地獄の底に潜む真実 2
校外学習当日。午前中の授業を済ませた葵たち二年生の生徒は、校庭で待機していた。ここからネザーまで、転移で直接移動するのだ。
ただ、二年生は三年生よりも人数が多く、二十人四クラスとなっている。転移にかかる魔力量も相当なものだ。以前までなら学院長が、去年は魔女が同行して送り迎えをしていたらしいが、では今年はどうするのだろうか。
「同行するのは剣崎さんと久井先生だし、二人で足りるってことじゃないか?」
「だと思うけどね。剣崎さんは転生者だし、魔力的には問題ないはずだから」
「つーか、ネザーの日本支部ってどこにあるんだよ」
「東京湾の人工島だって。普段は結界で周りから見えないようにしてるみたい」
愛美から聞いた話では、関西支部も大阪湾の上にあったらしい。東京や大阪のような大都会になると、隠れる場所なんて殆どない。個人ならまだしも、組織だ。そりゃ海の上くらいしか建てる場所はないだろう。
東京や大阪に拘らず、山の中にすればいいのに、とは思うけど。
そのまま蓮とカゲロウと雑談を続けていると、校舎の方からサーニャが歩いてきた。
今回の同行メンバーに入っていない吸血鬼を、生徒たちは不思議そうに見ている。しかしこのタイミングでやって来たということは、要件はひとつしかないだろう。
「三人とも、少しよいか?」
「俺も、ですか?」
自分まで呼ばれるとは思わなかったのか、蓮は首を傾げる。たしかに蓮はプロジェクトに関係ない人間だ。葵の友人ではあるけれど、言ってみればただそれだけ。
しかし、サーニャは首を縦に振った。
「ああ、貴様にも聞いて欲しいからな。出発まではまだ時間があるだろう。少し場所を変えよう」
校舎へと戻っていくサーニャに続いて、三人も歩き出す。集団から抜け出す葵たちはかなり目立っていたが、当然のように話しかけてくるやつらなんていない。
校舎内には入らず、校庭からも死角になっている場所で足を止めたサーニャは、前触れもなく切り出した。
「我は昔、ネザーの研究員をしていた」
その言葉に、三者三様、少なからず驚愕する。同時に、サーニャの記憶が改竄されている理由も判明した。
「サーニャさんが?」
「吸血鬼のくせに、人間の組織にいたってか?」
首肯するサーニャ。ネザーにとって、吸血鬼であるか人間であるかなど関係ない。仮に吸血鬼であったとしても、サーニャは異能を持っていた。
ネザーにとっては、これが全てだ。
「今から、百年以上は昔の話だ。だが、緋桜からも聞いているとは思うが、我も記憶改竄の影響を受けている。恐らくは、グレイよりも大きくな」
それはつまり、サーニャはプロジェクトカゲロウの全てを知っていたということなのだろう。だからこそ、呪いの因果からは絶対に逃れられない。
「ゆえに、我の記憶はアテにならん。緋桜の記憶や知識と照らし合わせて分かったのは、我が記憶しているプロジェクトの概要は正しかった、ということだけだ」
「オレを拾った時のことすら、偽物の記憶って可能性があるわけだな?」
ことここに至って、カゲロウは認めるしかなかった。
グレイの息子である半吸血鬼。そしてプロジェクトカゲロウが、グレイの遺伝子によって異能持ちを人工的に生み出す計画なのだとしたら。
カゲロウはまず確実に、ネザーによって生み出されたことになる。
葵も蓮も、頭の片隅によぎってはいた。それでもカゲロウに尋ねなかったのは、その事実を認めてしまえば、自然ともう一つの可能性も浮かび上がるから。
それだけは、認めたくないから。
「そうだ。カゲロウと出会った時のことだけではない。我とグレイとの因縁すら、植えつけられたものかもしれん。なればこそ、貴様らは我のことを信用してはならない」
「そんな……」
カゲロウが目覚めた時と、言っていることが真逆だ。
あの時は、信じてくれと言われた。だから信じた。その結果として、カゲロウとはそれなりに親交を深められているのだ。
なのに、今度は信じたらダメだなんて言われても。
幼い頃からずっとお世話になっているのだ。両親がいなくなってからは、葵と緋桜の親代わりだった。
「んなこと、できるわけねぇだろ。オレとこのチビが、お前を疑うなんて……それはお前もよく分かってんだろうが……」
苦虫を噛み潰したような顔で、声を絞り出すカゲロウ。彼にとっても、サーニャは恩人だ。五十年前だけでなく、今だって世話になっている。
そんな恩人を疑うなんてできない。したくはない。
「だから、俺もここに呼んだんですね」
「蓮くん?」
