その3
日曜日、午前8時30分。約束の遊歩道のベンチ。
裕太が座って舞を、――いや、モモを待っていた。
「あっ! モモちゃん!」
「おはよう。石川くん」
「ああ、おはよう、金澤さん。わざわざ連れて来てもらってごめんね。俺が君ん家まで迎えに行ってもよかったのに」
「ううん、大丈夫」
――同じクラスの男子をそう簡単に自分家に呼べるわけないじゃない。それより、この男・・・、私の名前より先にモモの名前呼んだよね。どういうことよ、失礼な・・・
「金澤さん! 今、抱いてもいいかな?」
「―!? あの・・・、石川くん、その表現の仕方、やめてもらっていいかな?」
「えっ? そう? なんで?」
――なんでって? コイツ・・・。それじゃ私だけが意識しているみたいじゃない!
「あの、『抱っこする』とかさ、あるじゃん、他にも言い方が」
「ああ、そうか。わかった」
「よう~し、モモちゃん、お許しが出たぞ、ほら、おいで!!」
裕太は嬉しそうに、モモを抱き上げる。モモは意外にも、初対面の裕太に対して大人しく抱かれている。
「うわ~、かわいいなあ」
――まっ、私の正体がバレることを思えば、安いもんか。モモには悪いけど・・・。掟10か条の1「魔法少女は決して人に正体を知られぬこと」があるんだし。
金曜日、裕太と別れ、自宅に戻った後、妖魔ぴ-らを無事に封印し、妖精界に送り返したミンキが、舞の部屋に現れた時のことを思い出した。
♦♦♦♦♦♦♦♦
「ミンキ! 無事だったんだね」
「ああ、なんとか間に合ったよ。それより、舞の方こそ心配したよ。変身したまま地上に墜ちて行ったから」
「うん。危なかったよ」
「誰にも変身した姿を見られなかったかい?」
「それが・・・」
舞がミンキとはぐれてから後の出来事を説明した。
「なんだって!!」
「いや、大丈夫だって、あいつ、私のこと魔法少女のコスプレをしていたと思い込んでいるから」
「うう~~ん、それは・・・。かなりグレーだけど・・・。まあ、彼が本気でそう思い込んでいるっていうのなら、今回は特別に不問にするよ」
――えっ? ホント! いいんかい?
♦♦♦♦♦♦♦♦
――石川くん、まだ、あの時のことコスプレだと思ってるかな・・・
「ねえ、石川くん、この間の夜のことだけど・・・」
「ん? ああ、わかってるって。コスプレのことは誰にも言わないよ。こうやってモモちゃんを抱かせて、あっ、抱っこさせてもらったした」
――よかった・・・。大丈夫そうだ
裕太にモモのリードを任せて、遊歩道を少し一緒に歩いた。
「石川くん、そんなに犬とか動物が好きなら、なんで自分で飼わないの?」
「ああ、ウチの母親がさ、動物とか、あんまり好きじゃなくて・・・。仕事も忙しいし、面倒みれないからって。俺が面倒をちゃんとみるから、って言うんだけど、基本好きじゃないみたいなんだ」
「そうなんだ・・・」
「だから、ハムスターとかは小学校の時に飼ったりしたんだけど・・・、でも、病気で死んじゃった時は悲しかったなあ・・・。」
裕太は思い出したように、一瞬目を伏せた。
「ハムスターが死んじゃった時、絶対獣医になって、動物たちを一匹でも多く助けるんだって思って・・・」
「それで、獣医になりたいんだ」
「うん。単純で、馬鹿みたいな理由だし、笑われるかもしれないけど・・・」
「そんなことないよ。人間でも、動物でも、命は大切だよ」
「そうだね。そう言ってくれる人がいてうれしいよ」
舞は通っている高校まで、毎日電車で通学している。毎朝、満員電車に揺られていくのは億劫なのだが、こればかりは仕方がない。
満員電車に付き物と言えば痴漢だ。舞も何度か遭遇したことはあるが、そこは普段からいつも妖魔たちと戦っている身、お尻や胸を触ってきた腕をねじ上げて、撃退したことが二回ほどある。
その日、車両の奥近くまで押し込まれて、つり革に掴まることもできずに立っていた舞は、ドア付近の手摺に掴まっている他校の女子生徒が、痴漢にお尻を触られているのを見かけた。
見るからに大人しそうな子で、とても自分からやめて、と言えそうにない感じだ。
――あのヤロウ、許せん!! とっちめてやる!
そうは思ったものの、この混雑で身動きが取れず、これでは、なかなか出口付近まで辿り着くのは厄介だ。
――もう、なんで、いつもこんなに混んでんのよ~~
そう思った時、
「あっ、すみません。降りま~す」と言いながら、押し合いへし合いしている人たちをすり抜けていく男がいた。
瞬く間に、痴漢と被害を受けている女子高生の間に無理やり割って入った。
痴漢があからさまに嫌そうな顔で、その男を睨らんだ時、ゆっくりと列車が駅に滑り込み停車した。
ドアが開いたが、普段、いつもこの駅で降りる人はほとんどいない。今もそうだった。
男は「あれ? ここじゃなかった」
そう言って首だけドアの外に出し、すぐに戻した。
そうして痴漢の男に向って、一瞬もの凄い顔で睨みつけた。痴漢が顔色を変え、すぐさま電車を降りた瞬間にドアが閉まった。
――あいつ・・・。あんな顔するんだ・・・。いつもぼ~とした感じなのに・・・
次の駅に電車が停車し、ドアが開いた時、被害を受けた女子高生は、裕太の顔をチラッと見て、小さな声で「ありがとう・・・」とひとこと言って、降りて行った。
痴漢行為に気がつかなかった、周りの乗客が数人、怪訝な顔で裕太と女子高生を交互に一瞥した。裕太は表情を変えず、そ知らぬ顔で、女子高生に挨拶することもない。
彼女が気にすることのないように、という配慮なのだろう。
「石川くん!」
電車を降り、学校へ向かう道の途中で、裕太に追いついた舞が声を掛けた。
周囲には同じ学校の生徒たちが大勢歩いている。
「ああ、金澤さん、おはよう。同じ電車だったんだ。この間は、ありがとう」
「えっ、なにが?」
「ああ、なんか、あまり気乗りしないみたいのに、抱かせてくれて!」
その瞬間、近くを歩いていた生徒たちが、一斉に二人に注目した。
「ああ、ばか! だから、言い方!!」
「ああ、そうか、抱っこさせてくれて」
――だから、同じだって、犬って言えよ、犬って、そこ略すな!!
「ああああ。どういたしまして~~。ウチの犬のモモも石川くんに抱っこされて、喜んでたみたいから!」
舞が意識して周囲に聞こえるように、やたら大きな声で言った。