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Recordless future  作者: 宮下龍美
第2章 カゲロウが揺れる
73/182

ヒーローの資格 2

 静かな、とても静かな場所だった。

 等間隔に並ぶ机と椅子。前方に教卓と黒板があって、窓の外は夜の闇に覆われている。空に瞬く星の輝きより、なお明るいのは真紅に染まった月。

 通いなれた教室。そこに一つの異物が。


 自分と同じ顔をした、けれど少し大人びた表情と目つきの少女。

 消えて、いなくなってしまったはずの妹の一人が。黒霧碧が、立っていた。


「どう思うって、どういうこと?」

「聞いたままの通りよ。今見てもらった外の様子に対して、あなたはどう思うのか」


 質問の意図が分からない。

 そもそも、どうしてこの子達がいるのかすら理解していないのだ。


 今の今まで黒板にプロジェクターで映されていた映像は、葵の視覚を通じてのものだろう。何故か蓮とカゲロウの喧嘩を見せられていた。それ以前もそれ以降も分からなくて、ただ、蓮の叫んだ言葉だけは、耳に残っている。

 かつて、多重人格の呪いによって奥底に封じられていた時と同じ。表に出られなくても、共有した視覚情報を得ることはできる。

 違うのは、碧の手によって視覚の共有をオフにされていることか。


 なにも答えない葵を見て、同じ顔の少女は小さく息を吐く。手持ち無沙汰だったのか、どこからか取り出した大鎌を手元で弄びながら、感心したような言葉を発した。


「糸井蓮も健気よね。あたし達のためにこんなに頑張ってくれてるんだから」

「……違うよ。蓮くんは、あの子のために。あの子がいたから、頑張ってる。私はそこに含まれてない」

「あなた、さっきのちゃんと見てた?」


 見ていた。片時も目をそらすことなく、目に焼き付けて、見せつけられた。

 糸井蓮が恋をしたのは、かつての黒霧葵。もう消えてしまって、けれどどうしてかまた表に出ているあの子だ。

 私は彼の友達だけど、そうあれるのはあの子がいたから。

 彼の気持ちは今もまだ、あの子に向けられている。


 だから、蓮が本当に守りたかったのは自分ではない。こんな半端者の自分じゃなくて、彼が今もまだ想い続けているあの子だ。


「これは、思ってたより重症ね……」


 床に立てた鎌に体重を預けて、疲れたようなため息が吐かれる。

 こうして碧と顔を合わせて会話するなんて、あの時以来のことだ。一つの体を共有している以上、それは当然の話。

 だけど、その表情の変化や話し方などを見て聞いていれば、よく分かる。


 私たちは、違う人間だと。


「本当は段階を踏んでおきたかったんだけど、まあ仕方ないわ。直球で聞いてあげる」


 右手に鎌を持ち、その先を向けられる。

 葵とは違う、葵には出来ない表情で。

 目の前の少女は、挑むように問いかけた。


「あなたは一体、何者かしら?」


 答えは、ない。



 ◆



「悪かったな、蓮。ちょっとやり過ぎた」


 場所は戻って風紀委員会室。ソファに座って腫れた頬を朱音に治療してもらった蓮に、カゲロウが頭を下げた。


「ちょっとどころじゃなかった気もするけど、こっちこそありがとうだよ。お陰で、目が覚めた」


 正直言って死ぬかと思ったし、殴られたのはめちゃくちゃ痛かったし、わざわざ戦った理由もよくわからないけど。

 それでも、気づくべきことに気づけた。それはカゲロウが、体を張って蓮にぶつかってくれたお陰だ。


 しかし、そのカゲロウ本人はどうにも蓮の言葉じゃ納得しないようで。


「よし、俺を一発殴れ」

「バカですか?」


 すかさず突っ込んだのは朱音。心底呆れた目をカゲロウに向けている。

 せっかく謝って許されて、それで一件落着なのに。なぜそこで終わらせないのか。


