面接 後
彼らの面接が一段落したところ家人から客人の到着を知らされた。今回の面接の真打は今から合う【客人】なのである。
さて、そもそも今回会場として使わせてもらっているここ祇園とは祇園社即ち現代の八坂神社である。祇園といえば現代では京都の歓楽街として有名となっているが室町時代には未来ほど栄えてはいない。
しかし、京の町衆(自治組織)の事務所的立ち位置の場所であり尚且つ、京座の中心地である。故に、門前市が開かれそれが発展して門前町として栄える予定である。
この度呼んだ【客人】とは京の町衆を構成する酒屋や土倉と呼ばれる金融業者と堺の商人である。堺商人としては酒屋や土倉と言った商人だけではなく廻船問屋や武器・兵糧を商う者など財力だけではなくその業種に影響あると思われる誼を通じたい者を呼んだ。
そして、主賓として呼んだのが【楠葉元二】という僧体の人物である。この人物は勘合貿易において活躍した楠葉西忍という侍に取り立てられた商人の息子であり実質の幕府公認の外交官である。
楠葉元二とは事前に奉公人を通じて誼を通じ【お話】をした。すると、是非とも協力したいという返事が来て今回の招致へと相成った。
そして、大御所様の大御所を建てる費用の足しにするという大義名分のもとに勘合貿易の企画の許可を勝ち取った。故に、企画の為の出資者と専門家を呼んで会議するというのが今回の趣旨なのだ。
最も、企画の為の命令書である御内書をもぎ取ってからは未来ご老公の印籠宜しく突き出しては少々の無理をしつつ一休禅師の紹介状を廻して漕ぎつけた今に至るのだが…
何はともあれ、下準備をしっかりとしたおかげで滞りなく会議と言うなのプレゼンは終わり後は、その都度の調整ということに落ち着いた。何せ、一回15億円以上の純利益をもたらす国家プロジェクトな上に参加すればその利益にあずかれるのだから誰も彼もがほくほく顔であった。
そんな雰囲気で締めていきそのまま我らが用意した清酒を振る舞うという宣伝を兼ねた行いでより一層気を良くしていただい中でそれぞれの人物に【お話】を持ちかけて行ったのであった…そこで決まったことを連れてきた家人に証文を書かせ割印させた…その度に家人が自分の顔や証文を見て胡散臭そうな目つきをしていたことに苛立ち感じた…(バレたらどうする!!やめてくれ!!)
そして、何やかんやで勘合貿易計画が決まったのであった。