婚約破棄された令嬢が呪うと噂の駅で、令嬢がふたり亡くなりました。賭けに勝ったのは、
「この駅が、噂の呪われた駅ねぇ」
キティは、そのかわいらしい顔ににんまりとした笑みを浮かべた。
つりあがりぎみの緑の目は、エメラルドのように美しい。
そばかすのちった頬も、彼女の快活なかわいらしさをひきたてるかのようだった。
いじわるな笑みをうかべても、キティは子猫のようにかわいらしい。
誰からも愛されて育った少女独特の魅力だ。
すこし前までは、私もこんなふうだったのだろうか。
初めておとずれる場所でも堂々とした態度の従妹を見て、考えずにはいられない。
お父様が、あんなに急に亡くなられなければ、私も……。
キティは、そんな私の物思いになんて気づかない。
燃えるような赤毛と、流行のストライプのドレスの裾をはためかせ、この小さな駅を見分するように、ぐるりと見回した。
ここは、駅というにもおこがましい、単線のホームに屋根とベンチがあるだけの小さな田舎の駅だ。
そもそも廃線になって久しく、電車もこない駅。
だが、この駅は、ある種の人々には有名だった。
呪われた駅として。
それは、社交界で、ひそかに語られる話だ。
むかし婚約者に衆目の場で婚約を破棄された令嬢が、彼と彼の新しい恋人を呪って、この駅で身を投げて亡くなった。
その後、婚約者と新しい恋人は非業の死を遂げた、という。
ありがちといえばありがちな話だ。
けれどこの駅の話が語り継がれたのは、その後も婚約破棄された令嬢が何人もここで死んだからだ。
そしてその婚約者たちがみんな、呪われたかのような悲惨な人生を歩んだからだと言われている。
婚約破棄も、悲惨な人生を送るのも、こんなご時世だもの。珍しくない。
この国の経済は、斜陽に入った。
あまい夢のような世界に微睡んでいた上流階級の人々も、その夢からたたき起こされ、現実という冷たい風にあたらなくてはならなくなった。
これまでの伝統と規則に守られた世界で生きてきた人間同士での婚約は、お金という現実の前にはもろく、あちこちで破棄される。
うまく時流に乗れなかった人間が悲惨な人生を送るのも、またよくあることだ。
「宿に戻りましょうよ、キティ。こんなところに長くいるなんて、怖いわ」
私は、キティの腕にすがるように、手をかける。
キティは、その手を振り払い、はんっと鼻で笑った。
「あんたって、ほんとに憶病ね。まさか婚約破棄された令嬢の呪いなんて、ほんとに信じてるわけ?」
「それは……、そんなことないわ。私だって、呪いなんて信じてない。でも、ここで何人もの方が亡くなったのは本当なんでしょう?」
気味が悪いわと身震いすると、キティは両手を広げて、くるりと回る。
「ばっかみたい。この世界が生まれてから今まで、どこでだって、人はたくさん死んでいるわ。ただ私たちが知らないだけ。でしょ? この駅の呪いにしたって、婚約破棄された令嬢が死んだことで有名だから、同じように死のうって考えた人がいただけに決まってるわ」
「キティが言うことは、理解できるわ。もっともだとも思う。でも、そんなふうには割り切れないわよ。ここでたくさんの人が暗い気持ちで死んだって考えると、なんだか怖いのよ」
「そんなことだから、あんたはいつまでたっても婚約ひとつできないのよ」
嘲るように、キティが笑う。
きゅっと唇をかんで、こぼれそうになる言葉を飲み込んだ。
ひどい……。
キティよりひとつ年上の私に婚約者がいないのは、本当のことだ。
18歳という年齢からすれば、そろそろ焦らなくてはいけない年齢だということも、真実。
でも、私に婚約者がいないのは、私の性格のせいじゃない。
2年前、そろそろ婚約者を決めようとしていたころ、お父様がとつぜん亡くなったからだ。
娘である私には財産を受け継ぐ権利がなく、父の莫大な財産は、父の弟であるキティの父にすべて譲られた。
