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謁見

    1481年文明13年1月末 京 武衛屋敷


 「…でありまして後鳥羽院のより勅撰され…」


 今自分は何をしているかと言うと先代の守護であった斯波義敏公に対して新古今和歌集について講義している。

 なんでも御先代様は和歌に造詣の深いお方らしく、それ故に我が祖父 敏定が注釈本事業を命じ、援助したというのが真相のようだ。


 「ふむふむ…書を大和守より送られ読んではみたものの、実に見事であった。そして、今講義を受けているが実に解りやすい。しかし…そなたのような童子から聴くというのもまた不思議な気分じゃ…」


 などと言われつつ講義を続けていると武衛屋敷の家人が武衛家当主の到着を告げ我々は出迎えることとなった。


 「御父上!遅くなりすみませぬ。孫三郎只今戻りました」


 そう答えた武士がどうやら武衛家当主 斯波治部大輔義良しばじぶだゆうよしすけらしい。声は威勢がよいが如何せんくたびれた印象を受ける…


 「おお!孫三郎よくぞ戻った!さあ、早く中に入れ。越前も寒かろうが京も寒い故な」


 「越前に比べれば何ということはないですぞ!しかし…やはり旗色は思わしくありませぬ。此度も雪によって何とか持ち堪え停戦しておりますが…」


 その様な話をしながら我々も屋敷の中へ入っていき再度改めて謁見する段取りにかかった。


 「初にお目にかかりまする。織田大和守敏定が倅 良信が子 仙法師にございます」


 「ほう!弾正左衛門の子か!そうかそうか…我は一法師いや、弾正左衛門と幼き頃に尾張の禅寺で京より連れてきた沢玄という僧と共にそなたの父と勉学に励んでおったのだ。彼奴は息災か?」


 ほう…沢玄和尚が京から来ていたと言うのは聞いていたがこの様な繋がりとなるとは…

 なるほど、彼の僧が有識故事や書画文物に精通していることに納得がいった。なにせ、手習いと言いつつも祐筆レベルを求められ文書解読をさせられたからな…


 「はい、健勝にございます。先日も…」


 と暫く父や母、国元の様子などを雑談を交えながらも朗らかな様子で報告をしていった。


 「うむうむ。実に大義であった!この時期、この機会に置いて逆賊 織田敏広めを討ち果たした事実に目出度い。本当に良くやったと弾正左衛門に良く伝えてほしい。また、報告にも聞いておるが其方もその身なりからは到底信じられぬが数々の驚くべき功をなしておるとな!これからも励めよ」


 そう言われ承る旨を上げ平伏し一旦はその場を辞した。そして、その後に幾らかの人々と謁見を終えた後に、当主帰還と正月の新年会の様な儀式を兼ねた宴となった。

 今回、宴会となるに当たってメニューについて少し口を出させてもらった。

 通常の宴会料理即ち会席料理の様に海老や鯛、栗きんとんなど正月を彩る料理もあるが尾張にて直前に作った蒸した後に焼きを入れた蒲鉾や味噌だれを使った田楽に清酒なども用意した。更に大根菜と薄く切った大根の間に猪肉重ねた山鯨大根ミルフィーユなども用意した。

 その結果、宴会は大いに盛り上がり大盛況となり終えた。すると、次の日にもまた、呼ばれる事となった。



 

遅れて申し訳無いなし…

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