3話 異世界2
扉から二十メートル程向こうに、受付があるようだった。そこへ行くまでには丸机や椅子がいくつも置かれているのだが、時間的な物なのか、誰も座っていない。ギルド内には、一人二人しか冒険者風の人間は確認出来なかった。
平太は、受付左側にある、幾つも紙が貼られた掲示板のような場所へ行く。そこでしゃがみ込むと、下の方に貼られた紙を一枚手に取る。
「やっぱこれだろ! 定番の薬草集め!」
笑顔でそう言うと、受付でギルドカードを見せ、すぐに和樹達の元へと戻ってくる。
「まあ俺みたいなベテランになるとさ、当然魔獣討伐の依頼ばかりなんだけど、初心者はこれにしとけって!」
平太、和樹、五十嵐は、ギルドを出ると、城門へと向かう。そして外へでると、街道を歩きながら、昔話に花を咲かせる。十五分ほどで、目的の森の入口へ着いた。森と言うが、まだこの辺りは木々もまばらで、草原も所々にある。日本で言う、ハイキングコースのような感じだった。
「自分だけ、どうして苗字で呼ばれるのでしょうか? 花と、この世界に合わせた呼称の方が良いのではないでしょうか!」
歩きながら、五十嵐が敬礼を作って和樹に訴えるが、和樹は渋い顔をする。
「いや……、花って……可愛い過ぎるからか、そう呼ぶのって彼氏っぽいでしょ? 五十嵐さんは、五十嵐さんで良くない? 異世界人には、『五十嵐』と『花』の、どっちが苗字なのかは分からないんだから」
「なるほど。一理あるであります。自分も、五十嵐の方が、いかつくて好きであります!」
「ちょっと待った! それそれ!」
不意に、平太が二人を制し、ある木の根元を指さした。
「それが、今日の目的の薬草だ。薬草は他にも何種類かあるんだけど、この辺りにはこれしか生えていないと思う。まあ追々(おいおい)、種類を覚えていくといいぜ!」
和樹は、木の根元に生えている三十センチほどの草を引っこ抜いた。葉がギザギザの円形で、やや肉厚。色は、葉の中央の葉脈にそって少し紫だった。特徴的だと言えばそうなのだが、知らなければやはりただの雑草のようだった。
「これを何本集めれば、依頼はクリアなんだ?」
「回復薬は常に不足している物だから、何本ってクリア制限は無いんだ。ギルドに持っていけば、一本当たり、日本円だと百円相当が貰えるぜ!」
平太は白い歯を見せ、親指を立てて言うが、和樹は薬草を持ったまま、辺りを見回す。その場所から見える範囲の木の根元には、同じ植物は見当たらない。
「一日で……何本くらい集められるんだ?」
「まあ、初心者だと一時間に一本ってとこかな? 俺くらいベテランになると、一日で二十はいけるぜ!」
「二十って……二千円? それで、生活できるのか?」
和樹は、平太の汚れたシャツをちらりと見て、聞いた。
「まあ……、ほら、俺達は王様の援助で、最低レベルの宿は無料で泊まれるし、食事も……パンとスープだけなら無料だし、異世界の風呂代は下手すりゃ高級宿代より高いけど、風呂はしばらくなら入らなくても死なねーし、何とかなるんだって!」
平太の言葉は、まるで、実際に平太自身は、薬草採取だけで生活しているように、和樹には聞こえた。
口をぽかんとする和樹の様子に、平太は慌てたように答える。
「良いとこもあんだぜ! うるさい母ちゃんはいないし、学校も行かなくて良いし、本当なら……俺達 高校二年だろ? 大学受験も気にしなくて……、あっ! そうだ、結局高校受験も無くなったしな! 俺、最低レベルのヤンキーだらけの高校しか行くとこ無かったから、ラッキーって感じよ!」
平太は、万歳とばかりに、両手を何度も上げ下げする。
そんな嬉しそうな様子の平太に、和樹は何かを聞こうとした。
「平太、帰りたくは…、っ!」
和樹は言葉を切った。そして、ある方向を見据える。
その和樹の様子を見て、五十嵐は、つなぎのジッパーを下げると、開いた胸元から手を入れ、和樹に聞く。
「敵でありますか?」
「どうかな……。四足歩行、前後の加重から、熊に近い生き物だ」
