2話 異世界1
「よくぞ参った勇者達よ……」
白髭を蓄え、頭に王冠を乗せたやや細身の老人は、言葉の後に視線を右、左と、ゆっくり動かし、困惑した様子だ。王様を囲む数百人のローブを着た男達もかなりざわざわとしていた。
勇者と呼ばれた男は、まず足元を確認した。教室で見た魔法陣と同じものが、こちらは黒字だが、石の床に描かれている。
「悪いね。今回は一人でさ」
そう言った男の言葉に、重ねるように王の姿をした男は言う。
「まさか、二人だけとは……」
「二人?」
男が振り返ると、そこには四つん這いの姿勢で額をさすっている黒スーツの女性がいた。
「いっ……五十嵐さん! な……なんでこっちに?」
黒スーツの女性はポニーテールの頭を上げ、額に手を当てながら言う。
「和樹殿、自分もさっぱりで。滑ってあいたたたぁの後、もしかすると教室へ入ってしまったのかもしれないであります」
勇者と呼ばれた男の方は、和樹だった。そして黒スーツの女性は、和樹と共に教室から消えた、ポニーテールの職員だった。
「だから五十嵐さんは心配だって言ったのに……。戦闘は優秀でも、超天然だから……」
和樹はがっくりと肩を落とした。しかし五十嵐はと言うと、優秀だと部分的に褒められたからか、立ち上がると、和樹の前で腰に手を当て、胸を張って見せる。すると、ぱっつんぱっつんだった胸の辺りのブラウスのボタンが一つ飛んだ。当然、そんな事に五十嵐は気が付かない。
「和樹殿、自分の事は置いておいて、計画通りに参るであります」
「あ、うん。でも、あなたに言われたくないですけど……」
五十嵐に渋い顔を送った後、和樹は王様に向き直る。
王様の周囲には黒いローブを着た魔導士風の男たちが、ざっと三百人はいた。全員が、手に身の丈ほどの典型的な魔法杖を持っている。
「これだけの人数で異世界転移を成功させたのですか?」
和樹が聞くと、王様は少し首を捻りながら答える。
「いせかい転移? 勇者召喚の事か? 前回と同じ上級魔導士が三百人と、十分な魔石も同じく用意したぞ」
和樹がもう一度見回すと、魔法陣を囲むように台座があり、その台座の上に粉が山のように積もっていた。どうやら、力を使い果たした魔石が砕けた跡のようだった。
「前回と言うのは、三年前ですか?」
「そうじゃ。知っておるのか?」
王様は少し驚いた顔をした。
「俺よりも少し幼い……えっと、勇者達が約三十人?」
「そうじゃな。あと、大人の男も一人おったな。丁度三年前じゃ」
顎に指を置き、少し考える和樹に、五十嵐が耳打ちする。
「まさか時間の経過がまったく同じとは、とても重要な情報でありますよ!」
五十嵐は、ポケットから携帯電話を取り出しダイヤルするが、少し待ってから、「あっちゃぁ電波が無い」と、言うような表情で自分の頭を叩き、携帯をポケットに戻した。
和樹は、王様へと一歩踏み出してから、言う。
「出来る範囲で力はお貸ししましょう。ただ、もう少し詳しい話をお願いできますか?」
「では、場所を変えよう。そこで、勇者の使命について話そうぞ」
この場所は、勇者召喚専用の大ホールであったようで、隣の王宮へと、和樹と五十嵐は招かれた。
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翌日、冒険者ギルドと書いた看板を掲げる大きな建物の前に、和樹と五十嵐は立った。
「金と、最低限の権利だけくれて、後は好きにやれとか……。自由度高い系のRPGだな。お使い系のMMOじゃなくて良かった」
「自分は、聖女の生まれ変わりだと言われるのを少し期待したのでありますが……」
「その格好で聖女?」
ブレザー学生服姿である和樹の隣には、緑の迷彩つなぎに身を包む、五十嵐がいた。
「まさか、スーツの下にそんなの着こんでるとは……。暑くなかったの?」
「軍人たるもの、いついかなる時も戦闘を想定して当然であります! 今回は、命の危険を伴う最重要任務でありましたし、よけいであります!」
五十嵐がぶんぶんと腕を回すと、それに連動してつなぎでも隠し切れない大きな胸が縦に揺れる。
しかし、これでも五十嵐は、自衛隊格闘術、および武器技術において、他の追随を許さない程の成績を修める自衛隊員なのであった。歳もまだ十九歳で、屈強な自衛隊員の男性達からも、天才、超人、と、言わしめる程だ。容姿も恵まれており、小顔で目が大きく可愛いのだが、性格にかなり強めの癖があるため、恋愛対象として言い寄られることは皆無だった。
ガチャリ
観音開きの扉だったが、向かって右側だけ開いた。そこから、薄汚れたシャツとズボン、そしてよれよれのリュックを身に着けた若い男が出てくる。腰にナイフが一本ぶら下がっているので、冒険者だと思われた。
俯いて通り過ぎようとするその男に、和樹は声を掛ける。
「杉山? 杉山じゃないか?」
