旅路 前
1481年文明13年1月下旬 大和街道 伊賀国 上野 仙法師
自分たちは祖父 敏定の命により上洛することとなった。しかし、この時代は一つ旅をするのにも命懸けなのである。強盗上等の野盗に難癖をつける地侍や国人、そしてその主である守護など…
それらに気を配り対処できるように準備をしてからではないと一体何が起きるかわからないのだ。
さて、さしあたって上洛する為に通る道の選定から始まったのだ。無事に帰るまでが上洛と言う様にそもそも無事に行く為の道選びから既に上洛は始まっているのである。
そして、検討や交渉、折衝を重ねた結果遠回りではあるが【大和街道】即ち津島発〜鈴鹿川遡上〜伊勢山田(関宿)泊〜伊賀上野泊〜笠置・月ヶ瀬付近 木津川下向〜綴喜郡(現在の京田辺市)泊〜入洛 という行程となった。
この行程は伊勢と伊賀、伊賀と山城間の峠や山道を越えなければならない厳しい道のりなので平坦な道のりが多い美濃〜近江を通りたいのだが我らの主家たる武衛家と美濃守護家 土岐家と南近江守護家 六角家とは応仁の乱より争い戦った仲であるので避けざる得ないとの事らしい。
行程が決まったところで人選・人数や装具、献上品など揃え出発したのが2日前である。上洛する要請が今月上旬にあったからとはいえ1月以内に上洛の段取りを組むには骨が折れたものだ。この度本家の織田五郎久定を本隊する80名と自分 仙法師を長とする隊270名の計350名で上洛する事となった。
ちなみに、200名は足軽衆をそのまま率いることしたがその他に何故か自分の母 千代も上洛するといいその供回りや女中を含め270名という本家よりもかなりの大所帯となってしまった。
故に、本家の頃に久定めに文句を言われるだろう思い先手を打って挨拶ついでに雑用と偵察、護衛の旨を買って出て嫌味程度に抑えた。ただしその際に母もついてきていたので嫌味を洩らしたが綺麗な笑顔と京言葉で問い質すとしどろもどろに茶を濁し去っていった…母は強しというが戦場でも経験しなかった何やら薄ら寒い感覚に襲われたのが心に刻まれた…
そうして、現在は伊賀国上野の広徳寺にて陣を敷き宿泊することなった。自分や母、久定や女中の幾人かは広徳寺に泊まれることとなったがその他の人員は可哀想だが陣幕での野宿となる。
さて、この度滞在する伊賀国だがかの有名な忍者の国である。そもそも忍者とは諜報や破壊工作などに長けた特殊技能集団というだけではなく、この物騒な乱世の世の中にそれらをやってのけ尚且つ生き残る程の武力を持った傭兵組織でもある。
しかし、あくまで何百人何千人という規模の組織だった動きができるのでは無く一家一族郎党という単位で仕事を請負従事していたのが事実らしい。
それこそ、複数の家・郎党が合力して100〜200人が精々であり普段は3〜20人で多くて40〜70人という程であるらしく、一応土豪から百姓に至るまで皆が皆一定以上の武力を有してはいるが如何せんこの平野が狭く農地にするに限られる土地に置いて寸土の土地を巡って争いが絶えない最も戦国な国柄であるようだ。
そんな土地に住む人々からしたら他国の者など弱そうで隙あらば天の恵みと言わんばかりに身ぐるみを剥がされ斬り捨てられる事もある修羅の国なのだが逆に言えばそこそこの強さや武威を擁していれば或いは安全を買うに十分な財貨を渡すならば柵なく往来できる土地柄ともいえる。
そして、この修羅の国を案内兼安全化をして貰うのが伊賀三忍家の一つの千賀地家の分家 中服部家当主 千賀地半蔵保清である。半蔵と言うと徳川家康家臣服部半蔵(正成)が有名であるがその人の曽祖父にある人物だ。
と言っても聞くに幼いとも言える頃に父を戦で亡くし混乱する家をどうにか纏めてきた20代前半の苦労人の青年であり口数が極端に少なく、苦労のせいなのか眉間とほうれい線が深く刻まれている能面のように感情を削ぎ落とした顔をしている。
案内を一旦終え夕餉の時となった際に半蔵ら服部党を誘い陣幕にてささやかな宴とする事とした。そして、宴も闌となり二人っきりとなり切り出した。
「半蔵殿、この度は案内忝なく。お陰で日暮れまでに着きもうした。ささ、一献」
そう言い、自分は持ってきた品の中から盃を手渡しそこに清酒を注いだ。
硬い態度を崩さないながらも清酒を見て能面のような顔から微かに驚くような表情を見せた。
そして、小さく忝なしと呟き一気に呷ったらばその顔には確かに驚いた顔を浮かべた。
「驚かれたか。我ら尾張勝幡にて名物として作っている清酒にござる。澄み清らかなる酒に故に清酒と申します。自分は他にも石鹸や香油、蝋板なども作らせています。たぶんどんな物か直ぐには想像できないでしょうけどがそれらを以て多くの銭を稼いでいます。そして、その銭を以て兵を整え戦に臨み勝ち得ました」
そう言うと驚いた顔からまたもや能面顔に戻った。しかし、自分の目からそらすことなくジッと見つめてきている。さも自分を値踏みするかのように。
「さて、自分がなぜこれ程に銭を生む手段を求め銭を稼ぐのかというと…銭とは人の欲を量によって可能なことを可視化し、使うことで具現化し交換できる物でしかもほぼ無限と言っていいものであると信じているからです」
そう言いうと、半蔵は少し頷きつつ、目で次の言葉を促してきた。
「半蔵殿、伊賀は狭い。土地もまた人の欲を可視化したり具現化に役立つが残念なことに有限なのです。土地も銭もそれを巡って争いになる。しかし、銭は知恵を絞ればなんとでもなる。土地という有限なものを巡って血を流し時に骨肉の争いをするよりも銭を稼ぐ為に知恵と知恵の争いをしたほうがよっぽどましだと自分は思うのです。しかし、銭が集まるところには必ずや闇や草が忍び寄るものです。故に、京や近江、伊賀の争いで鍛えられた半蔵殿達のお力をお借りしたい。我ら弾正忠家に【仕えて】は下さらんか!この通りだ!」
そう言い、土下座をするような勢いで深々と頭を下げると心なしか震えた声で「一族と諮り、掛け合う」と言い去っていった…葉っぱとか煙とか出さずに普通に出ていった…
 




