その5
その日の昼休み。
「あの、金澤さん、ちょっといい?」
――誰? 私を呼ぶのは。ミンキ?
ハッとして夢から覚めた舞が顔を上げた。目の前に裕太が立っている。
「石川くん!」
――ヤバイ、よだれ垂れてないかな?
「あ~、朝、言ってた、英語の構文と本文の訳、まとめといたから。これだけ完璧に覚えておけば、赤点はないと思うけど」
「えっ、ホントに!」
「たぶん」
「ありがとう!!」
「じゃあ」
そう言ってノートを手渡し、行こうとした裕太を舞が呼び止めた。
「あ、あの、石川くん! 今日放課後時間ある? よかったら数学も教えて欲しいんだけど、って言うより数学の方がピンチなんだ・・・」
「ああ、もう試験前で、部活もないから別にいいよ」
「ホント、やった!」
自分の席に戻ろうとした裕太の目の前に、松田たちが立ち塞がっていた。
「ひ、姫が、お目覚めになった~~!!」
「なんてこった! 俺の目覚めのキッスはどうなるんだ!」
「てめえ、裕太、これ、どういうことだ!」
そのまま三、四人の男子に囲まれて、裕太が教室を連れ出されて行った。
「舞ちゃん、石川くんといつから仲良くなったの?」
「勉強教えてもらうとか、普通じゃないよね」
裕太とのやり取りを見ていた友達が数人、舞の机の周りに集まって来た。
「そんなんじゃないって。あいつは私じゃなくて、ウチの犬のモモが好きなんだって」
「なにそれ?」
「動物が好きなんだって。モモを散歩させている時に見掛けて、それで、私に声掛けたって」
「えええ~~。そんなの犬をダシにして、切っ掛けを作ろうとしたに決まってんじゃん」
「そんなことないって。あいつはホントに犬が好きなんだよ。獣医になりたいんだって」
――もう、何度そんな思わせぶりでだまされたことか・・・
「そうか、石川くん、頭いいもんね。クラスで成績一番でしょ」
「えっ、そうなの?」
――実力テストであの成績ならそりゃそうか・・・
「でも、彼を狙ってるんなら、うかうかしてられないよ。カッコイイとか言ってる人多いよ」
「そうなの?」
「そうだよ、一年なのにバスケ部のレギュラーだし。背も高いし、顔もいいし」
「優良物件だよねえ」
言いながら、みんな笑い出した。
「そうか、お父さんお医者さんだし。すごい大きくていい家に住んでるし、お金持ちっぽいもんね・・・」
何気ない舞の言葉を、周りのみんなは聞き逃さない。
「えっ? お父さん医者なの? それは初耳!」
「でも、舞、あんた、なんで彼が大きくて、いい家に住んでるとか知ってるの? まさか行ったことあるの?」
「あっ、いや、それは・・・」
――しまった、墓穴を掘った!
