戒めの仮面 4
両親と、サーニャと、葵と。
最初はそれだけだった。数少ない身内の人たちを守りたい。幸せになってほしいと、そう願った。なのに自分はなにも出来なくて、後悔だけが残されて転生者となった。
でも、気がつけば。守りたい人が沢山増えたんだ。
小鳥遊蒼に彼方有澄。糸井蓮、カゲロウ、剣崎龍やルーク、桐原家の人たちや、棗市の人たち。
そのみんなに、あんな未来を迎えて欲しくなくて。そのために、頑張らないといけなくて。戦い続けないとダメで。
いつからか増えすぎたそれは、朱音ひとりの手には収まり切らなくなっていて。
どうしたって、どこかで取りこぼしてしまう。全てを守ることは、叶わない。
失いたくないのに。奪われたくないのに。
他の誰でもない、己の手で。
自分が戦うたびに、誰かが苦しむ。
分かっていたことだ。敗北者としての仮面を再び被ると、そう決意した時から。
街の人たちに疎まれようと、それでもみんなを守るために戦うと、決めたのに。
決めたけど、世界は朱音が思っているより、なおも残酷だ。
戦えば戦うほど、大切な人が失われていくのなら。
私は、もう戦いたくない。
◆
「悪いことってのは、重なるもんだね」
学院長室で深いため息を吐いたのは、この部屋の主である小鳥遊蒼だ。
その息は、白く染まって部屋を漂う。いくら秋も深まり冬の気配も見え始めたとはいえ、室内はおろか外もそこまで低い気温を記録してはいない。
その原因は、蒼の前に立つ銀髪の吸血鬼。
彼女の後ろでは、葵たち風紀委員の三人が身を震わせてサーニャの報告を聞いていた。
「サーニャさん、少し抑えてください。これ以上は後ろの三人が耐えられないです」
「……これでも、抑えてる方なのだがな」
パキッ、と音がなった。サーニャの足元に出来た氷が割れた音だ。
思い出すだに腹立たしく、己を許せなくなる。あの小さな少女に背負わせすぎた結果がこれだ。今はどこかに匿われているという朱音の両親に、合わせる顔がない。
「しかし、これで朱音は戦力外か」
「言葉を選べよ、人間」
部屋の温度が、またいくらか下がった。
後ろで聞いてる葵としては、仲良くしてくれ以外の気持ちが浮かばない。
傍の有澄から小突かれて、蒼はゴメンゴメンと謝る。悪びれている様子は全く見えないけど。
「でも、ある意味ちょうどいいのかもね。色々と頼んだ身で言うべきじゃないかもしれないけど、あの子には少し、休息が必要だ」
「朱音ちゃん、今は?」
「家で寝ておる。泣き疲れたのだろうな。それからは死んだようにぐっすりと、だ」
昨日。朱音はサーニャの腕で一頻り泣いた後、甘えるように引っ付いて事務所まで戻り、風呂に入って夕飯を食べたらすぐに眠ってしまった。
事務所に残っていたカゲロウもその一部始終は見ている。
まさしく、人が変わったように、と言うべきか。瞳からは生気が抜け落ちて、纏っていた強さはカケラも見られず。ただの年相応の少女へと変わっていたのだ。
戦いたくない。
そう言わせてしまうまで、戦わせてしまった。それ自体がこの場にいる全員の罪だ。
「朱音の仕事は、そのまま我が引き継ぐ」
「頼む。朱音のこともね」
「当然だ。このままで終わらせてなるものか……ネザーには相応の報いを受けてもらわねば困るのでな」
怒りと冷気を撒き散らしながら、サーニャは学院長室を出る。
朱音をここまで追い込んだのは、自分たちだ。でもその原因を作ったのは誰か。
昨日の魔術師は、朱音が殺してしまった。その魔術師が使っていた魔導具。異能の力を封じ込めたイヤリングは、どこで作られたものなのか。
「緋桜」
「はいよ」
突如現れた黒い霧が人の形を成す。サーニャの冷気にあてられるのはゴメンだと霧になって話を聞いていた緋桜は、わざわざ聞かれるまでもなく吸血鬼の望む答えを口にした。