私と母は、キティの父に養われてはいるけれど、これまでのような暮らしはできなくなった。
新しいドレスも買えなくなり、身の回りの化粧品ひとつ、まともに揃えられない。
おまけに、持参金も用意できなくなった。
こんな状況では、望ましい婚約者なんて見つかるはずもない。
ずっと年上の男性の後添えや、持参金という観念がない貧しい男性になら嫁げるだろう。
けれど、そんな未来を選ぶ勇気は、私にはまだなかった。
これまでしてきた豊かな暮らし、ともに未来を考えられる夫。
少女の夢だといわれても、それを手放すのは簡単なことではない。
私と母の生活を保障してくれているだけでも、キティのお父様には感謝すべきだと言われる。
だから早々に、それなりの夫を見つけて嫁ぎ、叔父の負担を減らすべきだとも。
けれど叔父の財産の多くは、もともとは父のものだ。
父が生きていれば、私が夫をとり、受け継ぐはずだったもの。
今は叔父のものとなっている家も、私が子どものころから住んできた家なのだ。
叔父に感謝すべきと言われて、表面上はそれに同意しても、心の中では、そんなふうには思えない。
あれは、私のものだ。
叔父やキティにかすめとられたのだ、と考えずにはいられない。
「キティみたいになるのは、私には難しいわ」
苦く笑って言えば、キティは「ふふ」と笑う。
「まぁね。私ってば、このとおり度胸があるし、かわいいから。いい縁をつかみ取れるのよね」
くるり、両手を広げて、キティはその場で回った。
そして舞台女優の口上のように、婚約者の自慢をする。
「エドガー様ほどの婚約者は、そうそういないわよね! あのとおりハンサムだし、年齢も私より2歳上でちょうどいいし、お貴族様だしね! 見たでしょ、リリー様のあのお顔! 嫉妬で目がつりあがるほど怒ってらした。怖いったらないわ。あれで上品なお貴族様だなんてね。ほんと笑えるわ。あなたなんて彼にはふさわしくないわ、ですって! これまでは自分は貴族だからって、私たちのことなんて歯牙にもかけないって顔をしていたくせにね。いい気分!」
キティの婚約者であるエドガー・バクマンは、男爵家の3男だ。
もちろん男爵位を継げるわけではなく、貴族の間ではヤンガーサンとして、軽んじられる存在らしい。
でも、新大陸との交易で莫大な財産を築いたとはいえ、成金の商家である私たちにとっては、お貴族様と血のつながりがある男性との結婚は、うらやまれる縁だ。
初めからそれを持っている貴族階級の人間は気づいていないようだけど、貴族の子息は、貴族の子息でなければめったに通えない学校に幼少期から通い、寮生活を通して交友関係をきずいている。
つまり、私たちの階級では知り合うことも難しい人間と広いコネクションを持っている。
彼らの仕草は上品で、語る言葉の引用は洒脱にして、伝統をとうぜんのように踏まえている。
パーティでの振る舞いも、とうぜん体得している。
それらの無形の知識が、私たちにとっては大きな資産なのだ。
貴族ではない人間が、それを身に着けるにはとんでもないお金と時間と運が必要になるのだから。
おまけに、エドガーは単純に見た目がいい。
すらりとした長身、はちみつをとかしたような金の髪、青空の瞳。
快活で、知的で、品があり、といって生真面目にすぎることもない。
仕事は、弁護士だかなんだかをしているらしいが、それなりに事務仕事もできるという。
継ぐべき爵位と財産はなくとも、資産家の娘にとって、これ以上ないほどの有望な男性だ。
だから、キティがエドガーとの婚約を自慢するのは、無理もない。
その婚約が成ったのは、彼女の父が持つ資産のためだとしても。
エドガーに昔からの恋人であるリリー様がいることすら、キティにとっては、なんてことないのだろう。
