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《四度目の夢》①

 眠りに落ちた瞬間と、夢を自覚した瞬間の境が曖昧だ。

 気が付いたらあの夢の中にいた。

 今がいつなのか分からない。

 前後不覚というやつだ。

 辛うじてこれが四度目の夢だということは思い出せた。

 それに続いて、もう幾らも猶予がないという追い詰められたような感覚。


 落ち着け。

 そう自分に言い聞かせる。

 深く考えるのをやめ、夢の中の自分の身に起きていることに意識を集中し、事態をできるだけ客観化しようと努める。

 それが、できるだけ長く夢を見続けるにはどうすれば良いかと皆で考えた方法だった。

 夢の中の自分と意識を同調させ過ぎても駄目。

 その反対に、現実の自分を意識して夢とは無関係に思索を巡らせ過ぎても駄目。

 夢と現実の境界に揺蕩うような、微妙なあわいに自分を紛れ込ませるような心持ちで……。


 両手に冷たい感触があった。

 両手にあるのは……、これは防火扉だ。

 冷たい防火扉に触れていた。

 夢の中の自分が振り返ったことにより周囲の状況が飲み込めた。

 学校の廊下の、防火扉の前だ。目の前に美術室があるので、ここが二階の部室棟階段側の廊下だということも分かった。

 夢の中の自分が息を吐く。

 気のせいか、それで夢を見ているこちらの気分も落ち着くようだった。

 大丈夫だ。どうやら差し迫った危険はないらしい。

 視線の先、美術室のドアの陰から、若干膝を曲げ、腰を低くした体勢で吉岡が姿を現す。肩口から斜めに大きな鞄を提げているのが目に付いた。

 自分はその鞄の中身を知っている。そう思った。

 夢の中の自分が知っているからそれが分かったのか、それとも夢を見る前の、現実の自分が知り得た情報からの類推なのかは、境界が曖昧で判然としない。

 駄目だ。もっと集中しなければ。

 考えるのはこの夢が終わった後でいい。

 映画を観る観客のような視点に徹するんだ。


 吉岡はこちらを見て頷いたあと、後ろに向かって手招きをした。

 やや間があり、美術室から中原が背中を見せながら出てきた。両手で長机の片側を持ち上げ、それをこちらに向かって運んでくる。

 美術室の出入り口を通る際、吉岡が机の角に手を添えて誘導する。

 そうすることで、机の縁をぶつけて音を立てることがないようにしているのだ。

 長机の反対側を持っているのは岩見だった。

 二人はおっかなびっくりというていで、それでもどうにか無事に机を防火扉の近くまで運び、そこで一旦机の脚を下ろす。

 慎重に。音を鳴らさないように……。


 視線が防火扉の方を向きピタリと止まる。

 何かを恐れ、様子を伺っているのが分かった。

 ヒリヒリとした緊張感が伝わってくる。

 やはり、いるのだろうか……。この扉の向こう側に……。

 中原と岩見の二人は身体の位置を変えて、長机を壁側に寄せ直した。

 すると、長机は防火扉と柱の出っ張りの空間に、まるで測ったかのようにぴったりと収まった。

 これでつっかえ棒にできたということだろうか。

 横から強い力が加われば、それだけでずれてしまいそうな危うさがあるが、中原と岩見、吉岡の三人は安堵の表情を浮かべ、身振りで互いの首尾を称え合っていた。

 ここにいる目的が〈モヤゾンビ〉の封じ込めであることは、防火扉を見たときから察しが付いていた。

 自分たちが立てた計画だ。

 夢の中の自分たちがそれを実行しているのだった。

 こちらに四人、ということは、この防火扉と実習教室を挟んだ反対側の廊下には広瀬、倉田、長谷川の三人がいるのだろうか。あるいは、放送室から白峰と磯辺の二人も合流して五人で行動しているのかも知れない。

 教室棟の見回りは危険が高そうなので後回しにしようと決めていたから、そちらには行っていないと思われる。

 もっともそれは、現実の自分たちが決めたことであり、夢の世界の彼らは別の理屈で行動している可能性はあるのだが。


 自分を含むその場の四人は、エレベーター棟の階段を使い一階へと下りて行く。

 一階では見知らぬ女子三人が身を寄せ合い、壁を背にして座り込んでいた。

 彼女らはこちらに気付くと、何か言いたげな表情を浮かべたが、口を開く前に中原たちが人差し指を口の前に立ててそれを制した。

 そのまま身振りでここに留まるように指示しつつ、三人の前を通り抜ける。

 外に出ると、さらに多くの生徒たちの姿があった。数はざっと二十人弱。女子は大体二人一組で、男子は大抵一人で、互いに距離を取って座っていた。

 皆、校舎の壁を背にして座っている。さらにそのほとんどは顔を膝に付け、ジッとうつむいていた。何人かはこちらの姿に気付いて顔を上げたが、それ以上の反応を見せる者は誰もいなかった。

 憔悴し切っているのか、恐怖で身動きできずにいるのか、あるいはその両方か。

 ここで迂闊に声を出すような人間は、とうに淘汰されてしまっているのかもしれない。

 彼らが皆、大人しく座っている姿について、そんな残酷な理由が思い浮かぶ。


 夢の中の自分はエレベーター棟の前で立ち止まり、周囲を丹念に見回していた。

 エレベーター棟の地上階は一旦外に開けていて、下りと上りの短いスロープを挟んで一階の校舎に続く構造になっている。

 〈モヤゾンビ〉らしき影はどこにも見当たらなかった。

 とは言っても、この場所はエレベーター棟と校舎の壁によって前後の視界を遮られているし、あまり見通しが良いとは言えない。物陰で気配もなく立ち尽くし、誰かが音を立てるのをジッと待ち構えていたとしてもおかしくはない。

 大勢の生徒たちが作る不気味な静寂が、そんな雰囲気を醸し出していた。

 左手の駐車場には教員たちが使う自動車が整然と並んでいる。その先は学校の敷地外だが、背の高い植栽のせいで隣家の屋根ぐらいしか見通すことができない。

 右手にはグラウンドの一画と第二体育館に続く渡り通路。それから、その向こう側に運動部のプレハブが見えていた。その辺りまでいくと遠くてよく見えないが、見える限りにおいて人影はない。

 まるで静止画を見ているようだった。


 その時になって初めて思い出したことがある。

 確か二度目の夢の中で、体育教師の中村と思われる声がこの近くで途切れたのだ。

 直接見たわけでもなく、直接耳で聞いたわけでもないが、その現場はエレベーター棟の入口辺りであると想像していた。

 もしもあの、バシャリという音と共に床に叩きつけられた残骸か何かが残っているとすれば、すでに通り過ぎたか、あるいはまさに今、自分が立っている辺りのはずなのだが、それらしき物は視界に映らなかった気がする。

 振り返ったり、足元を見たりして確認できればよいのだが、たったそれだけのことすら許されない不自由さがもどかしい。

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