「ネザーなら、まだ日本から撤退してない。日本支部は潰したが、どこぞに隠れてるんだろうな。調べてる途中だ」
「分かったら知らせろ」
「当然」
短く言葉を交わし、緋桜はまた姿を消した。
気を落ち着かせる。怒ってばかりいたって、状況はなにも変わらない。
廊下に満ちていた冷気が引いていく。異能の力を制御しきれないなんて、何百年振りだろうか。
今となっては、誰に指摘されるまでもなく。
サーニャにとってあの少女が、どれだけ大切な存在になっているのかは自覚があった。
朱音と出会ったのは四月のことだ。吸血鬼であるサーニャにとって、それは数日前の感覚に等しい。
人間が感じているそれよりも、よほど短い時間。それだけの関わりで、どうしてここまで朱音に肩入れしてしまうのか。
理由は明白だ。
大きすぎるその目的のために立ち上がり、戦う姿が美しかったから。
未来を変えたいという壮大な彼女の目的は、しかし誰よりも人間らしい我欲にまみれた願いでもあった。
孤独に戦うそんな彼女に、魅入られた。
だから助けたかった。支えになってやりたかった。
己の弱さを戒めとして仮面を纏い、目的のためだけに剣を振るい血を浴びる彼女が。両親にすら素直に頼れず甘えられず、積み上げた死体の上に立つ彼女が。
無邪気に甘えてくれるなら。自分の存在が、朱音にとって支えになっているのなら。
その信頼に応えてやろうと決めた。
この時代のサーニャは、朱音の親代わりなんかじゃない。ましてや姉妹でもなく、友人でもない。そのように見られ、また本人たちがそう感じることがあっても。決してそんな関係ではない。
それでも。
決して言葉では言い表せられないほど、あの少女が大切なことに変わりはなくて。
「異能研究機関ネザー。あの子から笑顔を奪った罪は重いぞ」
◆
サーニャが出て行った学院長室に残されたのは、六人。部屋の主である小鳥遊蒼と、そのパートナーである彼方有澄。風紀委員の葵、蓮、カゲロウの他に、もう一人。
葵たちの後ろで小動物のように震えている、スーツ姿の女性だ。
メガネをかけたパンツルックは出来る女のイメージを抱かせるが、残念なことに今となっては、初対面時のそんな印象はどこかへ吹っ飛んでしまった。
「着いて早々申し訳ないね、改めて自己紹介してくれるかな?」
「は、はいっ」
蒼に声をかけられ、コホンと咳払いを一つしてから一歩前に進み出る。
「魔術学院イギリス本部、監査委員のアンナ・キャンベルです。今回は桐生織、桐原愛美の両名にかけられた嫌疑の調査。及び日本支部の監査のため派遣されました。三日ほど滞在の予定ですが、みなさん次第で滞在期間は伸びるかもしれませんので、よろしくお願いします」
キリッとした表情で告げたアンナ。けれど悲しいかな、葵は直前の彼女を見ていたから、無理をしているようにしか見えない。
いや、人類最強と吸血鬼を前にしたら、普通の魔術師は誰だってああなるのかもしれないけれど。そこは日本支部の魔術師たちがおかしいのだろう。
本人が親しげな態度だから忘れがちだが、小鳥遊蒼はあらぬる魔術師の頂点に立つ男だ。
そして吸血鬼とは魔物の頂点。そんな二人を前にしてしまえば、恐怖で震え上がってもおかしくはない。
「うん、よろしく。滞在中はそこの三人に色々と案内してもらうといいよ。葵たちも、悪いんだけどしばらくはよろしくね」
「はい」
「ま、つまんねぇ授業聞くよりマシだわな」
「よろしくお願いします、キャンベルさん」
葵たち三人は、しばらくの間授業返上でアンナと行動を共にすることとなる。
それ自体は別にいいのだが、葵としては朱音のことが心配だ。早く事務所に向かいたい。
もう戦いたくないと言った彼女の、全てでなくてもいい。ほんの少しでも肩代わりすることができれば。
「では、早速案内をお願いします」
