町割
1480年文明12年 8月中旬 萩原川 勝幡町
人海戦術による突貫工事によって酒蔵もそこそこできてきた。と言っても足らぬことはたらぬのだが… だが、川港としては十分に使えるようには整備されてきたので町割を深めることにした。萩原川を利用し簡易な水堀を巡らし柵を設けることで一応の出入りの監視ができるようになった。よって酒蔵も出来次第仕込んでいっている。もっとも、それを聞いて喜んだのは俺よりも父 良信(と更にその家臣)であり、塩畑城の面積を酒蔵化していたことからの解決がなされたからである。
さて、町割をすすめるにあたり人夫だけでなくは住人となり得る人を自分は呼んだ。それは鍛冶師 関信濃守兼良と鋳物師 辻村藤十郎重一である。新たに工房を与え尚且つそれぞれの血縁に声をかけて人員を増やしてもらったのだ。
そうして、本格的に町を運営していく手はずを整えたときに町の名前を名付けることとなった。故に、史実よりも早いことを承知で塩畑ではなく「勝幡」と名づけた。
さて、移転し来てもらい炉や窯を作り上げ調整して貰っている間に今度は鋳物師 辻村を呼んだ。
「仙法師さまお久しぶりにございます。ご活躍のほど聞き及んでおります」
そう言ったのは職人にしては愛嬌がある者だなど思いながら受け応え本題に入っていった。
「うむ。トウジュウロウも息災そうでなにより。さて、こたびは例のしなじなとはべつの件じゃ…まず、お主ら かなものしょくにんたちの技をもってして多くの溶炉を作って欲しい」
「はぁ…それはわかりました。がそれをもってしてどういたせば宜しいので?」
「うむ、そののちにせいれんをできる者に声をおおくかけて欲しい、そして指定したやり方で銅をせいれんしてほしいのだ」
そう説明し、承ると自分は可田屋と大橋に連絡を取り職人を招集し粗銅および鉛、消石灰に火山灰、軽石や燃料などを買い集める指示した。