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引越

 1480年文明12年 7月 海東郡・中島郡 塩畑城


 父 織田弾正忠良信は中島郡平定の功績をもって中島郡の旗頭として分家立家され治めることなった。そして、拠点として選定されたのが萩原川(現代 日光川)の東に位置し海東郡と中島郡境に位置する「塩畑城」であった。元々は城というよりも郡境の砦であったそうだがこの度、居住区を設け設備を整備することで城郭化していく予定らしい。

 また、この地は津島にほど近く(およそ 3.9km)監視と威圧を目的としているということがわかる。何より郡境ということで海東郡への足がかりとしてはもってこいの地でもある。思うに、仮想敵近くに拠点を移すという信長流の戦略はすでにこの時から生まれたと自分は思う。


 さて、この度暫く戦がないという算段のもと我ら奥の人員も母を含め塩畑城へ引っ越すこととなった。父 良信は母と暮せることをかなり喜んでいる様子ではあったが、半ば官僚機構と化している製本事業の人材 仙法師衆と呼ばれるようになった人材の移転の許可を得ることに相当骨が折れたらしい。しかし、怪我の功名なのか彼らを守るためにも史実よりも多くの労力が塩畑城にかけられる予定らしい。最も、自分の資料や資材(主に酒)の多さには辟易する様子ではあった…


 そして、この度引っ越すにあたり可田屋勘兵衛が祝いの挨拶と献金をしてきた。そしてちゃっかり城下(と言っても町にすらなってない)に小さいながらも屋敷を受領していた。そして、その御礼としてまた来たらしく、表(評定の間)にて家臣共々謁見しているらしい。そして、女中と爺(平手英秀)に頼み書院にて父 良信と母と自分で謁見したいとの旨を伝えてもらい謁見することなった。

 

 

 



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