「あ、はい。分かりました」
半ば心ここに在らずだった葵は、アンナの一言で意識を現実に引き戻される。蓮とカゲロウが心配そうにこちらを見ていたが、大丈夫だと笑顔を見せた。
蒼と有澄に断って部屋を出る。案内とは言ったものの、さてどこから行くか。取り敢えずは各教室を見せるくらい? 今はまだ午前中で、一般教養の授業しかしてないけど。
「みなさんは、石の器である二人とどういったご関係なのでしょうか」
行き先に悩んでいたところ、アンナが突然そんなことを尋ねてきた。脈絡がない、わけではないか。元々彼女の目的は、織と愛美について調べるためなのだし。
三人で顔を見合わせて、最初に口を開いたのはカゲロウだ。
「オレは面識ないけどな。ここに来たのは、その二人が出て行ってからだし」
「俺も、関わりは薄い方ですね。名前は聞いてたけど、桐原先輩は特に雲の上の存在って感じでしたし」
二人からは有益な話が聞けないと思ったのか、アンナの視線が葵に向けられる。
「いい先輩ですよ、二人は。愛美さんは強くて優しくて、とても家族思いで、私の憧れの先輩です。織さんは弱いくせにそれでもいいんだって前を向ける強さを持ってて、愛美さんのことを支えてた」
「上から聞いている二人とは、あまりにもかけ離れていますね」
そりゃそうだ。具体的にどのように聞いているかは知らないが、犯罪者に仕立て上げるくらいなのだし、ろくな話は聞いていないだろう。殺人姫なんて物騒なあだ名をふんだんに活用していることは、軽く予想できる。
「では、先ほども学院長室で話していた、桐生朱音については?」
一瞬。空気がピリついた。傍を歩く男子二人が、鋭い視線でアンナを睨んでいる。
カゲロウはもはや言わずもがなだし、蓮もこれで、身内になにかあれば手段を選ばない節がある。
今すぐ朱音の元へ飛んでいって、味方はこんなにいるんだと伝えたい。もう一人で頑張る必要はないんだと、後は任せてくれたらいいと。
「朱音ちゃんは、ただの女の子ですよ。どれだけ強い力を持っていようと関係ない。まだ十四歳の、私にとっては妹みたいな、ただの女の子です」
◆
目が覚めると、すぐ隣で愛すべき家族の一員である狼が眠っていた。普段は二階に上がってこないアーサーだが、朱音のことが心配だったのか。
寄り添うように横になっている狼は、朱音が目覚めると同時に瞼を開く。
「おはよう、アーサー……」
その白い毛並みを撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細めた。朱音も笑顔を浮かべるが、それを見たアーサーは心配そうに喉を鳴らしている。
大丈夫だよ、心配いらないから。
いつもならそう言っていたのに、今は言葉が口から出ない。
なにをする気力も湧かなくて、朱音は再び布団の上で仰向けになった。
昨日の出来事を思い出してしまう。脳裏にこびりついて離れない。
不意に広げた手の平。そこが真っ赤に染まっていて、朱音は飛び起きた。洗面台まで走り、水で洗い流す。けれど血に塗れた手は、どうしたって元の色に戻らなくて。
ハッと我に帰った時、そもそも手の平に血は付着していないことに気づく。
全身の力が抜けて、その場に頽れた。
「ひっ……ひっぐ……」
堪えきれず、涙が溢れる。
無性に両親と会いたくなった。父さんの大きな手に撫でられたい。母さんの優しい抱擁に包まれて眠りたい。
この時代にいるのは、紛れもなく朱音の両親に違いないのだけど。でも、朱音を産んでくれた母親も、育ててくれた父親も、この時代にはいない。
もう会えない二人に、どうしても会いたかった。
「もういや……いやだよ……」
大粒の涙が床を濡らす。駆け寄って来たアーサーに思わず抱きついた。
何度転生しても、何度繰り返しても同じだ。こうして生まれるよりも前の過去に遡行すれば、今度こそうまくいくと思っていたのに。結果は散々。どころか酷くなっている。
