聖俗 後
文明13年 1481年 2月末 山城国山科
それは一瞬の事であった。しかし、幾多の修羅場を乗り越えてきた言わば戦人こそが纏う殺気でもあった。
目の前の男はその様な世界から最も遠い存在のはずだが、しかし確かにそれを醸し出したのだ。
表情の剥がれた顔でその男は永遠とも言える刹那を裂き口を開いた。
「いけませぬな…武士が我らの世界の政ともいえる事に首を突っ込むのは…」
「上人はそう仰られるが貴方々も世俗である我らの政に首どころでは無く突っ込みなさるではありませぬか」
「それは誤解ですな。我らは好き好んで突っ込むのではなく、民草を救わんが為に否応にも突っ込まざる得ないのです。そもそも貴方々武士が今回のように我らを利用せんが為にも突っ込ませるのではありませぬか?」
「詭弁ですな。それは建前にございまする。されどただ一点、心同じくするは『民草を救わん』との意志にございます。少なくとも自分は政や戦だけで民草を救えるとは思っておりませぬ。故に上人のお力添え頂きたくこの場に居りまする」
そう自分は殺気が支配する中啖呵を切った。すると上人は考える素振りし、爆ぜる炭を弄んだ。
「また、上人の民草を救わんとする意志と教えそれをより強く確実に実現するには上人と心同じくする者を増やし仏僧界に確立させなければなりませぬ」
「しかし…何故佛光寺派なのでしょう…彼らは確かに同じく阿弥陀如来と浄土の教えを信じる者たちですが…」
「言わんとすることは存じております。彼らと上人らの対立を…しかし、ならばこそであります。彼らは京で近江で延暦寺と対立しております。そしてその延暦寺の迫害の酷さは上人もその身でご存知であると思います」
そう言うと上人は苦渋の面を浮かべ瞑目し頷いた。
「しかし、上人の教えの勢いと上人の影響ある地方の方々、特に延暦寺の所領がある北陸のお力を以て致せば佛光寺派らもその迫害へ対抗できるというものです。また上人はこの山科の地にて再度教えを広めんとしておいでですがそれこそ延暦寺の標的になる事は明らかにございましょう」
そう、史実的には佛光寺派の法主であった経豪は今年の文明13年に突如として蓮如に帰依した。自分が考察するに佛光寺派の中心たる近江の堅田や金森、大津の門徒らが事あるごとに延暦寺に迫害や焼き討ちに合っている上に戦乱で荒廃しそこに蓮如による越前国吉崎にての布教の成功によって門徒の心が幾らか蓮如に傾いたのであろう。そして、蓮如が畿内で布教するにつれ佛光寺派はその求心力を蓮如に見出し山科に御堂を開くにおいて帰順したのだと思う。
「わかりました!延暦寺の事を持ち出されては私も幾つもの苦難に合いました。確かに貴方が仰られることは尤もにございましょう。委細お願い申し上げます」
そう言い険がとれた最初に会った通りの好々爺然とした上人に戻り纏まるのであった。