8話 北方の山岳にて1
山脈のすそ野に広がる直径ニ十キロメートルの大森林、その森の外れに、百人程度が住む小さな村があった。
ある家の前で、髪が薄くなった老人と、妙な服装をした青年が、丸太に腰掛け向かい合って座っている。
「助かったよガル爺さん! これは使えるな!」
和樹は、自分の制服を見回す。ワイシャツの汚れが消えたのはもちろん、ネクタイのしわまでもが無くなった。
「礼を言われるまでも無い。こんな皆が使える魔法、わしじゃなくても、すぐに誰かに教えてもらえたわい」
長い白髭を蓄えた老人は、ふぉっふぉっふぉと笑いながら、焚火を木の棒でかき混ぜる。
「さすがに現代にも、汚れた衣服を一瞬で綺麗にする装置なんて無かったからなぁ。こっちでも色々勉強していかなくちゃだな」
「ゲンダイ? どこの国……? いや、そうか、おぬし、転移者か」
老人は、焚火をつつきながら、言った。
和樹は、落ち着いた老人の様子から尋ねる。
「珍しくは無いんだよな?」
「いや、少ないと思うぞ。わしも初めて会った。まあ、ここは田舎じゃから、賑わった街の人はどう言うかしらんがな」
老人は、木の棒で火を横にずらすと、その下の土を掘り始めた。
「珍しい技能である複製を持っているのも転移者だからか。羨ましい限りじゃな」
「数日前に会った冒険者には、ゴミ技能だって、馬鹿にされたけどな?」
「まあ……冒険者達からしたら、そうかもしれん。だが、ただの村人からしたら、便利でたまらん技能じゃぞ」
老人は、土の中から焼き芋を掘り出した。それに、木の棒を突きさす。
「村人に、大きな炎はいらん。小枝に火をつけてやれるだけで十分じゃ。後は、薪の量で、火力は調節したら良い」
老人は「熱いぞ」と、言いながら、木の枝に刺さっている焼き芋を和樹の前に差し出した。和樹は、それを事も無げに手でつかみ取る。
「ほう……。そう言えば、お主、ちっとも寒いそぶりを見せないな。それも、技能の力か」
周囲の森の木々で少しはましだとは言え、山脈から強く冷たい風が吹き下ろしてくる。老人も、毛皮の上着を着こんで、十分な防寒をしていた。
「まあな。夏の暑い時でも、冷房…つっても、分からないか。冷たい風をラーニン…複製しているから、年中快適だよ」
「冷たい風を複製じゃと……」
老人は、しばし動きを止め、揺れる炎を見ながらじっと考えていた。
「……わしの爺さんが言っていた。子供の時に、不思議な複製の技能を見たらしい。その男は、事象すらも複製したと言う事じゃ。つまり、複製相手は人だけじゃなく、自然もその標的となり、溶岩の熱を複製し、熱風を出せたと聞いている。他にも、自然の落石に遭遇して怪我をすれば、巨大な岩を作り出して投げつけたりも出来たとか」
「……そうか。その男は、どうなったんだ?」
「悪い冒険者に殺されたと聞いている。岩を落石の速度で投げつけた所で、攻撃魔法には、それの上位互換の土魔法があるからな」
「そうだな。それが限界だよな」
老人も、自分の分の焼き芋を掘り出し、ふーふーと覚ましながら食べ始めた。
「お主も、無理をするなよ。長生きのコツは、じっと我慢じゃ。良い事は、きっとある」
「ああ……」
和樹は、村を見回した。村を歩く全員が、目の前の老人と同じくらい痩せ細っている。
その時、和樹の後ろから足音が聞こえてきた。和樹の目の前の老人は、慌てて目を伏せる。
「Aランク冒険者じゃ。Fランクのお主は、目を付けられないように気を付けるんじゃ」
和樹達の横を通り過ぎようとした三人組だが、和樹の姿を見て足を止めた。
「珍しい恰好だな。村人とは思えん。身分証のような物はあるか?」
三人組は、全身鎧の戦士が一人、半身鎧の剣士が一人、そして、シャツを羽織った少しお洒落目の魔法使いが一人の、全員男性の三人PTのようだった。鎧に付いた細やかな傷や、古木を使った年季の入った杖から、歴戦の強者の様子だった。
「えっと、これかな」
和樹は、ジャケットの内ポケットから、王様にもらったカードを出し、見せる。
「Fランク冒険者か……。なぜこの村にいるんだ?」
返されたカードをポケットに戻しながら和樹は答える。
「盗賊がこの辺りの山岳に出没するって依頼を受けたんだよ」