奪われるだけなら、我慢できた。言い方を選ばなければ、慣れたと言える。失うことにも奪われることにも慣れてしまって、だから何度も転生できた。自分をやり直すことができた。
いつか絶対に、守り抜いてみせるのだと。
記録されることのない未来をいくつも積み上げ、まだ見ぬ幸せな日々を手に入れるために。
多くは望まない。ただ、大好きな人たちと。私に優しくしてくれた人たちと、一緒に生きたかっただけ。
気がつけば、守りたい人たちが、多くできすぎた。
両親も、サーニャも、葵や蓮にカゲロウも、桐原家の人や街の人たちも、みんなを守りたかったのに。
ついには、自分自身が奪う側になってしまうなんて。
無気力なままでも、体はなんの異常もなく動いているらしい。空腹を感じて、目元の涙を拭いながら冷蔵庫を開く。
中にはサーニャが作り置きしてくれたのだろう料理が入っていた。取り出して、電子レンジで温めてからありがたく頂戴する。
元いた時代では決して食べることのできなかった、あたたかい料理。レンジによる人工的な熱だけど。優しいぬくもりが口の中に広がる。今は、そのぬくもりだけが朱音の心を落ち着かせてくれた。
作った本人の優しさまで、心に染み渡るみたいで嬉しくなる。ちょっとだけ、元気が出た気がする。
「これから、どうしよっか……」
もう戦いたくない。頑張りたくない。
朱音が戦えば、守るべき人すら傷つけ、その命を奪ってしまうかもしれないのだ。
同じことを繰り返してしまいそうで怖い。剣を握れない。手が震える。戦えない。
いつだか両親が買って来てくれた、大きな熊のぬいぐるみを抱きしめる。このまま、ここに閉じこもっていたい。
そうだ、みんな強いんだから、後はみんなに任せよう。だって私は、もう十分頑張ったんだから。
父さんと母さんだけじゃない。サーニャさんもいるし、葵さんたちもいる。人類最強と呼ばれる男だって味方だし、転生者の人たちの力もよく知っている。
もう、いいじゃないか。私が頑張る理由は、どこにもない。この時代には大好きな人がみんないて、あれだけ希った幸せな日々を送っているんだから。
戦いを放棄してその日常を享受する資格が、私にはあるんだから。
まるでなにかから目を背けるように、朱音はぬいぐるみに顔を埋めた。
ただ一つ。
頭の中に、誰かの声が響く。
──ほんとうに?
◆
午前中は適当に教室を見て回った後。
日本支部はここからが本番だ。葵たちは講義室をいくつか案内してから、アンナを連れて校庭に出ていた。
「実戦訓練、ですか」
「はい。日本支部は元から他の支部よりも実力主義なところがあったんですけど、以前グレイの襲撃を受けてからは実戦訓練もするようになったんです」
校庭では現在、一年生たちが剣崎龍とルークの指導で訓練に励んでいる。
葵たちも一年生とはあまり関わりがないけど、みんな一生懸命だ。あるいは、一年生だからこそ、だろう。
タイミングが良かった。今の二年生は全体的に、あまりいい意識を持っているとは言えない。学院で一年間を無事に過ごし、おまけに数ヶ月前のグレイの襲撃を生き残った。心の中に慢心のようなものがあってもおかしくはないのだ。
しかし一年生は違う。ただでさえ覚悟して学院に入っただろう矢先にあの襲撃だ。身を引き締めるには十分すぎる。
ただ、その意識の差がイコールで実力に繋がるわけではないのだが。
現在の三年生が少ないのは、二年時に依頼先で命を落としたものが多かったから。それは例年同じだと言うが、しかし葵たちの同級生で命を落としたものは未だゼロだ。
シンプルに、今年の二年生が優秀な魔術師ばかりだからだろう。
「納得いかねぇって目してんな」
訓練風景を厳しい視線で眺めるアンナを見て、カゲロウが声を発した。
