馬車の中で3
馬車の外では風が揺れ、森が道を分ける。
風のように、ふとした静けさが訪れた馬車の中。
カナはペンダントを胸元で握りしめたまま、何か言いにくそうに、口を開いた。
「……あの」
「うん?」
エリアスはようやく落ち着きを取り戻しつつあったが、カナの声にまた眉をひそめた。
ただならぬ空気を察したのか、自然と背筋が伸びる。
「……もう、言っちゃった方がいい気がして」
「……何を?」
カナは少し目を伏せた。
それから、ぽつりと。
「……私、あの村で生まれ育ったんじゃないんです。
気づいたら、精霊の森の中にいて――。
森から出たら、村長のエダンさんが助けてくれて。
村で暮らすことになったんです」
「……それは……記憶がなかったのか?」
カナは、ふっと微笑むように首を横に振った。
「いえ。
私、転生者なんです。
……前世の記憶が、ちゃんとあります」
一瞬、時が止まった。
「……てんせい、しゃ?」
エリアスの声は、完全に聞き返すような響きだった。
「……違う国で、違う名前で……そして違う世界で、普通に人間として生きてて。
多分事故で亡くなったあと……気づいたら、この世界に来ていました。
前の世界での私の名前は、深水加奈。
この世界の言い方で言うと、カナ・フカミです」
ゆっくりと話すカナの言葉を、エリアスはただ黙って聞いていた。
だが、その表情はみるみる硬直していく。
「……前の世界……?カナ・フカミ……?
それは……どこかの段階で、誰かに話した?」
「……はい。
森から出たその日、エダンさんと、マリナさんにお話ししました」
馬車の中に沈黙が落ちた。エリアスは目を見開き、言葉を失ったまま彼女を見つめている。
「一応聞くけど……カナさん、それは……冗談で言ってるわけではないんだよね?」
「冗談を言えるほど、器用じゃないです……」
静かにそう言ったカナの表情に、嘘はなかった。
エリアスは額に手を当て、しばらく黙り込む。
「……精霊との意思疎通、形ある加護……そして、“転生”……」
「……ごめんなさい。変な話で、混乱させてしまって」
「“変”どころの話ではない」
エリアスは思わず小声で言い放ち、顔を上げた。
「この国の歴史において、明確に“転生”を証言できた者は、いない。
……それが、精霊に加護を受けた少女と重なるとは……っ」
彼は思わず立ち上がりかけ、馬車の天井に頭をぶつけて座り直した。
カナは驚き、そして少し困ったように目を伏せる。
「だ、大丈夫ですか?
私が変な話をしたから……」
「あ、いや、大丈夫だ。驚かせてすまない。
謝ることでは……いや、むしろ……」
混乱したまま、エリアスは深く息をついた。
それでも、しばらくの沈黙の後に、彼はカナをしっかりと見つめ直す。
「……隠さずに話してくれて、ありがとう。
だが、このことは……当面、君と私だけの秘密にしておこう」
「……はい」
「王都には過敏な反応を示す者もいる。
無用な騒ぎを避けるためにも、慎重に扱うべき事実だ」
カナはうなずきつつ、小さく呟いた。
「……でも、いつか……前の世界に帰りたい。
それまで、私は、精一杯ここで生きていくつもりです」
その言葉に、エリアスはようやく少しだけ表情を緩めた。
「……そうか。……分かった」
ひとつの秘密を共有したふたりの間に、確かな信頼が芽生え始めていた。