フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
それはある秋の夕方、地主さんの注文した花束を受け取りに、とかげが町の花屋まで出向いた帰りのことでした。朝からしとしと降っていた雨が急に本降りになって、大切な花束を濡らすまいと雨宿りできる場所を探していたとかげは、温かそうな灯りのもれる一軒の店を見つけたのでした。
何の店か確かめる間もなく、とかげはそこへ飛び込みました。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥で、黒い蝶ネクタイの若い男がとかげを迎えました。
入ってみると店の中は思いのほか薄暗く、カウンターの上からライトがひとつ、スポットライトのように男の手許を照らしていました。
けれどもうひとつ、窓際の席に明るいランプがともっていて、その明かりでセーターにジャケットを着たネクタイをしていない初老の男がトランプをしていました。
「よく来てくださいましたね。こんなお天気の日に」
初老の男がとかげに微笑みかけました。
「ご注文は何になさいますか」
蝶ネクタイの男も愛想よく尋ねました。
「ええと、あのう…」
とかげは口ごもりました。何の店か確かめもせずに雨をしのごうとして入ったなんて言ったら、あまりに失礼だと思ったからです。
でも、カウンターの後ろの洋酒の瓶や、整然と並べられたいろいろな形のグラスから、どうやらここがお酒を飲む店らしいと見当が付きました。
「困ったな…」
と、とかげは思いました。
朝から晩まで一生懸命働いてはいても、とかげはいつも貧しかったからです。
こんなしゃれた店で飲むお酒は、きっととても珍しくてとても高いのではないか、と心配になりました。
「何もご注文いただかなくとも構いませんよ」
とかげの身なりから判断したのか、迷いを見抜いたのか、初老の男がのんびりといいました。
気を遣わせまいと、あえて気楽な言い方をしたようでした。