むしろエドガーが幼いころから思いあっていたお相手が、彼と同じく貧乏な男爵家の次女だと聞いてからは、彼らの恋が叶うことがないことが明白であるからと、恋敵であるリリー様をいたぶって楽しんでいるようだった。
エドガーといっしょに出席したパーティで、リリー様に見せつけるようにダンスをしたり、彼女のドレスをあざ笑ったりするのは序の口。
貧しい貴族令嬢を愛人としてコレクションしている成金の男にリリー様を紹介したり、使用人に手を出すことで有名な家に家庭教師として紹介しようとしたり、リリー様に彼女の立場を思い知らせるような嫌がらせをしてからかって遊んでいる。
どんなにエドガーとリリー様が思いあっていたとしても、貧しい貴族の三男と次女が結婚なんてできるわけはない。
手に手をとって駆け落ちでもすれば、その恋はかなうかもしれない。
けれど、そうした恋のかなえ方をした先達の悲惨な人生も、彼らだって知っている。
本当にここのところ、そういった案件は多いのだ。
彼らにそんな蛮勇をおかす勇気はないのは、はたからみていても明らかだった。
だからエドガーがキティとの結婚を覚悟したように、リリー様もいずれは彼以外の男性との結婚を覚悟しなくてはならない時はくる。
そしてそれが遅くなればなるほど条件は悪くなる。
いまや貧乏な貴族の令嬢というのは、掃いて捨てるほどいるのだから。
そこそこの美しさで実家の爵位も男爵と高くはないリリー様は、若さという武器を失えば、キティが嫌がらせで用意した相手よりもひどい相手に嫁ぐことになりかねない。
実際、娼館に売られたり、たいした資産もない商人の愛人にされ、夜な夜な「接待」に供じられている貴族令嬢もいるという。
商家の男性にとって貴族は、偉そうで上品ぶって長い間自分たちを支配してきた人間だ。
そんな彼らが急に手に入った貴族の令嬢をどんなふうに扱うかは、まざまざと想像できた。
だから私は、キティがリリー様にしていることは、そうひどいとは思わない。
キティに悪意しかないのは確かだけれど、リリー様が運命に立ち向かう気がないのなら、用意されているのはそんな未来しかないのが本当だからだ。
けれど、リリー様や、エドガーにとっては、まだその現実は受け入れられないままだったらしい。
キティが、リリー様の両親にある男性を結婚相手として紹介したことが発覚し、ふたりはとても怒っていたようだ。
そのお相手と言うのが、リリー様より20歳は年上の醜い男性で、これまで2度の離婚歴がある成金で、結婚したらすぐにリリー様を伴って新大陸へ行こうとしている方だったからだ。
リリー様はキティを面罵し、エドガーもまたキティと大喧嘩をしたらしい。
それで、ご機嫌ななめになったキティと私は、物見遊山にこの駅に来たのだけど。
「キティ。リリー様だって、男爵令嬢なのよ。あまり侮らないほうがいいわ」
「侮る?違うわ。正当に評価しているだけよ」
キティは堂々とそう言って、それからとつぜん、宿に帰りましょうと言い出した。
その急な発言に驚いたけれど、あたりはすこし暗くなってきていたし、もう夕刻だ。
私にも否やはなく、ふたりで連れ立って宿へ戻った。
廃線になった駅しかない小さな村の宿は、とうぜん素朴な小さなものだった。
キティは食堂で食事をするのも「こんなみすぼらしいところでお食事なんてできないわ」と嫌がったので、宿の人にお願いして、部屋まで食事を持ってきてもらう。
食事はチキンのソテーにゆでた野菜を添えたものと、パンとフルーツだった。
パンは食べれたものじゃなかったけれど、野菜とフルーツは美味しかった。
私たちはそれを食べ、メイドに下げさせる。
キティはメイドがいてもお構いなしで、ずっと大声で、わめき散らした。
内容は、宿についてのあれこれや、エドガー様やリリー様への文句ばかり。
