蠢謀
1480年文明12年 9月 尾張国丹羽郡 岩倉城
仙法師が様々な事を謀っている頃…所変わって三人の男が岩倉城にてとある事について謀議していた。
「おのれ大和守め!一昨年はあと一歩の所を小賢しいことにやられたわ…そして、和議を契ってから五郎(敏定嫡男 織田五郎寛定)ら餓鬼のみを残して上洛し油断しておるかと思えば分家の孫なんぞ隠れ蓑にして阿漕に銭を稼ぎ我らを追い詰めておる」
そう言ったのは織田大和守敏定と応仁の乱より争い、一昨年和議を契った尾張国上四郡守護代家当主 織田伊勢守敏広であった。
「なにより、我ら津島衆を武力では従わせられぬと見るや銭の力で懐柔しようなど反吐がでる。そもそも大橋大和守殿も目が曇っておるのだ。いったいどれだけの犠牲と労力と損失を出したと思っておるのだ!」
そう憤っているのは、海西郡河内を拠点とする服部党当主 服部左京進友国であった。
「最もである。然り、このまま手をこまねいていては何れ尾張を我が物顔で憚る(はばか)であろう…」
そう答えたのは三河国碧海郡刈屋城主 水野下野守貞守である。
「伊勢守殿、どうだろう年の暮れから正月頃に兵を上げるのは。織田大和守も直ぐには戻っては来れまいし、公家衆や幕府の奉公人らとつきっきりであろうからな」
「確かに…暮れから正月であるならば留守居役とて油断しておるだろうし何より纏めるのは難しな…よし!そうしようぞ」
「では、拙者はそれとなく弾正忠家に探りを入れながら近づいて見ましょう。油断すれば上々…何やら情報を得られれば儲けものと」
「ああ、下野守頼んだぞ…くれぐれも絆されぬ様にな。しかし、名分を如何すべきか…」
三者はそれからも謀が煮詰め織田大和守家にたいする謀略をなさんとするのであった。