ハロウィン狂騒曲 4
大和丈瑠は、一般人だ。少し特殊な力を持っているし、知り合いが魔術師なんてよく分からない連中の仲間ではあるけど、本人はいたって普通の、どこにでもいる高校一年生だ。
だから、いつもの公園で猫たちに餌をやり、その帰り道にいきなり幽霊みたいなのが現れたら、めちゃくちゃ焦る。
「丈瑠! さっさと走りなよ!」
「ぼさぼさしてると置いてくからね!」
「ちょ、どこに向かってるんですかこれ!」
めちゃくちゃ焦ってた中で合流した、高校の先輩。花蓮と英玲奈の二人の後を追いながら、行く先もわからずに丈瑠は走っていた。
場所は棗市北の市街地。
あちこちに体が透けて足の先がない、いわゆる幽霊がいる。
またぞろ魔術がどうのとか、そういう事件だろうとは察しがつくけど、目の前に幽霊が現れたらパニクるのが普通だ。
「っと、こっちにもいるし! 英玲奈、他のルートは?」
「あたしだってこの辺り詳しいわけじゃないんだけど……」
言い合いながら、二人は幽霊を避けるように道の角を何度も曲がる。丈瑠もその後を追うように足を動かすが、せめて行き先を教えてほしい。ていうか、なんで回収されたのだろうか。それすら分からない。
「まさしくハロウィンって感じじゃん?」
「マジモンの幽霊はごめんだし」
ちょっと楽しげに言う英玲奈に、花蓮が冷静なツッコミを入れる。
いや本当、こんなハロウィンはごめんだ。
今日はそう言う日だから、朱音が来るかなと思って念のためお菓子も準備していたのに。
走りながら、肩に担いだカバンの中に入っているクッキーに、思いを巡らせる。市販のものだが、果たして彼女は喜んでくれるだろか。無駄に頭を悩ませて、バイトもしてない高校一年生には少し値が張るものを買ったけど。
まさか、こんなことになるなんて。結局朱音も来なかったし。
「よし、ここを抜ければ……!」
「花蓮ストップ!」
英玲奈の悲鳴じみた声に、全員が足を止める。目の前には、今までの幽霊とは明らかに違うやつが。
体が半透明で足がないのは同じだ。けど、その体が人ではない。骸骨、が近いだろうか。骨のようなものが、白装束の中に見える。
やばい。
詳しいことはなにも分からずとも、それだけは理解できた。
「逃げるよ、丈瑠……」
「だから、逃げるってどこにですか⁉︎」
「桐生探偵事務所! 織と愛美さんがいなくても、アーサーがいるかもしれないから!」
踵を返し、駆ける。もはや限界に近い足を、それでも動かして。
魔術師でもなんてもない三人には、それしかできなかった。
◆
「どうしてこうなる前に呼ばなかったんですか……」
呆れ気味な口調の葵から、非難の目を向けられる。次いでツインテールの後輩は空に視線を写し、ため息を一つ。
空に謎の光が現れ、後輩たち三人を呼び出したのは、夜に差し掛かろうという時間。
しかし空は明るいままで、その原因たる光の球体は、今もそこかしこを飛び交っている。
そこまで数が多いわけではない。精々が百や二百程度だろう。
「幽霊は見えないって話じゃなかったか?」
「実際見えてるんだし、織さんが話してた魔術師の仕業でしょ。ルーン魔術じゃなさそうだけど」
しかし、ここ二、三年のうちに亡くなった人の数と思えば、少し多く感じてしまう。
この街の人口推移なんて織には知る由もない話だが、それだけの数がなくなり、そして今日こうして、幽霊として現れた。
魂が幽霊となって現世に留まる原因は、ただ一つ。
生きた人間が、死んだ人間に対して大きな未練を残している場合。
家族が、友人が、恋人が、その人の死を受け入れられない時に、魂は霧散せず、この世に縛れつけられる。
あるいは、彼女も。
まだこの世界のどこかで、魂のまま彷徨っているのだろうか。
「魔物化してるわけでも、有害ってわけでもないんだよな?」
思考を切り替えて、空を睨め付ける葵に尋ねた。
魔力が感じられるけではない。ということは、魔物化しているとは考えられない。視認できるようになり、ただそこに漂っているだけ。
「これ自体はなにも。放っておいても特に問題ないはずですよ。むしろ、巻き込まれたつていうか、別の儀式の副作用、みたいな感じですね」