「この森では、何人もの冒険者が姿を消している。その盗賊にやられた可能性もある。Fランク一人でどうする?」
「いや、俺は盗賊を見つけてもすぐに逃げ出すさ。根城だけ分かれば良い」
「なるほど。斥候で、小遣い稼ぎに来たのか。我々の邪魔をしないように頼むぞ」
そう言うと、三人は行ってしまった。
老人は、三人の姿が小さくなってから、声を潜めて和樹に言う。
「偉そうな事を言っておるが、奴らはしょっちゅうこの村に来ては、盗賊が見つけられずに帰っておるのじゃ。お主が根城を見つけてくれれば、奴らの鼻を明かせてわし等も胸がすくのじゃが、しかし、無理はするなよ」
「何度も来ているのに、見つけられない……のか」
和樹は、三人の小さくなった背に、ぽつりと言った。
和樹は、村を出ると、北へと進む。先ほどの冒険者達三人の足跡も残っており、彼らも同じ方角を目指しているようだった。
「一応、探知を使うか」
そう言うと立ち止まり、和樹は周囲に感覚を広げる。すると、後方五十メートルの所に、いくつかの気配を感じた。二足歩行で軽量型、手を器用に使って茂みをかき分けているようなので、人間だと感じた。ただ、先ほどの村の住人が何かしらの理由で和樹を追いかけてきているようでは無さそうだった。足音を出さないように、つま先に重心が寄っている。
和樹は、地面をくっと軽く踏むと、姿を消した。
数分後、和樹のいた場所に、冒険者風の三人が現れた。
「いない……。やっぱ殺戮兎だったんじゃねぇの?」
「絶対人間のはずだって!」
「
じゃあ煙のように消えたのかって事になっちゃうじゃん」
軽量鎧の戦士が不満気な顔をすると、弓を背負った狩人は頬を膨らました。そこに、黒いワンピースを着た魔法使い風の女性が、「まあまあ」と、割って入った所で、頭上から声がした。
「俺に用があるのか?」
三人は驚いて見上げた。だが、木々の枝には誰の姿も無い。
「隠蔽魔法だわ! 私に任せて! 解除!」
魔法使いが、杖で宙に円を描く。しかし、三人の目の前には誰も現れない。
「どうなってんだよ!」
「わかんないわよ!」
見上げながら言い合いをしている三人の目の前に、枝に立っている和樹が突然現れた。
飛び跳ねそうになるくらい驚いた三人の前に、和樹が木から飛び降りて来た。すると、魔法使いが和樹に尋ねる。
「どうして解除の魔法が聞かないの? あなた、どんな種類の隠蔽魔法を使ったのよ?」
「魔法なんて使った覚えはないけどな。ネイティブアメリカンに習ったように、自然と一体化していただけだ」
「はぁ? ねいてぃぶん…めん?」
戦士、狩人、魔法使いの三人は集まり、ごにょごにょと話をしたあと、戦士が代表して自己紹介をする。
「俺達は、泣く子も聞き返す、まだまだ中堅PTの『三時の英雄』だぜぃ!」
「さんじの英雄?」
「おう! 夕食とか、そんなメインまでいけないから、おやつ程度の軽食って意味の『三時』と、三人PTの『三』をかけてるんだぁ!」
「……ああ、PTに名前を付けてるって事か。『疾風の迅雷』みたいな中二的な奴か」
冷めた調子で和樹が言うと、狩人の女が口を尖らせる。
「ダサいってのは分かってるよっ! でも、『ほら、あのPTが』みたいに噂話をする時、PTの名前が付いていないと、すっごく分かり辛いから、仕方なしなのっ!」
言われた和樹は少し考えた後、「確かに」と納得した。
先ほどのAランクの三人PTも、こちらの三人PTも、似たような職業編成で、違いを表現しにくい。リーダーの名前、例えば和樹PTや平太PTと呼んでも良いが、それよりも『疾風の迅雷』とか、『三時の英雄』とかにした方が、ダサいが区別はし易そうだった。
三時の英雄の三人は、戦士がナデ、狩人がユメ、魔法使いがマキと名乗った。
「なんだFランクかい! 俺も、ユメもマキも、全員Cランクな!」
戦士のナデは、上機嫌で歩きながら、和樹の肩をバンバンと叩いてくる。
だが、例えCランクでも、たった三人では盗賊に太刀打ち出来ない。『三時の英雄』も、和樹と同じく、盗賊の本拠地を見つけるだけの斥候の任務で終わらせる予定らしかった。
「大した気配の隠し方だったけど、職業は何なんだよ?」