メイドは怯えたようにこちらから目をそらし、そそくさと食器を片付けた。
到着したときは、めったにない金持ちの客だからと愛想がよかったこの宿の主人夫婦は、顔も出さない。
メイドも彼らにこの役を押し付けられたのだろう、関わりたくないというのがありありとわかる態度だった。
そのことにもキティは怒り、余計にメイドが委縮するという悪循環だ。
私は身を清めるための湯と布、それから夜にいただくお茶の用意をしてもらって、メイドにお詫びを言った。
「従妹は、すこし嫌なことがあって、いまは機嫌が悪いの。そっとしておいてくれれば、数日後には機嫌も治るから、いまはそっとしておいてくれる?ごめんなさいね」
「はい……」
年老いたメイドは気のない返事をし、そそくさと私たちの客室から出て行った。
「キティ。こんなとことまで旅してきたのだもの。すこし疲れているのよ。今日は、もう寝ましょう?」
私はキティにお茶をいれ、できるだけ穏やかに言った。
キティはむっつりとした顔でそのお茶を飲み、またぶつぶつと文句を言う。
けれど次第にその目はとろんと眠気に染まり、やがて小さな寝息をたてて、キティは眠った。
「おやすみなさい、キティ。よい夢を」
私は、静かな気持ちで、そう言った。
「お客様、お客様、起きてください……!たいへんです、お連れ様が……!」
翌朝、私をおこしたのは切羽詰まった声のメイドだった。
昨日の、あのメイドだ。
すこし待ってもらうように伝え、そそくさとドレスに着替えて、階下に降りる。
そこには、宿の主人夫婦と取調官とおぼしき人たちが何人もいて、いっせいに私を見た。
「どうかしましたの……?」
その強い視線に、声が震えそうになる。
できるだけ凛として、私は尋ねた。
すると宿の主人と視線をかわした取調官が、口を開いた。
「お嬢様……、落ち着いて聞いてください。お連れさまが、昨夜、亡くなったそうです」
取調官のリーダーは、年老いた男だった。
いかにも田舎町の取調官らしく、善良そうな間の抜けた顔の男だ。
「キティが……? そんな……。なぜ?どこで?彼女は、いま、どこにいますの?」
私は動揺したように、取調官たちに詰め寄った。
リーダーらしき男性が、私の手をひいて、宿の椅子に座らせた。
「驚かれるのも無理はありません。お連れ様は、近くの、今は使われていない駅でお亡くなりでした。毒を飲んで、自殺なさったようです。そこには、もうひとつの遺体があり……」
男は、私を痛ましそうに見つめながら、おずおずという。
「キティが自殺? それに、もうひとつの遺体ですって? どういうことですの?」
「はい。もうひとつの遺体も、若い女性の遺体です。美しい金の髪に、緑の目の、15~17歳ほどのほっそりとした美しい女性です。こちらもお連れ様と同じ毒を飲んで、亡くなられたようです。彼女のかたわらに落ちていた瓶から、お二人が飲んだのと同じ毒物がすこし残っているのが見つかりました。お心あたりはございませんか?」
「それは、もしかすると、リリー様かもしれません。いいえ、まさか! なぜ彼女が。こんなところにいるはずありませんもの。それに、リリー様とキティが一緒の毒を飲んで亡くなるなんて。ありえない。ありえないわ……! 私の勘違いです。ええ、心当たりなんてありません! それより、キティと会わせてください! あの子が死んだなんて、そんなの信じられませんわ!」
かぶりをふって、取調官に訴える。
取調官はリリー様の名前に反応した。
「お連れ様は、キティ様とおっしゃられましたか。もうひとりの女性は、手紙をお持ちでした。お二人の遺体があった駅。あそこは呪われた駅だと。婚約破棄された令嬢があそこで死ねば、その婚約者と恋人には呪いがかかる。自分はエドガー様に婚約破棄を告げられた、だからそこで死ぬ、死ねばあなたにも呪いがかかると。それが嫌ならば、ひとりでこの駅にこいと、そう書かれた手紙を。差出人は、キティ様のようです」