「それでも、魔物化するのは時間の問題じゃないかしら。棗市って私たちのせいで、他の場所よりも魔力濃度が濃いはずだもの」
おまけに、先日の黒龍騒ぎがあったばかり。なにもせずとも、魔力の方が勝手に寄っていくかもしれない、というわけか。
神話の時代にはよく見られた現象らしいが、まさかそれが現代においても発現するとは。それも、今この街で成されようとしている儀式の影響、なのだろうか。
「悪霊、ゴースト。そういうのになったら、俺の聖剣でどうにか出来ると思いますよ」
「そっか、龍さんと同じだものね……葵、その儀式をしてる場所は?」
「すいません、そこまでは分からないです」
正しい者だけが持ち、邪を祓うとされる聖剣。剣崎龍と糸井蓮だけが持つエクスカリバーは、たしかに大きな効力を発揮するだろう。なぜか愛美も使えてたけど。
もしもの時は頼るとして、問題は、そうならない前に解決することだ。
ここまで来たら、後はスピード解決あるのみ。さっさと終わらせて、スーパー開いてるうちにケーキの材料を買いに行かなければならない。
「儀式の起点になりそうな場所……あそこしか思い浮かばねえな」
「奇遇ね、私もよ」
今までの調査を踏まえ、あの魔術師が儀式の起点としそうな場所。
さっさと燃やしておいた方がよかったかと後悔するが、こうなってしまった以上は悔いても仕方ない。
早速向かうために、葵たちへ指示を出そうとした時だった。
織たちが立っている、事務所前の道。その向こうから、魔力の反応が。早速魔物化した幽霊、ゴーストのお出ましかと構える五人。
そして現れたのは、予想通りゴーストの群れと。それに追われる知り合いの三人だった。
「いたっ! ヘルプヘルプ! 助けて織!」
「こいつどうにかしてぇぇぇぇぇぇ!!」
「はぁ……はぁ……も、もう無理……」
叫びながら走って来るのは、昼にも会った花蓮と英玲奈。その少し後ろで、そろそろ限界を迎えそうな丈瑠。
まさかの三人にギョッとする織。その間にも、愛美は動いていた。
「織!」
「……っ、あいよ!」
呼ばれ、我に帰る。三人を転移でこちら側に移動させ、勢い余ったところを葵と蓮、カゲロウがそれぞれ受け止めた。
その隙に、入れ替わる形で愛美がゴーストの群れの前へと躍り出る。
鞘から抜かれる短剣には、概念強化によって伸びた魔力の刀身が。その一振りで群れの全てを両断し、ゴーストは悲鳴すらあげることなく消えていった。
「た、助かったぁ……」
「死ぬかと思ったぁ……」
「……」
安堵の息を漏らす花蓮と英玲奈は、それぞれ葵とカゲロウに支えられている。しかし蓮が受け止めた丈瑠は、体力の限界なのか一言も発さなかった。
さすがに心配になって、織はそちらに歩み寄る。
「よく逃げて来られたな。大丈夫か?」
「あ、ありがと、ございます……」
咳き込みながらも、しっかりと返事が返ってくる。それに安心して、多少予定はズレてしまうが、改めて葵たちに指示を出した。
「葵と蓮は街に出てくれ。今みたいなのがまだ彷徨いてるかもしれない」
「思ったよりも魔物化が早いですけどね。分かりました」
「それから、ついでにスーパー寄って、ケーキの材料買ってきてくれ」
「桐生先輩、まさか、まだ作ってないんですか?」
驚いたように言う蓮は、どうやら朱音から話を聞いていたらしい。苦笑しながら肩を竦めると、葵から呆れたようなため息が。
「泣かれますよ」
「そうならないために、さっさと解決させるんだよ」
「でも、今から焼いたとしても、今日中に食べるのは間に合わないんじゃないですか?」
「いいか蓮、間に合うか間に合わないかじゃない。間に合わせるんだ」
最悪ダメなら、土下座も視野に入れている。ともかく、朱音に泣かれるのと嫌われるのだけは避けないと。織も愛美も、朱音の笑顔が見たいのだ。そのためならなんだってやる覚悟がある。
「とにかく、材料は頼んだ。お前らなら分かるだろ」
「分かりますけど……」
「スーパー、こんな時でも開いてるのかな」
「カゲロウは、アーサーと一緒にここで三人を守っててくれ」
「おう、任せろ」
懐から注射器を取り出したカゲロウが、それを雑に腕へ突き刺す。朱音の血を体内に摂取しないと、カゲロウは異能も魔術も使えないのだ。