だがアンナは首を横に振る。
「訓練自体に納得していないわけではありません。日本支部が受けた襲撃は、私も報告を受けています。その対策を講じるのは当然でしょう」
「ならなにに納得してないんですか?」
続けて問うたのは蓮。
アンナの口ぶりからすると、あくまで訓練を行うことには納得している。しかしそれ以外で納得できない、と聞こえた。
「子供を戦わせなければならない現状にこそ、納得していないのです。それはあなた方も同じですよ。他支部と比べて、日本支部の平均年齢は低い。みなさん高校生と変わらない年齢でしょう。本来なら、守られるべき存在です」
理屈は分かるけど、子供が守られるべき存在なんてのはこの世界じゃ理想論だ。
魔術の道に進んだ以上、戦いというのは常に身近にある。年齢の差など関係なく、それは容赦なく襲いかかってくるもの。
アンナは正しいことを言っている。なにも間違っていない。問題は、その正しさを貫けるだけの強さが、彼女にあるかどうか。
その強さを持っているのなら、大人だろうが子供だろうが関係ない。
「つってもな。蓮とこのチビに関しちゃ、そこらの大人よりも強いぞ」
「まあ今の日本支部の生徒だと私が最強だしねっ」
「は? オレを忘れてんじゃねぇぞオイ」
「いやいや、魔術も異能も限定的にしか使えない半吸血鬼ごときに私が負けるはずないし? しかも異能だって同じのだから、年季の差で私の勝ちだね」
「オレの方が長生きしてんだぞ」
「残念私も実年齢なら百歳超えてるのは確認済みですー! しかもカゲロウよりも異能を使った回数は絶対多いし!」
「まあまあ二人とも」
子供じみた言い合いは、乾いた笑みを浮かべた蓮によって仲裁される。葵の発言が色々と振り切れてて、蓮としてはハラハラする他ない。ネザーやらプロジェクトやらのことを本部の人間に知られるのは、ちょっとマズイ気がするし。
「そんなに言い合うくらいなら、ちょっと戦ってくかい?」
四人の背中に声がかかる。振り返れば、学院長の蒼が有澄を伴って校庭にやって来ていた。普段は中々ここまで来ないので、訓練途中の一年生たちは物珍しそうに蒼を眺めている。
指導役の龍は、迷惑そうに表情を歪めているけど。
「どうしたんですか、学院長?」
「いやなに、僕もたまには体を動かそうかと思ってね。せっかく本部から人が来てるんだし、人類最強の魔術を見せてあげるのも一興だろ?」
蒼の視線が向かう先にはアンナが。目が合ったと思えばサッと逸らしてしまう。
その反応に怪訝な目を向ける葵だが、まあ人類最強がその魔術を見せると言っているのだ。魔術師の一人としてはそりゃ気になるだろうし、でも監査委員として来てる以上はあまり私情を挟むわけにもいかない、と言ったところか。
「そういうわけで、君たち三人が相手してくれよ」
「え、いやですよ」
「俺たち、キャンベルさんの案内が終わったら、朱音の様子見に行く予定ですし」
「無駄に疲れる必要もねえしな」
本当だったら、こんな仕事放り出して今すぐにでも朱音のところへ向かいたいのだ。それでも我慢して、与えられた仕事くらいはやり遂げてからにしようと決めてるのに。
もうあと何箇所か案内したら終わりなのだから、追加の仕事とか発注しないでほしい。
ていうか、人類最強の相手とか普通に死にそうなので嫌だ。
「そもそも今お昼ですし。私もカゲロウも力出ないですよ」
「カゲロウは朱音から預かってる血が、まだいくつか残ってるだろう?」
「まあ、あるけどよ」
ポケットから注射器を取り出すカゲロウ。いつの間にやら、朱音から何本も貰っていたらしい。
一方の葵も、血を摂取しようと思えばいつでも出来るのだけど。
え、これ本当に戦わないとダメな感じ?
後輩が見てる前で吸血は、ちょっとどころかかなり恥ずかしいんだけど?