そういって、取調官は一通の手紙を私に差し出した。
私は、取調官に渡された手紙を見た。
内容は、彼が言ったとおりだった。
サインは、キティのもの。
宛名は、リリー様あてだった。
「確かに、従妹が書いた手紙のようです。でも、信じられません。彼女がこんな手紙を書くなんて。彼女は呪いなんて信じていませんでした。それにリリー様が、キティに言われたとおりにするなんてありえませんわ。彼女はずいぶんキティに腹を立てていましたもの。そもそも。エドガー様と従妹の結婚は、政略結婚です。たしかにこの間、キティとエドガー様は、リリー様のことで言い争いをしていたようですけど。婚約破棄なんて、ふたりの間で決められることではありません。ありえないですわ」
私ははっきりと、キティとエドガーの婚約破棄という手紙に書かれた言葉を否定した。
私の知る限り、二人が婚約破棄をしたなんてことはないからだ。
取調官は、キティがこの手紙を書いたのではないと、私が主張していると思ったのだろう。
従妹の死に混乱していると思われたようで、ただただ気の毒そうに、なだめるように私に言う。
「そのあたりは、わたしたちにもまだわかっていません。若い人のことだ、お相手の男性が婚約破棄だと口走ったのを本気にしたのかもしれません。少しばかり感情的になって、手紙の筆が滑ったということもあるでしょう。……ただリリー様は、おひとりで来られたそうです。お車で」
「車で……。そういえば、彼女のお父様は新しいものにめっぽう弱く、今は車に傾倒しているとうかがいました。リリー様も運転できるとも。でも、こんなところまで、こんな手紙ひとつのために、おひとりでこられるなんて。信じられないですわ」
「しらべなくては、わからないことばかりです。このあたりでは、不審な死なんてものは、めったにないことなのです。我々もこういった捜査にはなれておりません。お嬢様がたのご両親に連絡し、それから専門の捜査官を呼ぶことになるでしょう。そうすればいろいろなことがわかりますよ」
「ええ。ええ。そうでしょうとも……」
「お従妹は、昨夜この宿からこっそり出て行かれたようですな。手には、大きなスーツケースをお持ちだったとか」
「そんな……なぜ。なぜ、キティがそんなことをしたの?どうして、彼女が出て行くのを誰もとめなかったの?」
私は顔を両手で覆い、嘆いた。
取調官は、言いづらそうに答える。
「お従妹さまは、その、すこし気性が荒い方でしたな。メイドたちも、あまり関わりたくないと思ったようで」
「あぁ、キティ……。かわいそうに。きっとエドガーとの言い争いで思いつめていたのね。あの子がいらだっているのは気づいていたけれど、こんなことになるなんて思わなかった。私が気づいていれば……」
「誰だって、他人の考えはわからないものですよ。仲が良い身内でも、相手が隠そうと思えば気づかないことはある。あまりご自分を責めないことですな」
取調官は、ただただ仲の良い親戚を思わぬ形で亡くした私を案じてくれているようだった。
善良な人だ。
私はキティと、そんなに仲が良かったわけではない。
ここに一緒に来たのも、キティからすれば、私と一緒なら気を使わなくて済むし、盛大にエドガーの愚痴を言えるからというだけのものだっただろう。
だけど、こんなことになってしまったら、彼女のことを憐れまずにはいられない。
かわいそうなキティ。
あんなに気が強く自信満々だったあなたが、自殺だなんて……。
「従妹の遺体に会えますか?」
「それはできますが、あまりお勧めはしません。毒を飲んで死んだ遺体は、むごたらしいものです。若い女性が見るようなものではありませんよ」
諭すように言われて、私は悄然とうなずいた。
