プロローグ
「あなたが、《勇者》ネロス様……ですか?」
夜も更けた頃、場末の飲み屋の片隅で。
唐突に声をかけてきた優男を、俺は胡乱げな目で見据えるとすぐさま視線をそらして飲みかけの安酒を喉に流し込んだ。
ああ、喉が灼ける。
仕事終わりのこの一杯。このためだけに、俺は今、生きている。
だから答えは決まっていた。
「……知らねぇなぁ、そんな奴ァ」
「そうですか。この時刻なら毎日こちらのお店にいらっしゃると同僚の方から伺ってきたのですが」
「……」
同僚……同僚、ね。
毎日これと言って会話もなく、泥にまみれながら一緒にミスリル採掘場で穴を掘るあいつらも、まぁ分類するなら確かに同僚なんだろう。
名前どころか顔もろくに覚えちゃいないが、よく俺が毎晩ここで一人で呑んでるなんてことを覚えてたもんだ。物覚えの良さに感心するね。
「……で」
「はい」
隣に座り、立ち去ろうというそぶりも見せずにマスターへ注文しようとする優男に俺は心底めんどくさく話しかけた。
「そのネロス、って奴に……あんた、何の用があるんだ?」
返答は言葉じゃなく一枚の名刺だった。
「週刊アウトプット……ギオ・イマ」
雑誌記者か。
聞いたことがあるようなないような雑誌だが、考えてみりゃかれこれ十年近くその手の本なんざまともに読んでいないことを思い出す。
一応昔はよく目を通してたんだがな。
特に、自分の記事には。
「実は今度、《魔王》討伐十周年記念でかつて魔王に挑んだ《英雄》パーティーに関する特集を組むことになりましてね」
「……へぇ」
無関心を装いつつも、俺は内心で歯噛みしていた。
《英雄》パーティー。
そう、《勇者》パーティーじゃない。魔王を倒した《英雄》パーティーだ。
「この世界で知らない者などいない《英雄》パーティーが、実は魔王を討伐するほんの数ヶ月前までは一人の《勇者》をリーダーとする《勇者》パーティーだったことを覚えている人もここ十年で大分減ってきています。だからこそ、彼らにとってのスタート地点であり、《魔王四天王》のうち二人を撃破するまでは確かに存在していた《勇者》について、もう一度掘り下げたいと思った次第です」
「なるほど、ね」
十周年の企画としては悪くないんじゃなかろうか。
目の付け所としてはなかなかに、おもしろい。
どうせ暇を持て余していたところだ。少しくらい協力してやろう。
「……で、取材費は幾ら貰えるんだ?」
俺の答えに、ギオとかいう優男はニヤリと笑った。
■■■
まず《勇者》ネロスについてだが……
この男は、強かった。
腕っ節で言えば《英雄》パーティーの誰よりもな、少なくとも一対一なら絶対に負けないだけの力はあった。
なんせ《勇者》だからな。
ガキの頃に《勇者》の刻印が顕れて以来、誰も彼もが褒めそやし、担ぎ上げたもんだ。
その圧倒的な強さに、他の《英雄》達――
《姫騎士》のルードリン・ブライディアレスも。
《盗賊》クルギ・タグスも。
《魔法使い》ロルテ・バスキールも。
《重戦士》ラン・メガドローガも。
みーんな、な。《勇者》の女だった。
嘘じゃねぇぞ?
考えてもみろ。《魔王》が復活して、世界中どこもかしこも凶悪な魔物だらけ。
いくら神託を受けたからって、若い女が《魔王》を倒すためにそんな世界を旅するんじゃ心細くて当たり前だ。
だからあいつらは《勇者》の強さに縋ったのさ。
どんな強大な魔物も、強靱な魔獣も、剣と魔法で易々とブッ倒していく《勇者》の、圧倒的な雄としての強さに惹かれてた。
頭ン中お花畑にして、キスの一つもしてやりゃ真っ赤になって科を作りやがったもんだ。
ベッドの中でもよぉ、どいつもこいつも乱れに乱れて……可愛いもんだったぜ。
そんなわけでな、昼間は適当に魔物をブッ殺しては街や村から報酬をたんまり貰い、その金で豪遊して夜は毎晩《英雄》共とパコハメライフだ。
ハッピーだったさ。
手にした聖剣も股間の聖剣も二本とも休まる暇もねぇ、まったくハッピーな毎日だった。
けどな……
そこに、《アイツ》が現れやがったんだ。
俺……いや、《勇者》だけの楽園を、《勇者》パーティーを破滅に追いやった、あの最低最悪のゲス野郎が……!!
【ただの《村人》メルダート・コーグ】
そう。
あの野郎は、ただの《村人》だった。
特別なスキルもなければ加護を授かってるわけでもねぇ。
狩人として生計を立ててるらしく弓の腕はそこそこあったが、所詮は村ではちょっと知られたって程度の、お粗末なもんだ。
《勇者》の持つ絶対的な強さと比べたらチンカスみてぇなもんさ。
そんなあいつが《勇者》パーティーに同行することになったのは、あいつの住む村の近くに《魔王四天王》の一人が砦なんぞこさえやがったからだった。
砦の場所は迷いの森とか呼ばれるだだっ広い鬱蒼とした大森林の奥で、案内がいなけりゃいくら《勇者》達でも砦に辿り着くまでに何週間、下手すりゃ何ヶ月かかるかわからなかった。
だから雇った。
ただの道案内だったんだ。
森の近くで暮らし、狩りをしているあいつは案内にはうってつけだった。
それだけ。
案内以外に何一つ期待はしてなかった。……まぁ、夜になったらご褒美に《勇者》と《英雄》達のナニする声でも聞かせてやろうかとかそんくらいは考えてたがな。
実際、最初から期待してなかったとは言え戦力的にはまるで役に立たなかった。
せいぜいが飛行型の雑魚モンスターを一匹二匹撃ち落としたくらいで、《勇者》達と比べりゃ雀の涙だ。邪魔なんで途中からはずっと《魔法使い》のロルテと《盗賊》のクルギにお守りさせといた。
それに、案内役としちゃあそこそこ優秀だったのかもしれねぇが、やれ無闇に樹を傷つけるなだの、やれ子連れの獣は狩るなだのうるさいったらなくてな。いったい何度ブン殴ってやろうと思ったか。
女達も、足手まといのお荷物だって鬱陶しがってたはずだ。
人類最強クラスの《勇者》と、ただの《村人》だぞ?
比較のしようがない。
男としての、雄としてのステージが違いすぎる。
女がどっちに惹かれるかなんて考えるまでもないだろ?
歯牙にもかけてなかったさ。
森林を抜けて砦を攻略するまでの、ほんの僅かな間のお邪魔虫。それさえすんじまえばさっさとオサラバだってな。
そう考えてた。
その、はずだったんだ……