「つーか、やるとは一言も言ってねぇぞ」
「へぇ、もしかしてカゲロウは、僕に負けるのが怖いのから逃げるのかな?」
「んだとテメェ上等だやってやろうじゃねぇか!」
えー……そんな簡単に挑発乗っちゃうの?
負けず嫌いは葵も同じなので人のことは言えないけど、それでも相手は選んでほしい。
「葵ちゃんたちも、ここはお願いできませんか?」
「まあ、有澄さんもそう言うなら……」
気は進まないけど、よく考えれば貴重な経験になるかもしれない。人類最強に、今の自分たちはどれだけ太刀打ちできるのかを試せるのだから。
「じゃあ、蓮くん。いいかな?」
「もちろん」
恥ずかしいので、異能で自分と蓮を囲う壁を作る。それから蓮の首筋に噛み付いて、血を吸った。力が湧き、瞳が紅く染まる。
めちゃくちゃ顔が熱い。血を吸い終わって一歩離れれば、はにかんだ笑みの蓮と視線がぶつかる。
「なんか、やっぱり照れ臭いな」
「だね」
壁を消し、律儀に待ってくれていた蒼に向き直る。頭の中のスイッチを切り替えた。これから戦闘が始まるのだ。色ボケしてる場合ではない。
「準備できたかな? じゃあ始めようか。手加減してあげるから、殺すつもりでかかってきなよ」
「舐めてんじゃねぇよ」
「二人とも、最初から全力でいこう」
「当然。様子見なんて出来る相手じゃなさそうだしね」
黒と白、そして黄金の輝きが顕現する。
アンナと有澄は一年生たちの方まで避難していて、そこからこんな声が聞こえてきた。
「よく見とけよ一年坊主ども。あれが人類最強と、勇敢にもそれに挑む愚かで無謀な先輩方だ」
「うっせぇぞ龍黙ってろ!」
思わず叫んだカゲロウの声が、開戦の合図となる。
翼をはためかせて突撃する葵。振るった刀は防護壁に容易く防がれ、離脱と同時に黄金の斬撃が迸った。空中に逃げられたところを、カゲロウの大剣が襲いかかる。重い一撃も防護壁で防がれてしまうが、二人の周囲に魔法陣が展開。鏃のように鋭い糸が、四方から放たれる。しかし転移でそれすら躱された。
「雷纒・帝釈天!」
転移した先には、雷の羽衣を纏った葵が。その力に、人類最強がわずか息を呑んだ。
魔女と同じ、位相の力。
使えるようになっているとは聞いていたが、こうも容易く発動出来るとは思わなかったのだろう。
その思考の隙こそが、葵たちの持つ唯一の勝機だ。
「選定せよ、黄金の聖剣!!」
「こいつも食らっとけ!」
地上の蓮が、躊躇いもなく聖剣の魔力を解放した。空中のカゲロウは、異能の力を込めた白銀の斬撃を放つ。
葵に気を取られていたから、先ほどのように躱すことは難しい。それでも気を抜くことなく、葵も魔力を解放する。
右手に持った刀を覆う形で、雷の魔力によって金剛杵が顕現する。
一切の容赦なく、今持てる全力の一撃を放った。
「天帝・開闢神話ッ!」
黄金の奔流と白銀の斬撃。そこに極大の稲妻が加わり、射線上の全てを蹂躙しながら突き進む。
ただの魔術師では、いや仮に、賢者の石を持つものであったとしても、防ぐことは叶わない一撃。
破壊の権化のようなそれを前にして、人類最強が取った行動はただ一つ。
拳を、振り下ろした。
「え?」
間の抜けた声を漏らしたのは、地上に立つ蓮だ。自分たちの攻撃に絶対の自信があったのだろう。致命傷までとはいかずとも、これなら通用するという自信が。
しかし、今目の前では、あまりにも信じられない光景が広がっていて。
拳一つで、三人の全力で撃った同時攻撃を弾いた。
「うん、なかなか悪くない。特に葵。位相の力をこうも簡単に使えるとは思わなかったからね。十分すぎるくらいに合格点だ」
呑気に言いながら、最強は魔力を解放していく。空中に描かれるのは、無数の魔法陣。普段は詠唱はおろか、魔法陣の展開も含めた魔術発動のあらゆるプロセスを省略する小鳥遊蒼が、魔法陣を描いた。
「葵、カゲロウ! 全力で防御態勢! あれはやばい!」
その意味に蓮が気づいて他の二人に叫びかけるが、無意味だ。
「じゃあ、次は僕の番だね」
最強の放つ魔術が、降り注いだ。
◆
くたくたになりながらも、どうにか棗市までやって来た葵、蓮、カゲロウの三人。
人類最強の放つ、古今東西あらゆる魔術に身を晒し、死ぬ一歩手前くらいまで蹂躙された三人は、龍の紅い炎で回復させられたのだけど。残念ながら、精神的な疲れまでは取れない。