「俺は二人に比べると、サーニャさんとの付き合いが浅い。だから二人の代わりに、俺があなたを疑えと。そういうことなんですよね?」
「……ああ」
蓮は頭がキレる。サーニャとの付き合いも浅い。言葉を選ばずに言えば、二人ほどサーニャに情が湧いているわけじゃない。
だから私情に惑わされず、冷静に判断を下せる。サーニャはそのつもりのようだし、葵だって納得はできる。
「分かりました。俺だってサーニャさんのことは信じたいけど、俺にしかできないっていうなら、その役目は引き受けます」
「すまん、蓮。迷惑をかける」
納得、するしかないのだ。葵とカゲロウの心情ひとつでどうこうできる段階は、既に過ぎている。
サーニャを信用できないのは、客観的に見て事実。それはきっと、学院長を始めとした数人も理解していることだろう。
「さあ、もう戻れ。今の話はともかくとして、ネザーに行くこと自体は勉強になるはずだ。表向きではあるが、マトモな研究もしているからな」
「はい」
だから葵には、せめて杞憂であれと願うことしかできない。
◆
「覗き見とは、趣味が悪いな」
一部始終を隠れて見ていた朱音は、突然声を掛けられてバツの悪そうな顔でサーニャの前に現れた。
覗き見するつもりはなかった。たまたまここへ向かう四人の姿が見えたから、気になって気配を消していただけだ。
「すいません、聞かない方が良かったですか?」
「いや、どちらでもいい。貴様にも同じ説明をする手間が省けたからな」
「私は、サーニャさんを疑いませんよ」
「貴様までそんなことを言うか……」
朱音なら分かってくれると思ったのだろう。眉間に皺を寄せたサーニャは、言い聞かせるように少女へ説く。
「分かっているだろう、朱音。今の我が、どれだけ信用できない存在か。実際に小鳥遊蒼は、我を監視している」
見上げた空には、カラスが飛んでいる。足を三本持ったそいつは、蒼の使い魔だ。
「蒼さんも、サーニャさんを疑ってはないと思いますが。あの監視はむしろ、ネザーからの接触がないかどうかが目的ですよ」
「だと良いのだがな」
「悲観的になりすぎだと思いますが。そもそも、どうして葵さんたちに全部話さなかったんです?」
サーニャも、一昨日の緋桜も。共通して避けている話題があった。
プロジェクトカゲロウにおける、シラヌイについて。つまり、葵の体についてだ。
「我が話すことでもあるまい。緋桜からプロジェクトの概要について聞いているなら、葵自身も薄々察しているはずだ」
「でしょうね」
「親の心、とでも言うのだろうな。愛しているがゆえに、言えない真実もある。いずれ本人たちが知ることになると、分かっていてもだ。まさか五百年生きてきて、今更そんなものを抱くとは思わなんだが」
たとえ血が繋がっていなかったとしても。サーニャと葵は、紛れもなく家族だ。
親が子供を守るのは当然のことで。だからこそ言えない秘密もあって。
そうして、全部背負いこむのが親だ。朱音はそれを知っている。生まれた未来で、何度も見てきたから。
「親の心子知らずとは言いますが、逆も然りですね。親だって、子供の気持ちを分かってないことがありすぎます」
「だろうな。貴様がこの時代に来たばかりの頃に、思い知らされた」
「そこは放っておいて欲しいのですが……ともかくあれです。サーニャさんは、もう少し葵さんを信じてあげたらいいと思いますよ。あなたたち親が知らない間に、私たち子供は成長しているものですので」
まるで逆だ。朱音がこの時代に来て、サーニャに正体を打ち明けた頃とは。
あの時サーニャは朱音に、もっと親に甘えろ、親に頼れと言った。けれど今は朱音がサーニャに、子供を少しは信じろと言う。
「それに、忘れないで欲しいですが。私は未来から来たんですよ? サーニャさんが私たちを裏切ったりしないのは、私が知っています」
「時間軸はブレているだろう」
「だとしても、ですよ」
世界の破滅。やがて来るそれは、ネザーがカゲロウを確保していたことも原因の一つと考えられる。グレイの力がいくら強大とはいえ、あの吸血鬼一人で世界をあそこまで破壊し尽くすのは不可能だ。
プロジェクトカゲロウに関わる動きがあり、本当にサーニャが裏切るのであれば。その時に動いていないとおかしい。サーニャはそれでも裏切ることなく、朱音のことを育ててくれたのだから。
「葵さんの人格、緋桜さんの生死、カゲロウの存在。ネザーに関しては色々と変わってきてますけど、サーニャさんは今も未来も変わらない。私にとっては、もう一人の親ですので。疑うわけがないです」
その言葉の通り、猜疑心など微塵も感じさせない笑顔で、朱音がサーニャを見上げる。