娘の血がそんなことに使われているということに、思うところがないわけでもないが。今は拘泥している場合じゃない。
「あの、桐生はいないんですか……?」
おずおずと発したのは、息を整えた丈瑠だ。彼が言う桐生とは織のことではなく、朱音のことだろう。
丈瑠もまた、朱音の友人であり、あの子のためにお菓子でも用意してくれていたのかもしれない。
「朱音は、まあ、多分今頃はサーニャのところだな。そのうち帰ってくると思うから、事務所の中で待っててくれ」
ぽんと肩を叩く。こんな状況じゃ不安だろうが、恐らく丈瑠は、そういった態度を朱音に見せたくないのではなかろうか。
織も同じ男だ。同世代の女の子に、そんな情けない姿を見せたくないと思う気持ちには、理解を示してやれる。
その相手が自分の娘でなければ、さらに応援までしてやれたのだろうが。
「そんじゃ、さくっと解決してくる。愛美、行くぞ」
「ええ」
外に出てきたアーサーをもふもふしていた愛美に声をかけ、織は二人で転移した。
目的地は、進藤加奈子の自宅だ。
◆
ついに、この日が来た。
三ヶ月前に彼が亡くなった、それよりも更に以前から計画していたこの儀式を、ついに。
誰もいない真っ暗な部屋の中、一人ほくそ笑む女性がいた。
田辺家のハウスキーパーである、西崎仁美。
彼女は、魔術師だ。
扱うのはルーン魔術だが、本来それは彼女が専攻するものではない。なにかと便利だからと覚えただけで、西崎仁美が最も得意とする魔術は、死霊魔術。ネクロマンシーと呼ばれるもの。
その魔術にはあまりいい印象を持っていなかった。死人の魂を弄ぶような魔術だ。学院と関わりの薄い西崎家に生まれた仁美は、その思考まで魔術師然としていたわけではない。だから、死霊魔術を使うことに抵抗があった。
しかし、今となってはありがたいと思っている。だって、これで彼を、彼女に会わせることができるのだから。
ルーン魔術を覚えたことも無駄ではなかった。この街には、厄介な探偵がいる。その目を欺くのにちょうど良かった。
とはいえ、結局こうして、介入されることとなってしまったが。
それも予測の範囲内。ここまで来てしまえば、もう誰も彼女を止められない。あとは儀式を終わらせれば、全てが成し遂げられる。
「だ、誰かいるの……?」
パチッ、と。電気が点けられる。部屋の入り口に立っているのは、この家の主。仁美の親友だった女性。進藤加奈子だ。
「あな、たは……」
「もう帰ってきてしまったのね……」
悲しげな色を帯びた声。仁美は加奈子を一瞥するだけで、すぐに作業へ入った。
リビングの絨毯をめくり、その下にある術式へ手を触れる。
「なにをしてるんですか……け、警察に電話しますよ⁉︎」
「好きにして。そんなものに頼ったところで、私を止められるわけじゃない」
かつて彼女を見るたびに、体の中で言いようのない感情が渦巻いていた。
それも今はない。
この服に刻んだルーンのお陰だ。それがあるから、仁美はこうして冷静に、儀式の準備を執り行える。
このフローリングの上には、加奈子の恋人だった田辺雅樹が、ルーンの護符を置いていた。仁美がルーン魔術を教え、雅樹が自力で作ったものだ。
たしかにあれは、守護の類の護符だった。ならば一体、なにから加奈子を守っていたのか。
あの護符の、更にもう一つ下。
そこに、仁美は術式を隠していた。この部屋によく出入りしていた時に。
「あなたも見て行くといいわ。あなたの恋人が蘇る、その瞬間を」
返事の声はない。気が動転しているのだろう。もはや背後の加奈子など気にせず、仁美は術式へ魔力を流す。
ゆっくり、時間をかけて魔法陣を完成させて行く。十分、二十分、三十分以上が経過して、ようやくひとつの魔法陣が浮かび上がった。
あの探偵たちが使うような現代魔術のものではなく、完全に廃れきっている死霊魔術のものだ。それをルーンで上手く隠蔽していた。
死霊魔術は、術式がそこにあるだけで、一般人によくない症状を齎す。
雅樹はこの術式に気がつき、あの護符を置いたのだろう。
今となってはどうでもいいこと。その雅樹も、この魔術が完成すれば蘇る。
懐から袋を取り出し、その中に入っていたものを魔法陣の上に置く。背後から、小さな悲鳴が聞こえた。