和樹の言葉を聞いた平太は、笑いながら肩をすくめる。
「なんだよ? 何が始まったんだよ? 一応乗っかると、確かにホーンベアって熊みたいな魔獣はいるけど、こんなとこにいねーぞ。もしいたら、Cランクだから、ベテラン冒険者が最低四人いないと倒せない化け物だぜ!」
ベキベキベキ
木がへし折れる音がした。
平太が驚いて振り返ると、人の胴よりも太い大木が、左右に倒れて行く。その間から、体長三メートルはある熊のような黒い生き物が、立ち上がって三人を見下ろしていた。
「ほ……ホーンベアだ……。どうしてこんな森の入口にいるんだよ……」
名前に『ホーン』が入っている通り、大熊の鼻の上に角が一本、そして、両の手のこぶしにも、角が一本ずつあった。目つきは、地球の丸い目をした熊と違い、横に鋭く瞳は赤、そこからどす黒い殺気を放っている。
「に……逃げろお前ら!」
平太は、腰からナイフを抜き、切っ先を熊に向けて両手で構えた。錆びたナイフの切っ先は、ぷるぷると震えて、定まらない。
動かない和樹を、ちらりと見て確認した平太は、尚も言う。
「何してんだよ! こっ……こいつは……俺みたいな超ベテランでも多少苦戦する相手だ! 足手まといだから、お前らは逃げるんだ!」
しかし和樹は動かない。興味深そうにホーンベアを上から下へと眺めている。まるで、動物園にて檻の中に閉じ込められる熊を眺めているようだった。
「お……おいっ! 分かんねーのかよ! ここは、リアルに人が死ぬ世界なんだよ! 俺達の常識は…」
ブシュッ
鮮血が舞った。青い空が、一瞬赤に染まったように見えた。
首から血を吹き出しているホーンベアは、傷口に構わず、右手を振り下ろした。しかし、
その手を木の葉のようにひらりと躱す何かがあった。
「仕留め損なったであります。硬いであります!」
それは五十嵐だった。右手に持っていたナイフを、ポンと空中に弾くと、逆手に握り直した。
平太は、熊の頭上で揺れる太い枝を見つけた。どうやら、五十嵐は木の上からホーンベアを襲ったようだった。初見であろう化け物相手に何の躊躇も無い五十嵐に対して、平太はごくりと唾をのみ込んだ。
「いけそうか?」
和樹がそう聞くと、五十嵐は、軽く左右にステップを踏む。
「レンジャー訓練を思い出すであります。熊鍋は、隊員たちに大好評でありました!」
バシュッ
五十嵐の姿が消えたとたん、ホーンベアの右ひざが割れた。ホーンベアはバランスを崩しながらも、苦し紛れに右手の角を振り回す。だが、当然空振りだ。そして、五十嵐はその伸び切った右腕を見逃さず、肘関節を切りつけた。
グォォォォ!
ホーンベアは唸りながら、四つ足に戻った。その場で回転をして警戒するが、一瞬の隙を狙って、今度は左足が引き裂かれ、血が地面を濡らす。怒りに狂うホーンベアだが、巧みに木の影を移動する五十嵐の姿を全く捕らえられないようだった。
ドンッ
その時だった。一際珍しい音が空中に響いた。例えるなら、ビストンで空気を圧縮して放ったようであった。それと同時に、四つ足のホーンベアが、前足を両方とも曲げ、突っ伏すように地面に倒れた。そして、ぴくりとも動かなくなった。
ホーンベアの後ろの木の陰から、五十嵐が姿を現した。そして、ナイフを大きく振り、付いた血を払いながら言う。
「自分だけでも完遂出来ましたでありますよ」
少し残念そうな表情を浮かべながら、五十嵐はつなぎの中からナイフホルダーを取り出し、自分の太ももに巻く。そこに、持っていたナイフを仕舞った。
和樹は、ホーンベアに近づいて歩きながら、五十嵐に言う。
「だろうけどさ、ほら、これ」
和樹は、ホーンベアのそばに生えていた薬草を指さし、それを屈んで引き抜いた。
それを見た五十嵐は、おーっ、「さすが和樹殿」と声を上げ、拍手をして笑顔をみせる。
何がなんだか分からなかった平太だが、ひとまず身の危険は去った事を理解し、平太もナイフを腰に戻した。
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