「黙ってろ仮面女。これは男と男の問題だ」

「たしかにその通りですが。師匠、どうします?」

「殴るよ?」

「殴るんだ……」


 葵が苦笑を浮かべているが、そりゃ殴るに決まってる。だって痛かったし。

 ただまあ、普通に殴るだけじゃ割に合わない。どうせあちらは半吸血鬼。体も頑丈だし、多少本気を出したところで問題ないだろう。


「黒霧、カゲロウの克服してない弱点、教えてくれないか?」

「んー、海が渡れないのと、心臓に杭。あと十字架も効くみたいだね。カゲロウさん、案外弱点多い?」


 心臓に杭はさすがに死んでしまうだろうから、十字架で決まりだ。

 糸を束ねて右手を覆い、鋼鉄よりもなお硬い即席のグローブを作る。しっかりと十字架も描いて。


「え、いや、待て蓮。お前マジか? マジでやるのか?」

「大丈夫大丈夫。ここには朱音も黒霧もいるから、再生が追いつかなかったら二人に治して貰えばいい」

「待て待てストップマジで待てそれはヤバイシャレにならなぼごわっ!!!」


 右腕を思い切り振り抜き、カゲロウの顔面を打ち据えた。狭い部屋の中を吹っ飛んだ半吸血鬼は、哀れにも壁にめり込んでいる。


「おお、結構飛ぶもんですね。さすが師匠」

「がっつり強化かけて、グローブもめちゃくちゃ硬く作ったから。こんなもんだよ」

「カゲロウさん、大丈夫ですか?」

「お、おお……お前に敬語使われんの、なんか変な感じするな……」


 駆け寄って異能で治療する葵にそんなことを言ってる辺り、案外大丈夫そうだった。といっても、やはり吸血鬼の再生能力は機能していない。

 これはこれである意味収穫だ。カゲロウも、恐らくは葵も。もし今後敵が吸血鬼の弱点を突いてきたとすると、その再生能力は当てにならなくなるだろう。二人とも異能があるからなんとかなるかもしれないが、注意しておいた方が良さそうだ。


 ともあれ、これで本当に一件落着。蓮とカゲロウの和解は終了。

 葵に治療してもらったカゲロウがソファに座り、その葵が人数分の紅茶を淹れて場が落ち着く。

 そんな中で、カゲロウが口を開いた。


「んで、これからどうすんだ、蓮」

「力をつける。それ以外にないだろ」


 今のままでは、繰り返すことになる。

 伸ばした手も届かず、大切な女の子を守れないままだ。


 力が足りない。どれだけの意志と覚悟を持っていても、圧倒的に力が不足している。

 その弱さを、今の蓮は許せない。

 強くなりたいのだ。大切な女の子を、みんなを、守れるくらいに、強く。


 じゃないと、ヒーローになんてなれない。その資格もない。


「そのために、具体的にどうするかって話だよ。誰かに教えを請うか?」

「そうだな……」


 実戦が一番だとは思うが、それでも自分一人では限界がある。まさしく今がそうだ。

 自分が成長している自覚はあるけど、同時にその限界も見えていた。


 このままでは、今以上に強くなれない。

 単純に力をつければいいというだけでもない。戦い方を学ぶべきだ。

 でも幸いなことに、蓮のすぐ近くにはとても強力な魔術師がいるのだ。

 半ば無意識のうちに、向かいで紅茶を飲む朱音へと目がいっていた。


「申し訳ありませんが。私では、師匠の力にはなれそうにないですよ」

「そうなのか?」


 しかしなにかを問うよりも前に、朱音の口からは明確な拒絶が。


「私と師匠では、そもそもの戦い方が違いすぎますので」


 蓮の戦い方は、基本的な魔術師と同じものだ。遠距離からの魔術行使。その上で、蓮自身の魔術は前衛に味方を置いての援護に適している。

 一方で朱音は、遠距離だろうが近距離だろうが、あらゆる状況に対応できる。彼女の母親のように完全な前衛タイプではなく、かと言って父親のように後衛だけに徹するわけでもない。状況に応じて戦い方を使い分けるが、その根底の部分には、特殊な体術と異能の存在がある。