朱音にとっての親という存在が、どれだけ大切なものなのか。サーニャもそれを知っているから、らしくもなく頬がニヤけてしまいそうになるのだ。
「あ、サーニャさん今嬉しそうに笑いましたね!」
「知らん、笑ってなどいない」
「嘘です! 私は見ましたよバッチリこの目で!」
「ええいひっつくな鬱陶しい! どうせこの後仕事もないのだろう! さっさと猫の世話とやらにいかんか!」
「ひぶっ」
いつも通りひっついて来た朱音を、いつも通りひっぺがして地面に放り投げる。
それが未来でも変わらないらしい、二人の日常だ。今はまだ、その平穏を受け入れておこう。
◆
龍と久井の転移によってやって来た、異能研究機関ネザー日本支部。今日はここを、各クラスに別れて見学することになっている。
そしてもちろん、葵のクラスの案内を務める職員は彼だ。
「あー、初めまして。俺のことを知ってるやつは流石にいないかな? 日本支部のOBで、今はここで働いてる緋桜だ。訳あって苗字は伏せさせてもらってるが、まあ気にしないでくれ。魔術師なんてそんなやつらばかりだしな」
どうやら本当に緋桜のことを知る者はいないらしく、クラスメイトたちが葵の兄だと気づく様子はない。
その緋桜の先導に従って、葵たちは研究棟へと入っていく。日本支部の研究棟は地下四階から地上三階まであり、このクラスは地上三階から順に地下までを見て回る予定だ。
「黒霧、異能は常に発動しておけ。なにか異変を視たらすぐに知らせろ」
葵たちのクラスと一緒に行動することになった龍から、小声で言われる。それに首肯のみを返して、葵は異能をオンにした。
いつどこで襲われるか分からないのだ。初めから警戒しておかなければ。
「そういえば、今回はなんで剣崎さんも引率に加わったんですか?」
「俺もここの研究所には、ちょっとした用があってな。探しモノが見つかるかもしれない」
龍とルークが生徒と関わるのは、基本的に戦闘訓練のみだ。もしくは先日のように、依頼に向かって連絡の途切れた生徒を救出に行くか。
その龍がわざわざ出張って来ているのだ。探し物とやらがここにあるのは、まず確実なのだろう。
「そういえば、久井先生は?」
「聡美はどっかそこら辺で休んでる。転移で疲れたんだとよ職員に休憩場所どこか聞いてたから、心配ないだろ」
「期待を裏切らないな、あの先生は……」
すぐ近くで話を聞いてた蓮が苦笑気味に言うけど、本当になんであの人を教師にしちゃったんだ日本支部。絶対人選ミスだよ。
エレベーターで三階まで上がると、等間隔に扉が置かれた長い廊下となっていた。壁は一面白に覆われていて、扉の向こうが見えることはない。
緋桜はエレベーターから一番近い扉を開き、生徒たちを中に招き入れる。広い部屋の中央には、石の台座に刺さった剣が。
可視化されたその情報を視て、葵は思わず剣と龍の顔とを交互に見てしまう。
「三階は主に、異能の宿った道具の研究をしている。さすがに全部見せてやることは出来ないから、代表としてこいつを用意した」
刺さった剣の柄に手を置く緋桜。その剣はかなり古いのか、既に錆びついてしまっている。かつては輝いていたであろう刀身も、無残な色へと変わり果てていた。
その剣を興味深そうに眺めるクラスメイトたち。そのうちの一人がおもむろに手を挙げ、緋桜に質問を投げた。
「異能って、道具にも宿るものなんですか?」
「ああ、宿るぞ。一般に異能とは、人間の魂に宿ると言われている。学院ではそう習っているだろう。だが、それは人間や魔物を始めとした、生物に宿った場合だ。こいつみたいに、道具や武器に宿ることだってある」
一瞬、緋桜の視線が龍へと向けられた。
なるほど、その辺りの打ち合わせも、一昨日の間に済ませているのか。
「そもそも異能っていうのは、既存の魔術理論じゃ説明できない、未知の力を指す。だが力である以上、それが発揮される時には波が生まれるんだ。魔術でいうところの魔力に該当するものがな。基本的には、その波を計測するのが研究の取っ掛かりになる」
位相の存在を知っている葵にとって、今の説明は当然の話だ。
異世界から漏れ出た力が、魔力や異能となってこの世界に齎されている。つまり根本の部分で、魔力も異能も同じと言える。力の波とやらが存在してもおかしなことではない。
だがそれを知らないクラスメイトたちは、実に興味深く緋桜の話に耳を傾けていた。
まあ、学院にいるだけでは一生知ることのないような話だ。魔術師とは基本的に勉強熱心なやつらばかりだし、当然と言えば当然か。
