セレス王立学院
王都の朝は、山あいの村とはまるで違っていた。
空気に混じる香りすらもどこか華やかで、遠くの尖塔から響く鐘の音が、
澄んだ空へと吸い込まれていく。
馬車の窓から、カナは緊張した面持ちで外を見つめていた。
大聖堂での検査から数日――今、彼女は王都の北端にある王立学院へと向かっている。
『特待生として迎え入れる。住まいは、特別寮を用意するように』
それは、王家から正式に下された指示だった。
まるで、夢の続きを歩いているようだった。
けれど、窓に映る自分の顔には、どこか不安の色がある。
(本当に……ここまで来ちゃったんだ)
ふと、胸元にぶらさげたペンダントに指が触れる。
心の奥で、風の精霊の声が微かに響く。
『――大丈夫、そばにいるよ』
その囁きに、カナはそっと目を閉じた。
*
その学院は、圧巻だった。
白大理石で造られた本館は陽光を受けて輝き、天空に向かって幾本もの尖塔が伸びる。
尖塔の頂には、風・水・炎・土を象徴する宝珠が嵌め込まれており、
光が当たると虹色の輝きが庭園に差し込む。
緑豊かな中庭には古代から育まれた精霊樹が佇み、淡い魔力の風が常にそよいでいた。
「……すごい……お城みたい」
カナが小さく呟くと、付き添うエリアスが笑みを見せた。
「ここは王家が築いた“もう一つの城”だ。
精霊と歩む者たちのための学び舎……王国でもっとも神聖な場所の一つだ」
馬車が学院の門をくぐると、精霊の気配が一層強くなるのをカナは感じた。
長い石畳の道の両脇には、魔力の灯火が浮かび、昼間でも淡い光を放っている。
やがて馬車が止まり、扉が静かに開かれる。
案内されたのは、学園の敷地の奥に佇む、小さな洋館だった。
本校舎とは別の静かな一角に建てられていて、花々に囲まれたその佇まいは、
時間の流れがゆったりとしているようだった。
「ようこそ。お待ちしておりました」
迎えに出たのは、深い藍色の制服を纏った女性だった。
きりりとした眼差しに、誇り高い佇まい。
学園の寮監――兼、特別寮の管理者らしい。
重厚な扉が開け放たれると、磨かれた床に、手織りの絨毯。
精霊を模したレリーフが並ぶ壁。古いけれど温かみのある家具が目に飛び込む。
「はじめまして。わたくしは管理者のマーサ、と申します。
カナ様。こちらが、これからのお住まいです」
カナは女性に深く頭を下げる。
「はじめまして。カナといいます。
……これからお世話になります。
どうぞよろしくお願いします」
「マーサ殿。私からも、どうぞよろしくお願いいたします」
エリアスは共に頭を下げると、カナの肩にそっと手を置いた。
「ここまで来ればもう安心だ。
俺はこれで戻る。……大丈夫、君ならやれる」
別れ際のその言葉は、優しいけれど、不思議と胸の奥を締めつけた。
村を出てから、ずっと一緒だった人がいなくなる。
分かってはいたけれど……一気に不安が押し寄せ、泣きそうになる。
カナは思わずうつむく。
「――はい。頑張り……ます。
ここまで本当にありがとうございました」
深く頭を下げると、エリアスは安心したように微笑み、馬車に乗り込んで去っていった。
残された静けさの中で、胸の上でペンダントを握る。
(わたし、本当に……やっていけるかな……)
マーサが案内してくれる背中を追いながら、足取りが少しだけ重くなる。
それでも、ここで逃げてはいけないと分かっていた。
その夜、ひとり与えられた部屋で、柔らかな寝具に包まれ、
カナはベッドに身を沈めた。
――ここが、わたしの、新しい居場所。
窓の外、風に揺れる木々の葉が、挨拶するかのようにきらめいていた。