もとよりキティの遺体をどうしてもみたいというわけではなかった。
ただそうすることが自分の義務だと思ったから、口にしたまでだ。
「これから、私はどうしたらいいんですか……」
おずおずと問えば、取調官は穏やかな笑みを向けてくれた。
「ご遺体のご両親との連絡先を教えてくださいますか。連絡はこちらでお取りします。後は昨日のお連れ様の様子を伺ったり、お荷物を調べたりさせていただくかもしれませんが、たぶんそういった捜査は、後日おとずれる捜査官がするでしょう。とにかく、あなたもショックが大きかったでしょう。いったん熱いお茶でも飲んで、気を落ち着けてください」
「ありがとうございます。おねがいいたしますわ……」
私は、うつろな笑みを浮かべた。
宿の女主人が、あたたかなお茶を手渡してくれる。
そちらに弱弱しく笑みをうかべて、お礼を言う。
「お茶をいただいたら、すこし横になってもよいでしょうか。さきほどから、すこし気分が悪くて……」
「それはいけませんな。ごゆっくりなさってください。なに、いまは信じられないかもしれませんが、日がたてば、なにもかも落ち着くところに落ち着きますよ」
「そうであればいいのですが……」
私には、そう返すのが精いっぱいだった。
こんなことがあっても、落ち着くことがあるのだろうか。
そうならいい。
そうあってほしい。
私は、心から願い、お茶を飲んで、眠りについた。
眠りにつく一瞬前、昨夜のキティの顔が脳裏をよぎる。
キティ。
あぁ、もう、生きた彼女に会うことはないのだ。
結婚式の日は、ぬけるような青空の美しい六月だった。
教会での付き添いは、叔父がしてくれた。
母は久しぶりに美しく装い、私の幸せな門出を涙を浮かべて祝ってくれている。
叔母もまた目に涙を浮かべているが、この涙は亡くなったキティを思ってのものだろう。
祭壇の前で花嫁を待つエドガーは、緊張したおももちで、叔父から私のエスコートを譲渡された。
叔父も、エドガーも、この数か月ですこし痩せていた。
それも無理のないことだ。
取調官たちはキティの手紙や周囲の聞き取り調査で、すべてはエドガーに婚約破棄されると考えたキティと、将来を絶望したリリーの自殺だと判断した。
キティがリリーに手紙を出して呼び出し、彼女の目の前で自殺した。
この死をもって、お前を呪ってやると言い残して。
リリーは将来を悲観し、キティがもっていた毒の残りで自殺した。と。
リリーは非常に迷信深く、呪いの存在も信じていたらしい。
それに、彼女は望まぬ結婚を押し付けられそうになっていた。
幼いころから想いあってきたエドガーとの結婚は絶望的だ。
死を望んでも不思議はない、と取調官やリリーの両親は考えたようだ。
叔父も、リリーの両親も、スキャンダルをおそれ、事件はろくな調査もされないまま、終わった。
叔父には、キティ以外に子どもはいない。
私は叔父の養女になり、エドガーと結婚することになった。
二家は共同で事業も始めていたので、この婚約をなくすことはできなかったからだ。
たとえ、キティという叔父の実の子が亡くなったとしても。
叔父はキティを愛していたが、自分が始めた事業のことも愛していた。
しぶる叔母を説き伏せ、私を養女にし、自分の実子としてエドガーと婚約してくれと私に頼んで来た。
エドガーは、リリーのこともキティのことも、それなりに大切に思っていたらしい。
彼はふたりを想って憔悴していたが、自分の未来のために、私と結婚することを受け入れた。
この事件の原因となったのは自分の心変わりだからと、二度と他の女に目を向けないと、心に誓ったそうだ。
……それは、なによりだ。
こんなこと、そうあっては困るのだから。
なにもかも、信じがたいほどうまくいった。
私は、人生最大の賭けに勝った。