「私の戦い方は、亡裏の体術を軸にしたものです。その上で銀炎と切断能力、未来視を組み込んで、遠近を使い分けてます。あまり教えられることはないんですよ」


 朱音はこれで、結構異能に頼った戦い方をしているのだ。そうでなくても、あの特殊な体術は蓮に真似できるものではない。

 おまけに魔術に関しては、賢者の石の恩恵によるところが大きい。記録された術式と、圧倒的な魔力量によるゴリ押し。うん、無理だ。真似できない。


「ただ力を伸ばすだけじゃなく、戦い方を学ぶというのは間違っていませんので。問題は、誰から学ぶかです。同時に、選択肢を増やすことも考えた方がいいかもしれませんが」

「選択肢、か……」


 今の蓮にあるのは、糸の魔術だけだ。先のカゲロウとの喧嘩でも見せたように、やろうと思えば近距離だって対応できる。応用の幅は広い魔術だ。

 でも、武器がそれだけでは足りない。


「とりあえず、龍さんに相談してみるのがいいと思いますが。あの人なら色々と教えてくれると思いますから。それに」

「それに?」


 もったいぶるように言葉を区切った朱音は、それはもう飛び切りにいい笑顔で言ってみせた。


「あの人は、かつてブリテンを救った王。正真正銘のヒーローですから」


 その笑顔の意味を知るのは、数十分後のことだ。



 ◆



 早速龍の元へ向かった蓮と、それに付き添ったカゲロウを見送った朱音と葵。こちらはこちらで、ある目的があってとある人物を訪ねていた。


「サーニャさん!」


 やってきたのは講義室の前。そこから出てきた銀髪の吸血鬼を見て、葵が駆け出す。

 昨日ネザーで起きたことは聞いていたのだろう。そしてなにより、今の葵を一目見て理解したのだろう。


 サーニャは驚いたような表情を浮かべ、けれど直ぐに穏やかな笑みを携えて、葵の体を優しく抱きとめた。


「話は聞いていたが……本当に、戻ったのだな……」

「はい。ちょっとの間だけですけど」


 えへへ、とはにかむ葵の頭を、サーニャは優しく撫でる。

 そんな微笑ましい光景を見て、朱音の胸に去来したのはほんの少しの嫉妬だった。


 なんか、私の時と違いすぎると思うのですが。私が駆け寄ったら絶対躱されるし、あんな優しく受け止めてくれないし、むしろ雑に担がれるし。

 おまけに頭を撫でてもらったことなんて、ただの一度もないのですが!


「なんだ朱音、どうかしたか?」

「別に、なんでもありませんが。それより場所を移しましょう。サーニャさんも、仕事はもうないでしょうし」


 返事を聞くこともなく、朱音は転移の魔法陣を展開する。

 次の瞬間には桐生探偵事務所の中にいて、ソファの下で眠っていたアーサーが目を覚まして出迎えてくれた。


「ただいま、アーサー」

「そう言えば私、ここに来るの初めてだ」


 白い毛並みをモフモフしてると、葵がそんな風に呟いた。

 たしかに、あの戦いの日より以前は、あまり事務所に人を招いたりはしなかった。朱音が生活を共にするようになってからも、依頼人以外では蒼と有澄が勝手にやって来たくらいじゃないだろうか。

