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津島 

 1480年文明12年 7月 尾張国海東郡 津島 大橋屋敷


 津島衆との交渉及び懐柔をするために津島衆の実質的筆頭の大橋大和守定安の家に来ている。

 まず、そもそも津島衆とは津島を治める四家(大橋、山川、岡本、恒川)七名字(堀田、平野、服部、鈴木、真野、光賀、河村)四姓(宇佐見、宇都宮、開田、野々村)という国人で構成された一種の惣郷連合と思われる。

 そして、その中でも大橋氏は平家の有力家人「平貞能」一党の子孫であり、古くは鎌倉幕府 源頼朝公 より安堵状を認められるほど古くより土着した家系である。

 また、南北朝の動乱の際は南朝側に付き北畠氏や宗良親王らと共に歴戦をした武家でもある。ゆえに、霊山神社という南朝側北畠氏を祀る神社の氏子総代でもある。更に、津島天王社とも関わりが深くそれらを加味すると尾張だけではなく美濃、伊勢、三河にすら強い影響力保持する武家商人である。


 しかして、現当主 大橋大和守定安との対面となった。


 「おはつにおめにかかる。オダダンジョウノチュウヨシノブがこ センホウシにござる。」


 「面をあげてくれ。こちらこそ初にかかる、大橋大和守定安だ。土田の勘兵衛からあんたさんの話は聞いておる。何でも、神童で次から次に儲けの種が湧いてくるとな」


 大和守は四十路ごろの男で、上品な出で立ちでありながらどこか野粗な感じ受ける人となりであった。今様で言うならば【ちょいワルオヤジ】といったとこだろう。


 「われらブエイけひいてはオダけ と戦い、そしてわぎをちぎることなった。たたかったことはざんねんなかこだが、わをなしたいじょうこれよりは きょうえいきょうらくめざすがためこたびはオオハシどのにはなしとたねをもってまいった」


 そういうと、盃をそばに控えていた信勝にもってこさせ、用意立て清酒を注いだ。そして、失礼して先に信勝に含んでもらい勧めた。大和守はそれを見聞きした後、手を付けた。すると、目を見開き盃を置いた。


 「どうであろうか、われらがもってきたたねは?これをつしましゅうにあきなってほしいのだ」


 「ああ!こいつはうみゃあ。うんうん、売れるぞ!売れるに決まっている」


 「きにいってもらってなによりだ。これはすみきよらかなさけゆえに、セイシュという。じつにすんでいるであろう?ゆえに、やまとのかみどのが きじしをあつめて らでんをほどこしたさかずきや みやびな かいがやしょがを ほどこせばあわせてよりうれるであろう。【はなし】はほかにもまだまだある」

 

 そういうと、財宝をみつけた冒険者のような表情と態度でこちらに向き合うのであった。




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