結婚式のこの日、ようやく私は自分の勝利を確信しはじめた。
あの夜、私は寝る前にキティにいれたお茶に毒をしこみ、キティを殺した。
そしてキティの死体をスーツケースに入れて運び、リリーを待った。
リリーが異常に迷信深いのも、あの呪いの駅を恐れているのも知っていた。
いっぽうで彼女が、いっそ自分があの駅で死に、キティを呪いたいと考えていたことも。
というか、私が社交界でのあの駅の噂を再燃させ、彼女たちの耳に入るように仕向けたのだ。
リリーの迷信深さは、予想以上だったけど。
そのせいで、あんなになにもかもうまくいった。
ほんと、呪い様様だわ。
リリーは駅に着くと、おそるおそる車からおりた。
その瞬間を狙って襲いかかり、無理矢理毒を飲ませた。
無我夢中だったから細かいことは覚えていないけれど、意外なほどそれは簡単だった。
あれはもしかするとあの駅の呪いがなんらかの手助けをしてくれたのかもしれないと考えてしまうほどだ。
そのあとは二人の死体を駅に放置し、リリーのバッグにキティからの手紙があるのを確認し、目立つ赤毛のウィッグをかぶってキティのふりをして目撃者を作っただけ。
キティが持って行ったことになっているトランクが不審がられると思ったけれど、そのあたりも特に問われることもなかったし、赤毛のウィッグを処分した焼却炉も調べられることはなかったようだ。
今日までばれなかったのだから、もうあそこから証拠がでることはないだろう。
田舎のことだから、すぐにじゅうぶんな調査はされないというのは予想していた。
けれど予想以上に取調官は善良で、おとなし気な若い女を疑うそぶりもみせなかった。
取調官たちの初動捜査もいい加減だったし、取調官たちが捜査官を呼んできちんとした捜査をさせようとしたのも、人目を気にするお貴族様であるリリーの両親や叔父様は、スキャンダルになることを恐れてふたりの死を「若い娘のセンチメンタルな自殺」としてそっと片付けることにした。
だから専門の捜査官が呼ばれてきちんとした捜査を受けることもないまま、キティとリリーの死は自殺と断定された。
事件は、そのように片付けられ、関係者たちも納得している。
こうなるだろうと思って、キティとリリーを殺そうと決めた。
けれどうまくいくかは、賭けでしかなかった。
すべては豊かな生活も、素敵な夫とすごす未来も手放せなかった少女の私がおこなった賭けだった。
キティをあの駅に連れ出せなければ。
キティにうまく毒を飲ませられなければ。
リリーがあの駅にこなければ。
リリーに抵抗され、毒を飲ませられなければ。
叔父やリリーの両親が、きちんとした取り調べを望めば。
取調官が、私を疑えば。
はじめからきちんとした捜査が行われていれば。
私は、ここにいなかった。
けれど、私はここにいる。
裕福な生活も、キティが自慢していた夫も、自分のものにして。
私は、賭けに勝ったのだ。
私は、晴れやかな気持ちでエドガーからの誓いのキスを受けた。
みんなにうらやましがられる夫も、財産も、すべて私のものだ。
ねぇ、キティ。
言ったでしょ、私は呪いなんて信じていない。
死んだ人間は、それで終わり。
あなたも、リリーも負けて、わたしは勝った。
あなたみたいな人が自殺なんてするわけないのにね。
叔父や叔母さえ、あなたが自殺したって信じてしまったのよ。
私、うまくやったでしょう?
私が、憎い?
呪えるものなら、呪えばいいわ。
そのくらいの慈悲は与えてあげる。
かわいそうなキティ。
もうなにもできやしない。
あなたにかすめとられたものを奪い返し、あなたが獲得した夫も手に入れて、私は、これから先の人生を、幸せにいきてみせるわ。
私は、天国にいるキティに笑いかける。
青く澄み渡る空には、平和の象徴の鳩が舞う。
それは、素晴らしい未来を象徴するかのようだった。