 両親の親友だったあの人ですら、片手で数えて足りるほどしか来ていない。


 それは多分、みんなが気を遣ってくれていたから。織と愛美に。あるいは、朱音も含めた三人に。

 まあ、今はその両親もいないのだけど。


「なにもないところだが、茶ぐらいは出るぞ」

「なんでサーニャさんが言うんですか。ここ、私の家なのですが」

「毎日飯を用意してやってるのは誰だと思っているのだ」


 それを言われると弱い。言葉に詰まっているうちに、サーニャがお茶の準備を始めた。

 あくまでも今は自分がこの事務所の主だと、小さな自尊心を保つために、所長用のデスクに腰を下ろす。その足元にアーサーが丸まった。


「では、葵さん。改めて、昨日ネザーで知ったことを教えてもらってもいいですか?」


 二人もソファに腰を下ろしたのを見て、朱音が切り出す。

 朱音もサーニャも、一応報告は受けているのだ。昨日ネザーに行った面々にも、葵の知った新しい事実は葵自身から、目覚めた時にその場で説明されている。


 蓮はそれどころじゃなかったろうけど。カゲロウと緋桜は、果たしてなにを思ったのか。

 特にあの半吸血鬼については、よく分からない。気にしている様子は全くなさそうだったから。


「説明、というより。これを見てもらったら一番早いかな」


 葵が懐から取り出したのは、一枚のモノクロ写真だ。

 二つの培養器のようなものにそれぞれ入っているのは、生まれたばかりに見える赤子。その下部に、カゲロウ、シラヌイと表記されている。

 そして背中を向けて立っているのは、長い銀髪の女性だ。


 ネザーで、翠に見せられた写真。それをちゃっかり回収していたという。


「これは、我だな……」

「やっぱり、そうですよね。それでこの赤ちゃんたちは、私とカゲロウさん」

「サーニャさんが記憶改竄の影響を大きく受けてる理由は、これで判明しましたね。やはり、プロジェクトカゲロウに携わっていた」


 サーニャがネザーに所属していたのは、百年以上前だ。この写真が具体的にいつ頃のものかは分からないが、少なくともそれだけ昔のもの、ということになる。


 百年も前なのにどうして写真に残っているのかは考えない。朱音たちが生きているのは、神秘の世界だ。モノクロなだけまだ現実味があるというもの。


「この写真と、もう一つ。プロジェクトで生み出されたのは、私とカゲロウさんだけじゃなかったんです」

「もう一人いたのか?」

「はい。出灰翠ちゃん。あの子は多分、サーニャさんがネザーを抜けてから生み出されたんだと思います」


 カゲロウとシラヌイの失敗を踏まえて生み出された、プロジェクトの完成形。

 それが自分だと、翠は言ったらしい。


 なら、なぜ未だにカゲロウと葵の二人を狙う? 翠がプロジェクトにおける終着点、ネザーの研究の集大成だとすれば、二人はもう要らないはず。むしろ失敗作だというのなら、利用価値などないはずだ。


「それでも結局、プロジェクトカゲロウの目的は、どうして私たちが生み出されたのかまでは、分かりませんでした」


 恐らく、理由はそこにある。カゲロウと葵が今になって狙われている理由は。


「そうか……いや、十分だ。すまなかったな、葵」

「謝らないでください。自分が百歳超えてるって言うのはビックリしましたし、だからあの子は受け止めきれなくて、私と碧がまた目覚めたわけですけど。サーニャさんが悪いって、決まったわけじゃないですから」

「むしろ、ある意味でサーニャさんの潔白は証明されてると思いますが」


 この写真は紛れもなく本物なのだろう。実際にサーニャがプロジェクトに深く関わっていて、赤子のカゲロウとシラヌイのことを見ていたのも、事実だ。偽物であれば、葵が気づくから。


 だが、今こうしてここにいて、その上で記憶改竄の影響を大きく受けているということは。

 ネザーにとって、サーニャは都合の悪い存在ということだ。つまり朱音たちの味方であり、疑う必要など微塵もない。


 カゲロウの面倒を見ていたと言うことは、なにかしらの理由でネザーを裏切ったのだろう。サーニャの性格を考えれば、プロジェクトにうんざりしたから、という理由が一番あり得そうだが。


