森から来た少女
加奈が森の出口から姿を現した瞬間、村は騒然となった。
石畳の坂道の先、ブレザー姿の少女が一人、陽だまりを背にゆっくりと歩いてくる。
黒髪にリボン、膝下丈のスカート――この世界には存在しない、見慣れない服装。
「お、おい……あれ、女の子じゃないか?」
「森から……出てきたのか? いや、まさか……精霊の森に入るなんて――」
「人間か……? それとも――」
訝しげな視線が飛び交い、子どもたちは母親の後ろに隠れ、大人たちは警戒をあらわにした。
誰もが息を飲み、彼女を凝視した。
「あ……あの、私、迷ってしまって……」
「大丈夫かい? しっかりおし。倒れそうじゃないか」
恐る恐る声を出した加奈に、最初に駆け寄ったのは、小柄な老女だった。
(……え? 私、日本語でしゃべったのに……通じてる?)
それだけじゃない。周囲の人たちの声――この世界の言葉も、耳に自然に入ってくる。
まるで、頭の中で言葉が“変換されている”かのように。
(なんで……?)
戸惑う加奈に、老女の優しい手がそっと腕を取る。
「森を抜けてきたのかい? まさか、あの“精霊の森”から?」
その温もりに、加奈の張り詰めていたものがふっと緩んだ。
彼女は下を向いて頷く。
「村長を呼んできておくれ! 精霊の森から、娘さんが……!」
*
ほどなくして現れたのは、威厳と温和さをたたえた老人だった。
灰色の髭、穏やかな瞳、堂々とした立ち姿――彼が村長のエダンだった。
「わしが村長のエダンじゃ。安心していい。お嬢さん、名前は?」
「……深水加奈、あ……えっと、カナ、です」
「そうか、カナ。よく無事で出てこれたのう。
君の話を聞こう。ひとまず、うちに来なさい」
案内されたのは、村の高台にある大きなレンガ造りの二階建ての家だった。
外観は素朴だが、清潔でぬくもりのある空間。
風通しがよく、陽の光が差し込む、手入れの行き届いた家だった。
「まぁ……この子が。ほんとに、森から……?」
やわらかな声で出迎えたのは、村長の妻、マリナ。
緑のスカーフを巻き、少し丸みを帯びた姿から、穏やかさと包容力がにじみ出ていた。
「まあまあ、そんなに緊張しなくていいのよ。疲れてるでしょう?」
彼女は、カナの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫。ここは安全よ。あなたのこと、私たちがちゃんと守ってあげるから」
その一言に、カナは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
*
マリナの用意してくれた温かいハーブティーと焼き菓子を前に、カナは森での出来事を話した。
気が付いたら森にいて目覚めたこと、風の精霊・シルヴィアと名乗る存在が現れ、声を聞いたこと――。
言葉に詰まりながらも、それが信じてもらえるかどうかもわからず、不安なまま語った。
だが村長夫妻は、最後まで遮らずにじっと聞いてくれた。
「精霊の声が……聞こえる、とな……。
……信じがたい話じゃが、わしらも昔から“精霊の森”には不思議があると聞いとる。
君がそこから出てきた時点で、何かの加護を受けとるのは間違いあるまい」
村長は深く頷いた。
その夜、マリナはふかふかのベッドを用意し、
夜にはあたたかいシチューと焼きたてのパンを出してくれた。
「しばらく、うちにいなさい。疲れを癒して、心を落ち着けてね」
「……ありがとうございます……」
カナは初めて、この異世界で、心から安心した。
*
それからの日々、カナは村で静かに過ごし始めた。
朝はマリナと一緒に洗濯物を干し、パンを焼く手伝いをする。
昼間は畑の野菜の収穫や、道具の手入れを教わった。
最初は物珍しさから距離を取っていた村人たちも、
カナが一生懸命に働く姿を見て、少しずつ打ち解けていった。
「カナちゃん、今日も手伝いありがとうな」
「ほら、これ食べてって。さっき採れたばかりのイチゴじゃよ」
笑顔で声をかけてくれる人たち。
子どもたちはすっかり懐いて、「カナお姉ちゃん!」と腕に抱きついてくる。
中でも、村長夫妻の孫の”ティオ”は、いつもカナの後をついてまわる。
最初は隠れて様子を見ていた彼も、すぐにカナになつき、毎朝「おはよう!」と大きな声で呼びに来るようになった。
「カナ、今日も森の話して! 風の精霊って、ほんとにいるの?」
「……うん。たぶん、いる。すごく小さくて、綺麗な光だったの」
「すっげぇ……!」
その無邪気な目を見つめながら、カナはふと、この世界に来てからの時間を思い出していた。
(私……こんなふうに、誰かに笑いかけられるなんて……)
異邦人であることに、違いはない。
それでも、ここには確かに「優しさ」があった。
風のそよぎ。土のぬくもり。人の温もり。
ここで過ごす日々が、カナの心に静かに根を張りはじめていた――。
「カナ。君はここに来る運命だったのかもしれないよ」
そう言ったのは、村長だった。
夜、火の灯る食卓で静かに言ったその言葉が、カナの胸に染み込んでいく。
彼女の新しい日々は、ここから静かに始まっていった。