それもそのはず。仁美が今置いたのは、人間の指だ。死体の、つまり田辺雅樹の指だ。これを媒介にして、魔術を完成させる。
「もうすぐよ。もうすぐ、あなたを彼に会わせてあげられる」
どこまでも無機質な、それでいて高揚の隠せない声で呟いた、次の瞬間だった。
「なるほど、ルーンはただの隠れ蓑だったってわけね」
第三者の声。聞き覚えのある、決して忘れられない少女の声が。
咄嗟に振り返る。しかしそこにいるのは、進藤加奈子ただ一人。
「遅い」
懐まで入り込まれた。そう認識したと同時、仁美の腹に鈍い衝撃が襲った。
「ぁッ……!」
上手く息ができない。ガラスの割れるような音が聞こえた。
いや、割れたのではない。斬られたのだ。何ヶ月も念入りに準備して、三十分以上かけて構築した魔法陣が、術式ごとバッサリと。
「位相接続、死を告げ血を纏う殺人姫」
そんなことが出来てしまう人物に、仁美は心当たりがあった。
魔術師のあいだでまことしやかに囁かれている噂話。その中に、こんなものがある。
人を殺すことに快楽を見出す少女、殺人姫と呼ばれる魔術師がいる。
出会ったが最後、彼女は標的を殺すまで逃しはしないだろう、と。
ゾッと、背筋に嫌なものが走った。
その噂話が本当で、この少女が殺人姫と呼ばれる魔術師なら。自分の命はここまでだ。志半ばにして殺される。
嫌だと、死にたくないと思っても、体は言うことを聞かない。
ただ殴られただけだと思ったのに、全身の力が抜けていく。
「加奈子さん、ちょっと動かないでくださいね」
「え?」
しかし、振袖へと姿を変えた殺人姫が、刀を向けた先は。
敵であるはずの仁美ではなく。依頼人であるはずの加奈子だった。
◆
一刀両断。
まさしくその言葉が相応しいだろう。
ドレスを顕現させた愛美の刀は、加奈子の体を両断した。
そのはずだった。
「どうっすか。これで全部思い出せました?」
一部始終を加奈子の後ろで見ていた織は、傷ひとつなく、へたり込んで戸惑っている加奈子に対して、優しく声をかけた。
多少荒療治ではあったが、加奈子に全部思い出してもらうのが手っ取り早かったのだ。
だから、愛美のドレスで加奈子にかけられた記憶改竄を殺してもらった。
「仁美さん……? そうだ、わたし、なんで忘れて……」
蹲った仁美を見て、加奈子は震えた声でつぶやいた。
結局、織の推理が部分的にではあるが当たっていたことになる。
具体的な関係はどうか知らないが、加奈子とこの魔術師は、余程深い仲だったのだろう。だから仁美は、恋人が亡くなり悲しむ加奈子を見ていられなかった。
あるいは、死霊魔術師の彼女は雅樹の死期を悟っていたのかもしれない。だから恋人の死後、加奈子が悲しむことがないようにと、彼を蘇らせる準備を進めた。
その結果、仁美がここに置いた術式とハロウィンが近くなることも合わせて、街でポルターガイストが発生したのだ。
死霊魔術には二種類ある。
死体を媒介にして過去や未来を覗くものと、死後の魂を操るもの。
裏の魔術師がよく使う禁術、魂を魔力へと変換するのも、厳密には死霊魔術の枠に収まるのだ。
織もまさか、ルーン魔術ではなく死霊魔術が本命とは思わなかった。いや、見落としていたというべきだ。最初に発見したルーンに気を取られすぎたが、幽霊騒ぎなんて本来は、死霊魔術の範疇だろう。
ハロウィンが近づくと度にポルターガイストは街で多くなり、当日ともなれば、術式の対象である田辺雅樹が姿を見せるまでになった。
「ってところか? さすがに、既存の魔術理論を外れすぎてるとは思うけどな。ただ、最新の理論は殆どが現代魔術によるものだ。古くからある死霊魔術ならあるいは、って感じだな」
愛美に刀を突きつけられ、動けないままの死霊魔術師。亡裏の体術のせいか、そもそも動こうと思っても動けないだろう。
「仁美さん、どうしてこんなことを……わたしは、雅樹に生き返ってほしいなんて……」
「嘘よ」
加奈子の言葉に、切って捨てるような否定が。ルーンでは抑制しきれない感情が、その目に強く宿っている。