「ここまで分かれば十分でしょう。この話はここまでにしましょう」

「うん、そうだね。私、久しぶりサーニャさんの作ったご飯食べたいな!」

「いい提案ですね葵さん! さあサーニャさん、ご飯にしましょう!」


 朱音も葵も、努めて明るく、笑顔を浮かべる。葵にとっては親代わりで。朱音にとってはそれだけじゃない、友人のような姉妹のような、大好きなヒトだから。

 いつまでも、沈んだ顔をしていて欲しくない。いつもみたいに朱音のことを雑に扱って、でも優しい顔を見せて欲しい。


 そんな思いが通じたのかは分からないけれど。ふっと綻んだ表情に、もう影は見えなかった。


「夕飯まではまだまだあるだろう。もう少し我慢しろ」

「ぶー、ケチですねサーニャさん。いいじゃないですか間食くらい」

「貴様の食べる量は間食と言わぬわ。その代わり、せっかく葵もいるのだ。夕飯は少し豪勢にしよう。蓮とカゲロウも呼んでな」

「やったー!」

「サーニャさん、私も手伝いますよ! 昔より料理も上手くなってますから!」

「ああ、頼む葵。朱音は使い物にならんからな」

「さ、最近は前よりマシですが!」


 やっぱり、葵がちょっと羨ましいなぁ、と。

 軽くジェラシー感じちゃうあたり、朱音もまだまだ子供だった。



 ◆



 学院のとある一室に、男が三人。

 うち二人は、朱音の提案でここを訪れた蓮と、その手伝いを何か出来るならとついてきたカゲロウだ。

 そしてもう一人。長い金髪を一つに結った、怜悧な雰囲気を纏う男。昨日もネザーで共に戦った剣崎龍だ。


「で、俺のところに来たってわけか」

「はい。そうなんですけど……」


 事のあらましを一通り説明した蓮。もちろん詳しいところは省いているが。その視線は室内のあるものに向けられている。


 龍が腰を下ろしているのは、台座だ。石の台座。そしてそこには、刀身が錆びてしまった古ぼけた剣が刺さっている。

 まさしく昨日、ネザーで見たものと同じ。


「それ、まさか持って帰って来たのか?」


 蓮の代わりにカゲロウが問いかけた。それに、まあな、と軽く答えて、立ち上がった龍は剣にもたれかかる。

 たしか葵の言う通りであれば、あれは本物の聖剣らしいのだが。そんな背もたれ代わりに使っていいのだろうか。いや、本物であるのならそれはすなわち、持ち主が龍ということになるし、どう使おうが彼の勝手だけど。


「で、糸井は俺になにをお望みだ? 言っとくが、精神論的な話ならごめんだぞ。そういうのは俺より、愛美に聞いた方がいい」


 あいつもまだまだガキだけどな、と忍笑いを漏らしながら言うが、蓮が今求めているのは精神論なんてもんじゃない。

 純粋な力だ。


「俺は強くなりたいんです。もちろん精神論や根性論なんかじゃない。現実的な力が欲しい」

「なんのために」

「大切な人たちを、好きな女の子を、守るために」


 即答した。そこはもう、迷わない。見失わない。カゲロウにあれだけ説教されたのだ。この気持ちの向けるべき先も、定まった。

 なら後は、その資格を手に入れるだけ。


 ジッと蓮の瞳を見つめていた龍は、やがて一つ息を吐く。


「合格だな。ふざけたこと言うようなら帰らそうと思ったが、文句なしだ」

「てことは……」

「ああ。俺で良ければ稽古をつけてやる」


 これでひとまず、最初の関門は突破だ。

 龍とは学院の戦闘訓練や昨日の一件などで、教師の中ではそれなりに交流のある方だったけど。だからと言って親交が深いわけでもなかった。

 ゆえに断られるかもと思っていたが、無事に引き受けてもらうことができた。


「ただし、これだけは言わせてもらう」


 一安心していた蓮の耳に、低い声が届いた。

 まるで忠告するような。あるいは警告するような。低く、重い言葉が。


「俺は断じて、正義のヒーローなんかじゃない。そのなり損ねだ。これまでの人生、なに一つとして守り抜くってことが出来なかったんだからな」


 右手に灯したのは、真紅の炎。転生者が持つ後悔が、炎の形を取ったもの。


「守護の炎か……なるほどな。あの仮面女、タチの悪い皮肉を言ってたってわけか」


 可視化された情報を閲覧したカゲロウが、呆れ混じりに言葉を吐く。

 龍の炎が守護の力を持つということは、すなわちそれこそ、彼が転生者となった原因の後悔でもあり。

 自分はヒーローなんかじゃない、と。かのアーサー王に言わせてしまう理由でもあった。


「英雄やヒーローなんてのは、見方を変えればただの大量虐殺者だ。正義は時代と共にその意味を変える。勝てば官軍、負ければ賊軍だ」


 それは、人類が繰り返した歴史を見れば明らかな事実。そう、単なる事実として横たわっている。

 その上で、龍は一つだけ。心の在り方を、蓮に助言した。


「でもな、糸井。お前がもし、本当にヒーローってやつになりたいんなら。一つだけ、どうしても譲れない、絶対に曲げられないものを持ってろ。それがお前の中の正義になる。それを信じて戦えば、そのうちなれるかもしれないぜ」


 譲れないもの。曲げられないもの。

 今の蓮には、考えるまでもなく一つしかない。だってこの身を突き動かすのは、間違えようもなく。

 黒霧葵への想い、ただそれだけなのだから。

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