男は、弾かれたようにして和樹に顔を向けた。そして、目を大きく見開く。
「……っ! えっと、……佐伯! 佐伯……和樹か……?」
近づいてきた杉山は、和樹の両腕を、がっしりと自分の両腕で掴んだ。その力強さに、和樹は驚いた。
「どうしたんだよ杉山。そんなに驚いて」
「驚くに決まってんだろ! どうしてお前がここにいるんだ? 召喚の時に……異世界転移した時、お前だけいなかったはずだろ? お前、皆の間じゃ、死んだ事になってるぞ!」
「召喚される時間に齟齬があったのかもな。俺は昨日、この世界に転移されてきたんだよ」
和樹は、淀みなく答えた。
「そご? なんだか難しい言葉知ってるな? あと、杉山とか、苗字で呼ばれたの、三年ぶりだぜ!」
杉山平太が言うには、この世界で姓を名乗る事が許されているのは貴族だけで、異世界転移したクラスメート達は、全員が下の名前だけを名乗っているとの事だった。
その時、冒険者ギルドの建物の内部から、何やら話し声と、足音が和樹達に向かってくるのが、扉越しに聞こえた。すると平太は、慌てるように和樹の腕を掴み、通りの脇の細い道へと、まるで隠れるように引き込む。
「まあ、路地の方が安心だしな。聞かれちゃいけない話もあるしよ」
「聞かれちゃいけないって、転移してきた勇者ってのは隠す事なのか?」
「いや……そうじゃなくて、……まあ召喚された奴ら全員が、最初は勇者のくくりにされるんだけど、実際は、才能がある奴らだけが選別されて、その後、そいつらだけが、俺らの知っている一般的なRPGの勇者の道を歩むって感じかな……」
和樹はその話を聞き、杉山平太は、勇者として今は扱われていないのだなと思った。
「ところで杉山、……じゃなくて平太、牧野美歩は? セミロングの…、ほら、あの女子、覚えてるか?」
「牧野美歩? ああ、お前と仲の良かった、えっと、幼馴染なんだっけ? あいつは、確か魔法剣士になったとか」
「今 どこにいるんだ?」
和樹は一歩前に踏み出し、平太に顔を寄せて聞いた。平太は、少し体を仰け反らせながら答える。
「いや、わかんないって! 俺が知っているのは、この王都にいた時までだからよ。剣術が得意だってのは俺も実際に見て知ってんだけど、それから魔法剣士になったってのが本当かどうかも、あくまでも噂で聞いただけだから自信ねーし」
残念そうに舌打ちをする和樹の顔を、今まで後ろで聞いていた五十嵐が、横から覗き込んで質問する。
「王様との面談でも訪ねていたその牧野美歩殿とは、一体どのような関係なのでありますか?」
「ん…………」
答えに詰まる和樹の前で、平太がポニーテールの五十嵐を、まじまじと見てから聞く。
「えっ? さっきから、この人、誰? クラスにいたっけ? 見覚え無いんだけど……?」
特に、緑迷彩のつなぎを怪しんでいた。同じクラスなら、異世界へ転移されたすぐ後は学生服を着ているはずなのに、明らかにミリタリー色が激強な服装だ。しかしながら、だからこそ地球から来ているだろう事は容易に推測が出来るのだが。
五十嵐は、平太に向って足を揃え、右手を顔の前にやって敬礼する。
「ご挨拶が遅れたであります! 陸上自衛隊所属、曹長 五十嵐花であります!」
「陸上……自衛隊? の人?」
口をぽかんと開ける平太には、和樹が答える。
「ああ。召喚された時に一緒にいてさ。時空が歪んだとか、そんなのでたまたまとかじゃないかな?」
「ああ、……そっか。和樹は俺らと一緒に転移したのに、なぜか三年遅れたんだもんな。そんな事もあるか。他国にも、勇者召喚を行っている王様とか団体がいるらしいし、召喚の通路が、こんがらがったんだな」
平太は、ふんふんと納得したようだった。
平太は、手をポンと一つ叩くと、和樹達に言う。
「それで、この世界で何をしていけば良いかだろ? お前たちは幸運だよな! 経験者にアドバイスしてもらえるんだからよ!」
平太は、腰を突き出し、そこにぶら下がっているナイフをこれでもかってくらい見せつけながら続けて言う。
「王様に金貨の袋をもらったと思うけど、それって日本円にすると百万円くらいなんだよ。中学二年の俺らには大金と思い勝ちだけど、宿代や飯代、装備代で、大体二か月で使い果たしてしまうからな! もう、初日からしっかり稼いだ方が良いぜ!」
「稼ぐって、モンスターでも倒すのか?」
尋ねる和樹に、平太は、ちっちっちと人差し指を横に振りながら答える。
「俺みたいなベテランならともかく、ど素人が魔獣なんて狩れるかよ! 俺に任せておけって!」
そう言うと、平太は路地から顔を出し、大通りの様子を伺う。そして、何かを確認し終わった平太は、和樹達を連れて、冒険者ギルドへと入って行く。
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