「あんなんチートだろ……なんで魔力もなんも帯びてない拳だけで弾けるんだよ……」
「それが人類最強ってやつなんだろうな。原理は分からないけど、あの人に魔術は通用しないってことじゃないかな」
「オレ、異能も使ってたぞ?」
「演算が甘かったとか?」
「それか、学院長の体が演算結果からズレた、とかかもね」
かも、なんて言い方をしているが、それで間違いないと確信がある。葵の目はたしかにあの瞬間、あの男の情報を映していた。
というかそもそも、小鳥遊蒼の体はおかしい。いつだか有澄が、蒼は純粋な人間というわけではない、と言っていたけど。
それは転生者という意味が込められているのだとばかり思っていた。けれど違う。
蒼の体は、実体というよりも概念に近い状態にある。
彼の存在自体が、魔術という概念そのものとなっている。
正直意味がわからない。
実際視ることができたのも、その事実のみだ。どういう原理なのかまでは視えなかった。有澄のこともあるし、恐らくだが位相が絡んでいるのだろう。
因みに、観戦していたアンナはやはりというかなんというか、また例によって小動物のように怯えてた。
それは蒼の力のみならず、この三人の力を目の当たりにしたことも一因なのだが。本人たちに気づいている様子はない。
「お邪魔しまーす」
辿り着いた事務所の扉を開けば、中には人の気配がちゃんとある。一階には誰もいなかったが、しばらくもしないうちにサーニャが二階から降りてきた。
「あ、サーニャさん。ここにいたんですね」
「朱音はどうですか?」
「つい今しがた目が覚めたところだ。会ってやるといい」
「お前、どっか行くのか?」
カゲロウの問いに、サーニャは頷きを一つ。二階に続く階段を、その先にいる少女を見つめる瞳には、優しい色が浮かんでいる。
「少し、野暮用を片付けてくる。その間、朱音と街のことを頼めるか?」
「勿論大丈夫ですけど……」
「心配せずとも、明日には戻ってくる」
葵の頭をポンと撫でて、サーニャは事務所を出て行った。彼女の言う野暮用がなんなのかは分からないけど、朱音と街のことを頼まれてしまったのだから、今はそちらを気にかけるのが優先だ。
三人で二階へ上がれば、壁に背中を預け、大きなクマのぬいぐるみを抱いている朱音がいた。顔色は悪くないから、体調は問題ないのだろう。
心の方は、どうか分からないけど。
「朱音ちゃん」
「あ、葵さんに、師匠……来てくれたんですね……」
「おい、オレもいるぞ」
カゲロウの文句はスルーして、朱音にゆっくり歩み寄る。その表情は、力ない笑顔に変わった。見ているこちらが痛ましいほどの。
「ねえ朱音ちゃん。晩御飯、なにが食べたいかな?」
「晩御飯、ですか?」
「うん。私と蓮くんが作ってあげるから、なんでも言ってみて?」
「だからオレも」
「カゲロウ」
なおも文句を言おうとするカゲロウだったが、蓮に止められてしまえば素直に従うらしい。
突然尋ねられた朱音は、最初困惑しているようだったが、次第に口を開き始める。
「ハンバーグと、唐揚げと、お魚と……」
「うん」
「あと、ピザとかお寿司とか……」
「うん」
「それからケーキも食べたいです……」
「そっか。じゃあ作ってあげる。お寿司とピザは出前になっちゃうけどね。朱音ちゃんも手伝ってくれる?」
「……はい」
「それで、私たち今日は泊まるから、一緒の布団に寝転がって、ガールズトークとかしよっか」
目線の高さを合わせて、優しく微笑みかける。
こういう時、なんて言ってあげたらいいのか分からない。多分、正解もないのだろう。
葵自身もつい先日、心が折れて戦うことを放棄した。もう消えてしまいたいとまで願った。でも、葵にはあの子達がいたから、今もこうしてここにいられる。
朱音には、葵にとってのあの二人がいない。もしかしたら両親こそがそんな存在なのかもしれないけれど、織も愛美も今はここにいないのだ。
だから、今葵たちが朱音にしてやれることなんて限られている。
「俺も泊まるけど、カゲロウはどうする?」
「サーニャ帰ってこねぇんじゃ飯もねえしな。オレも泊まるよ」
え、蓮くんも泊まるの? それは聞いてないんだけど?