それから、期末試験が終わるまで、朝と放課後、裕太は丁寧に舞の勉強をみてくれた。おかげで、なんとか赤点を取らずに、夏休みの補習は出なくても済みそうだ。
「石川くん、ありがとう、おかげで何とか補習にならずに済みそうだよ」
今日も駅から学校へ向かう道を歩きながら舞が言った。
早朝の試験勉強を始めてから、同じ電車で一緒に登校するのが、ここのところのルーティンになっていた。
「そう、よかった。これで夏休み、一緒に遊べるね。ホッとしたよ」
「ああ、どうせモモと一緒に、でしょ」
ちょっとムッとした様子で舞が呟いた。
「違うよ。金澤さんとだよ」
裕太が真面目な顔をして舞を見ている。
「えっ?」
「俺だってけっこう苦労したんだよ。自分の勉強もあるし」
「それは・・・。ごめんなさい」
「だからさ、一度くらい俺と一緒にどっか行くの付き合ってよ」
「それは・・・」
「ね、ダメかな、頼む、お願い、一回だけ! 一回だけでいいからさ。一生のお願い!」
「わ、わかった、わかったから、やめてそういうの・・・」
――もう、だから、真面目な顔して、そういう誤解されそうな言い方やめろ・・・
♦♦♦♦♦♦
「舞の魔法少女卒業まで、ようやくあと三日だね」
その晩、妖魔を封じて、舞の部屋に一緒に戻ってきたミンキが言った。
「そっか、もうすぐ誕生日だった」
光を放ち、変身を解きながら舞が尋ねた。
「ねえねえ、私の『願い事』ってなんだっけ? やっぱり卒業する時になるまで教えてもらえないの?」
「そういう契約だっただろう。『願い事』のことばかり気になって、大切な魔法少女としての任務に支障を来さないよう、卒業までその記憶を消す、っていう昔からの決まりだ」
「そうだった・・・。でも、なんだったかなあ」
「あと少しのお楽しみだよ」
♦♦♦♦♦♦
土曜の放課後、残って委員会の仕事をしていた舞は、駅へ向かう途中、顧問の先生の都合で、部活が早く終わった裕太と偶然一緒になった。
「明日の日曜、誕生日なんだ、私」
「えっ? そうなの? もっと早く言ってくれたらよかったのに・・・。なにも用意してないよ~。どうしよう~~」
「い、いいよ、そういう意味で言ったんじゃないから」
「でもさ・・・」
「いいの、別にそんなの。ただ今度の誕生日はちょっと特別なんだ、私にとっては・・・」
「そうかあ~、そんな大切な誕生日にデートできるなんて、俺、幸せだなあ~~」
裕太が急に声を張り上げて言った。
「ちょっと、デートって、なに言ってんの? そんな約束・・・」
「一回だけお礼に、お願い聞いてくれるって言ったよね?」
「・・・あ、う、うん。わかった・・・」
大人しく返事をして、俯いた。少し顔が赤くなったのが自分でもわかった。
駅へ向かう途中に小さな池がある。子供が入り込まないよう、周囲に柵が巡らしてあるのだが、どこから入ったのか、数人の子どもたちが騒いでいる。
子どもたちの声にひかれて舞が目を遣ると、それはただ騒いでいるだけでなく、子どもが一人、溺れかかっているのだった。
――大変!! 助けなきゃ!
周囲を見回すと、少なからず通行人がいるが、まだこの事態に気がついている人はいないようだ。
――どうしよう。変身して、反重力魔法を使えばすぐにでも助けられるかも。でも、こんなに人がいるところで変身できない。
どうしよう、どうしよう・・・。
明日卒業だというのに、今ここで、もし正体がバレたら・・・
一瞬、迷いが生じた舞に、「ちょっと、これ持ってて」裕太がそう言って駈け出して行った。
「石川くん、ちょっと待って!!」
慌てて舞が後を追った。
裕太は躊躇なく、ざぶざぶとすぐさま池の中に入って行った。背の高い裕太でも顔が出るか出ないかくらいの深さはあるようだ。
裕太はゆっくりと近づいて行き、溺れかけ、暴れる男の子を捕まえて、頭上に持ち上げた。
パニックになった男の子が暴れる度、裕太の頭が沈み、自分はあっぷあっぷな感じで、苦戦しながらもようやく岸まで辿り着いた。
異変に気が付いて、大勢人が集まって来た。
裕太は高く抱えていた男の子を下ろすと、そのまま地面にひっくり返った。
男の子の安否を気遣い、大人たちが取り囲む。男の子は泣きじゃくっているが大事ないようだ。
その様子を見てから、その場に転がっている裕太に、舞が駆け寄って声を掛けた。
「石川くん、大丈夫?!」
仰向けに寝転んでいる裕太は、目を閉じたまま答えることなく、ピクリとも動かない。
「ちょっと、石川くん、しっかりして!」
舞が驚いて裕太に縋り付いて揺さぶったが、裕太の反応はない。顔を近づけてみたが、裕太は息をしていない。
「うそ、石川くん! 石川くん!」
「おい、ヤバいぞ! 誰か、救急車!!」という声が聞こえる。
「おい! 急げ!!」
――どうしよう・・・。私のせいだ。私があの時変身を迷ったから・・・。石川くんが死んだら私のせいだ・・・