「あなたは、加奈子はずっと苦しそうだった。悲しそうだった。雅樹さんが死んで、生きる意味を見失いかけてた。きっと私のせいでもあったから、私に関する記憶は全て消したけど……それでも、同じだったじゃない」
淡々と。無機質な声が、室内に響く。
人間誰もが、大切な人を亡くしてしまえば思うことだ。
生き返ったりはしないかと。
もう一度会いたいと。
それでも、死んだ人間が生き返ることはあり得ない。死後魂は消滅してしまう。幽霊となり残ったとしても、それを視認できることはなく、ただそこにあるだけ。
それをどうこうしようというのは、世界の在り方を乱してしまう。
「探偵と殺人姫。私だって話は聞いてるわ。あなたたちだって、魔女ともう一度会いたいと、そう願ったことはあるでしょう?」
全くもって、耳の痛い話だ。
そんなもの、あるに決まってる。ふとした拍子に、彼女がいればと何度願ったことか。
でも、こいつの話を肯定してやることはできない。
「あいつが、桃が選んで、桃が決めた結末。その結果の今で、未来なんだよ。過去に起きたことは本来変えられない」
拳を強く握りしめ、震えた声を絞り出す。
あの友人のことを思うと、今でも涙がこみ上げてきそうになる。
それでも。だとしても。
「会いたいに決まってんだろ。それでも会えないんだよ。幽霊になってようがなんだろうが、あいつのいない未来を、俺たちは歩く。その選択をバカにすんじゃねえよ」
どれだけ会いたくても、会えない。
その未来を生きていくのだと、織はそう決めたのだ。
「なら……なら加奈子はどうすればいいのよ。みんながみんな、あなたみたいに強いわけじゃない。大切な人の死を受け入れられるわけじゃない。だから現世に囚われた魂がいて、霊になってしまう。誰がその人たちを救えるというの?」
死霊魔術師特有の、というべきか。
魔術師の中でも特別霊に近い彼女らだからこそ、そんな悩みを持つのかもしれない。
だが、履き違えている。彼女のその問いに対する答えなんて、当人たちにしかない。
「違う、違うよ仁美さん」
「なにか違うというの。私は、あなたのために……!」
「わたしはっ! ……わたしは、雅樹がいなくなって辛かったけど! でも、あなたがいてくれたら、わたしは……!」
二人のやり取りが、果たしてどのような意味を含んだものなのか。もはや織には分からない領域だ。そもそも結局、この二人がどういった関係だったのか。
親友と呼べるものだったのか、あるいは織の推理通り、恋人にも近いものだったのか。
それでも、加奈子の言葉に思うところがあったのだろう。蹲ったままでも戦意を隠していなかった仁美は、床に尻をつけへたり込み、漲らせていた魔力は消えていった。
ルーンの効果が切れたのか、仁美の眦から涙が零れおちる。加奈子がそれに寄り添い、静かに泣く仁美を抱きしめていた。
「俺たちは帰るか」
「まあ、今回はお咎めなし、かしらね」
◆
街に帰ってきた朱音は、明らかに異様な魔力の残り香に気がついた。
なにかしらの魔術儀式が行われた跡がある。まさか自分がいない間に、街でなにか起きたのか。もしくは今まさしく、事件の最中なのか。
サーニャに手伝ってもらって、なんとかクッキーを焼くことに成功したけど。もしかしたら、そんなこと言ってる場合じゃないかもしれない。
そんな朱音の不安も、事務所に入ると同時に払われることとなる。
「お帰り、朱音。遅かったわね」
「ただいま母さん。もしかして、なにかあった?」
「まあ、ちょっとね」
自宅の一階、事務所にいたのは愛美とアーサーだけだった。白い狼が足元にてくてく寄ってきて、朱音はその毛並みをもふり始める。気持ちいい。
愛美の隣、ソファの上に腰を下ろし、今日起きた一連の事件について聞いた。
街を騒がせたポルターガイストと、亡くなった恋人の幽霊を見たという話。
そこから当然のように魔術師騒ぎとなって、幽霊が街のあちこちに出てきたり、事件の原因が亡くなった男性への強い思いからきたものだったこと。
全てを聞いて、朱音の思ったことは一つ。
自分は、その犯人を否定できない。
だって朱音は、まさしく死んでしまった両親を求めて、この時代に来てしまったのだから。朱音には、犯人を裁く権利がない。手段が違っただけで、やっていることは同じだ。