◆
東京都内に位置する、広い屋敷。
緋桜が妹と住む自宅からも電車で行ける距離に、桐原邸はある。
「久しぶりじゃねぇか、緋桜。オメェ、妹放ったらかしてどこほっつき歩いてたんだよ」
「その節は申し訳なかったです、親父さん。愛美にも随分迷惑かけました」
「ま、こうして戻って来てんだからいいさ」
その屋敷の中。桐原組組長、桐原一徹の私室で、緋桜はその人と対峙していた。
一徹とは、緋桜が学院に所属している頃から付き合いがあった。とはいえ、卒業後行方をくらませた緋桜は、これが二年ぶりの再会となるのだが。
「うちの子供や桃さんのこと、色々と話は積もってるが、取り敢えず用件を聞こうじゃねぇか」
「朱音のことは、聞いてますか?」
端的に本題へと入れば、一徹は厳つい顔をしかめた。
「もちろん、小鳥遊の小僧から話は聞いてるがな。どうしたもんかと頭を悩ませてるところだ」
「でしょうね……」
桐原一徹は、なによりも家族を大切にする。だからこそ、今の朱音にかける言葉が見つからない。
未来からやって来た孫娘。その小さな背中には、いくつもの敗北と大きすぎる目的を背負っている。
完全に心が折れてしまい、挫折した朱音を再び戦いの場に引き戻そうなんて思えないし、だからと言って今のままでいい、後は任せてもう戦わなくてもいいのだと、簡単に言うことも憚れる。
あるいは、緋桜の妹なら。
全くとは言わずとも、似たような挫折を経験した葵なら、朱音に寄り添うことができるのだろうが。
少なくとも、緋桜や一徹にできることなんて無いに等しい。
「一応、俺に考えがあります」
「俺らに出来ることは?」
「いつもみたいに、どんちゃん騒ぎで迎えてやることくらいですね。そればっかりは、あなた達にしか出来ないんで」
首を傾げる一徹だったが、すぐに言葉の真意に気づいたのだろう。ニィ、と口の端を吊り上げる。
「あの親バカ二人を、多少無理矢理にでも日本に戻します。まあ、朱音の現状を知れば勝手に飛んでくると思いますけどね」
「違いねぇな。オメェはどうする」
「サーニャさんと一緒に、今からちょっとカチコミってのをやってきます」
「そりゃいい。俺も参加したいくれぇだ」
二人で笑い合い、今後のことについて細部を詰めていく。宴会には誰を呼ぶだの、飯はなにを用意するだの、重要とは思えないことばかり。
けれどそれこそが最も重要だ。
楽しく、みんな笑顔で、幸せな時間を。大切な家族や仲間に過ごしてほしいから。
話がひと段落してから、緋桜は桐原邸を後にした。
調べはすでについている。あとはサーニャと合流して、奴らが潜む場所へ向かうのみ。
誰に手を出したのか、クソ野郎どもに思い知らせてやらなければ。




