顔になる。
「エフィからおおよその話は聞いている。
エヴァンス伯爵の件だな?」
レイナルトは頷いた。
「はい。確証はない、と前置きはありましたが……。
帝国側の動きが、辺境にまで及んでいる可能性がある、と」
ギルノードは腕を組み、低く唸る。
「やはりか……」
短い沈黙ののち、彼は続けた。
「国境に変化はない。
だが実はな。ここ数か月、国境近くの森で、見慣れぬ連中が目撃されている。
商人を装ってはいるが、動きが軍人だ。しかも、数が増えてきている」
レイナルトの視線が鋭くなる。
「イリアム帝国……ですか」
「断定はできん。
だが、装備の質等を見ても――辺境賊にしては、あまりに組織的だ」
ギルノードは窓の外、国境の方角へと目を向けた。
「不可侵条約がある以上、正面からは来んだろう。
だが、内側を乱す手はいくらでもある」
静かな声が、小屋の中に重く落ちる。
「情報攪乱、内通者の育成、あるいは……。
“何か”が起きた時に、すぐ踏み込める布石、だな」
レイナルトは息を整え、静かに言った。
「……やはり、伯父上にお伝えして正解でした」
「当然だ」
ギルノードは即答した。
「辺境は、王都の盾であり、最初に血を流す場所でもある。
ここで起きる違和感は、必ず王国全体に繋がる」
ふと、彼は視線をレイナルトへ戻す。
「それに……今回は、ただの政治の話ではあるまい」
「伯父上は……何でも、お見通しなのですね」
レイナルトはふっと笑みを浮かべると、一瞬、言葉を選ぶように目を伏せ、静かに語りだした。
エルハイムとの交流、アルトリウスの存在、そしてラグナとディオリアと――覚醒したカナの力とその奇跡。
「すごいな……」
ギルノードは目を見開くと低く呟き、ゆっくりと頷く。
「……それにしても何という聖女様のお力――。
帝国が欲しがらぬはずはないな」
しばしの沈黙が落ちた。
炭焼き小屋の中に、風の音すら届かない静けさが満ちる。
「レイナルト」
やがて、ギルノードが口を開いた。
「俺は、辺境伯として、準備を進める。
表向きは何も変わらず、だが裏では、備える」
そして、ふっとわずかに笑った。
「……案ずるな。
今のヴェルデンには、イリアム帝国を黙せられるほどの国力がある。
皇帝が関わっていたら厄介だが――もし枢機卿だけの暴走だとしたら、帝国は、恐らく切り捨てるだろうな。
レイナルト。この国には、それだけの力があることを忘れるな。
そしてお前がその先頭に立っているということもだ」
「……はい。
ありがとうございます、伯父上」
レイナルトは深く頭を下げた。
「この国境は、まだ静かだ。
だが、静かな時ほど、危うい」
ギルノードは立ち上がると、扉に手を掛ける。
「そろそろ戻るか。
カナ様を、あまり待たせるものではない」
扉が開くと、外の光と風が流れ込む。
――辺境は、春の花に包まれながらも、その風には、嵐の前触れを孕んでいた。