「職業? それって、どこかに届け出が必要なのか? ギルドとか?」
「いやぁ、皆、勝手に名乗ってるだけだ! PTメンバー募集とかの時にさ、剣が得意な奴は戦士とか剣士って伝えると、長所が分かり易いだろ?」
この世界では、ゲームのように冒険者が普通にいる世界なので、『三時の英雄』など、PTの異名もそうだが、何かにつけて分かり易く言葉が細分化や、便利化されているようだった。
例えるなら、日本では『ケーキ』と言っても十分伝わるのだが、ショートケーキや、ミルフィーユ、ティラミスやタルトなど、一発でどのような物なのか細かくイメージ出来る言葉がある。そのような物なのだろうと、和樹は思った。
「で、俺も、お前らも、予定は斥候なんだが、大丈夫なのか? こんな騒ぎながら歩いていて」
和樹が問うが、ナデは気にしないようだった。
「見つかるときは見つかるって! それに、俺達は、盗賊に襲われても、それぞれに必殺技があるから平気だ!」
「必殺技? 現れたのが魔獣だったとしても、その必殺技とやらは効くのか?」
そう聞くと、ナデは「あっ!」と言ってから、腰のバッグから小瓶を取り出した。
「これは魔獣避けの粉だ。俺達は使ってたんだけど、カズキはまだだったな」
そう言って、ナデはカズキに粉を振りかけた。
和樹は肩に乗った粉をクンクンと嗅いでから、
「これで大丈夫なのか?」と聞くが、ナデは「まあ絶対って訳じゃないけど」と言って、鼻の頭を掻いた。
どうやらある程度強い魔獣には効かないらしいのだが、この森にはそのクラスの魔獣は滅多にいないらしかった。
それから一時間くらい進んだ頃だろうか。
先頭を歩いていた狩人であるユメが、ぴたりと足を止めた。背を丸めて辺りの気配を探っているようだった。
「敵なのか?」
「しっ!」
尋ねる和樹を、ユメは制する。
「嫌な気配ね。皆、戦闘態勢を取って」
ユメは後方に下がり、魔法使いであるマキも下がる。代わりに、戦士であるナデが前に出た。
「カズキは武器を持っているのか?」
ナデが聞くと、和樹は、ジャケットの内側からナイフを一本出した。刃渡りがニ十センチ程で、現代日本では大型ナイフだろうが、この世界では護身用の小型ナイフの部類に入る程度の物だった。ただ、刀身全体が黒色であった。
「まんま、斥候だな。カズキは、そこで見ていろ。俺達の強さ見せてやんよ!」
ナデは、中段に構えた剣を、ぎりぎりと強く握った。
ゴォォォ
突然、炎が現れ、目の前の大木が燃え上がる。その炎の横から、大きな黒い体を持つ魔獣が現れた。四足歩行で、がっちりとした体格だった。
「これは、角熊か?」
和樹がナイフを構えながら言うと、ナデは首を横に振る。
「これは角熊の上位種、火熊だな。山岳地帯にいる魔獣なのに、どうして森林に……」
ナデは、後方のユメとマキに、アイコンタクトを送った。ユメは、弓につがえていた矢を外し、別の矢に取り換える。その横で、マキは、呪文詠唱を始めた。
「カズキ! こいつはBクラスの魔獣で、手に負えないかもしれない。俺達の必殺技で、一旦逃げるぞ!」
その声を合図に、ユメは矢を放った。今度の矢には、何やら袋が結び付けてあるようだった。それが、火熊の頭上の枝に刺さり、袋から粉が舞った。
グォォォ
鳴き声を上げながら、火熊は目を押さえた。その魔獣の姿を、霧が覆っていく。恐らくマキが発生させたと思われる霧が、いつの間にか和樹達の周囲に立ち込めていた。
「最後は俺だ!」
ナデは叫ぶと、左手から火球を放った。どうやら魔法の様だったが、本職では無いからか、ソフトボールくらいの大きさだった。
バァンッ
だが、その火球は火熊の顔のそばで、大きな破裂音と共に、爆散した。
グォォォ
火熊は、更に苦しそうな声を上げた。
「よし! これで、火熊の目と耳を塞いだぞ! 奴はもう何も頼る物はねぇ! 逃げるぞ!」
四人は、それぞれ分かれて逃げ出した。四方向へ足音が遠ざかって行く。
目も耳も使えない火熊はその場に留まるかと思われたが、目を瞑って苦しそうな顔をしながら、ある方向へ四つ足で猛然と走り出した。
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