もしかしたら、その辺りも考慮してくれて、二人は朱音になにも知らせなかったのかもしれない。
「ま、もう全部解決したわ。後はちゃんとお金が払われれば、完全に終了よ」
「そっか……」
違うのだと、思い知らされる。
自分と両親たちとは、その考え方も在り方も、どうしようもなく違うのだと。
どこまでいっても、桐生朱音は転生者なのだ。過ぎたものに縋り、去っていったものに囚われる。
過去から逃げられず、向き合い続けて生きていく。
小鳥遊蒼を始めとした転生者たちと、同じ穴の狢。
未来を見ていない。
「それよりこれ。あなたにって」
気を遣わせてしまっただろうか。愛美の優しい声が、胸に染みる。
母親が手に持っていたのは、某有名店の有名なお菓子だ。花蓮と英玲奈が食べたいとボヤいていたのを覚えている。
それを何故か渡されて、朱音は訳も分からないまま受け取った。
たしか、家で食べるのはケーキだったはずなのに。
「丈瑠からよ。直接渡したがってたけど、さすがに時間も遅いから帰したの」
「丈瑠さん? でもこれ、結構高いって聞いたけど」
「そうみたいね。だから今度、ちゃんとお礼しなさい」
「うん」
明日にでも、いつもの公園に行ってみよう。一人で食べるのは味気ないから、これを丈瑠と一緒に食べるのだ。
それはそうと、さっきから織の姿が見えないのが気になる。
二階からいい匂いがするし、晩御飯の準備中だろうか。きっとそうに違いない。
なんて考えていると、早速お腹が空いてきた。お菓子をいっぱい食べてきたけど、やっぱり織の作るご飯は別腹だ。
「飯出来たぞー」
と、織が二階から降りてきた。
しかし朱音を視認した途端、なぜか申し訳なさそうな顔になる。
小首を傾げるものの、父親の表情は晴れないままだ。
「おかえり、朱音。その、だな。ちょっと言いにくいんだけどな……」
「ご飯だよね? でもその前に、二人にこれ渡しておくね」
織がなにか言うよりも前に、朱音は懐から取り出したセロハンの袋を二つ、それぞれ織と愛美に手渡した。
中に入っているのは、不恰好な形のクッキーだ。サーニャに手伝ってもらって、何度か失敗しながら、それでもどうにか食べられる形にしたもの。
「ケーキ、焼いてくれてるんだよね? でもさ、もらってばっかなのも私が嫌だから。日頃の感謝も込めて、って感じなんだけど」
改めて口にすると、照れ臭さが勝ってしまって、はにかんだような笑みが漏れる。
愛美はありがとうと言って頭を撫でてくれたが、それでも織は浮かない顔をしていて。
「うん、ありがとな朱音。でも、そのだな……ケーキのことなんだが……」
ケーキがどうしたのだろう。このクッキーと一緒に、三人で食べようと思っていたけど。
無事にクッキーも渡せてご機嫌な朱音に、残酷な事実が突きつけられる。
「悪い! 仕事ができて、作ってる暇なかったんだ!」
「……え?」
「だから、まだ全然出来てなくてだな……明日でもいいか……?」
「……え?」
フリーズした。思考が完全に停止した。
織が言っている意味は分かる。ケーキが焼けてない。つまり、このクッキーと一緒に、織の作ったケーキを三人で食べられない。
想像もしていなかった現実は、しかし朱音にそれほどのショックを与えなかった。
いや、ショックなのに変わりないけど。正直泣きたいけど。
「明日は、ちゃんと焼いてくれる?」
「もちろん! 絶対に! 約束する! なんなら未来視使ってもいい!」
「……ならいいよ。約束だからね」
明日の、未来の約束が出来た。
転生者で、過去に囚われた朱音にも、未来がある。明日を約束できる。
他の誰でもない、両親と。
目の前の二人への大好きな気持ちが、なんだか無性に抑えきれなくなって。朱音は、感情に任せるがまま、織と愛美に抱きついた。
「ど、どうした朱音?」
「なにかあった? 先生にイジメられたとか?」
「なんでもない。こうしたかっただけっ」
えへへ、と笑えば、二人も頬を緩ませる。
明日、二人と一緒にケーキを食べる。作るのを手伝うのもいいかもしれない。
死んだ人間には会えなくて、きっと両親はそれも受け入れて未来を歩くのだろう。
なら朱音も、たまには未来を見てもいいのかもしれない。