「そんな感じで研究を進めるわけなんだが、ならこの剣の場合、どういう時にその波が計測できるのかを教えよう」
緋桜が虚空に右手をかざすと、そこにホログラムのパネルが現れた。サッサと二、三操作をすれば、開いた天井から伸びてきた数本の管が台座と剣にくっつく。
ていうか、サラッと科学力の高さを見せないでほしい。ホログラムのパネルとか完全に映画とかのフィクションに出てくる研究所じゃん。
魔力は感じられなかったから、シンプルな科学力。まあ、翠は変な機械の尻尾を使っていたから、今更ではあると思うけど。
次いで緋桜は、同じくホログラムの大きなモニターを広げる。そこに表示させているのは、二つの波形図だ。それぞれに台座と剣、と分かりやすく書いてある。
今はどちはも真っ直ぐのまま。しかし、緋桜が剣の柄を握ると、そちらのグラフが波を描いた。
「こんな感じで、この剣は引き抜こうとすれば異能が発動される。聞いたことくらいはあるだろう? かのブリテンで王が抜いたと言われる選定の剣、その話くらいは」
クラスメイトは例え話程度にしか聞いていなかったのだろうが、葵と蓮、カゲロウの三人は違った。
まさかと思った蓮が、小声で尋ねてくる。
「葵、まさかあの剣って……」
「うん、本物」
聖剣エクスカリバー。
あれは、アーサー王の愛剣と全く同じものだ。龍が探していたというのもこれだろう。
だが葵は、先日の洞窟内で龍がエクスカリバーを使っていたのを見ている。
あれはここにあるものとは別物だ。この前龍が使ったのは、転生者として引き継いだ力の一部。しかしここにあるのは、現代で掘り起こされたもの。
「なんでネザーがこんなもん持ってんだよって話だけどな」
「本当にね」
ヒソヒソと話してるうちに、どうやら試しに抜いてみよう、という話になっていたらしい。クラスメイトたちが次から次に剣に手を伸ばすが、結果はみんな同じ。中には身体強化まで使っているやつもいたが、剣はビクともしていない。
「お前らもやってみろ」
「いいんですか?」
「どうせ俺以外に抜ける奴はいないからな」
「そこまで言うんならやってやるよ」
三人のうちで最初に手を挙げたのはカゲロウだ。周りが一通り試したのを見計らい、堂々と台座へ歩く。
クラスメイトたちも、あるいは半吸血鬼の彼ならいけるのではないかと思っているのだろう。見守る眼差しは真剣だ。
柄を握り、吸血鬼の膂力を最大に発揮して引き抜こうとする。
だが、剣は全く動かない。
「クソッ、こいつ……!」
力を入れ続けるも、表示されている波はなにも変わらず。つまり、カゲロウが剣を抜くことは無理だということだ。
諦め悪くまだどうにか引き抜いてやろうとしているカゲロウに、葵が歩み寄った。
「どいてカゲロウ。私が抜いてあげる」
「は? お前なんかに出来るかよ。いいから俺にやらせとけ」
「バカ、そうじゃなくて。こんなのね、私の異能使えばすぐ抜けるの」
「いや、それはどうなんだ……」
ちょっと引かれた。なんでよ。
「黙ってそこで見てなさい」
三対の黒翼を広げ、演算を開始する。
この聖剣は、正確には異能を持っているわけではない。異能を使って作られた剣だ。その結果として、異能が宿っているように見えるだけ。
まあ、緋桜もそれは分かっているだろうけど。他の研究員が知っているかどうか。
なんにせよ、葵の情報操作にかかれば、この程度引き抜けないわけが……。
「あ、あれ?」
動かない。全く、これっぽっちも。
振り返ってグラフを見てみれば、波は動いている。つまり、葵にもこの聖剣は抜けないということだ。
「なんだよ、無理なんじゃねぇか」
「ちょ、ちょっと待って、もう一回!」
演算をやり直して再チャレンジ。それを何度か続けたが、結果は同じ。葵の異能は正常に作動しているのに、剣がそれを受け付けていない。情報の変換ができない。
これまで葵の異能が通じなかったのは、同じ異能を持つカゲロウと翠か、位相に関わるものだけだったはずなのに。
「なんで異能効かないの……」
「そういう風にヴィヴィアンが作ったからな。お前の力がないわけじゃない」
肩を落としながら戻ると、龍に励まされた。
そもそもエクスカリバーとは、正しい心の持ち主しか手にできない聖剣だ。つまりは葵はそれを持っていないということで、その意味でも落ち込んでしまう。
「蓮くんもやってみたら? あれ、想像以上にやばいよ」
「蓮ならワンチャンあるんじゃねぇか?」
「なにを根拠に言ってるんだよ。まあ、一応試してみるけどさ」
カゲロウに微苦笑を返して、今度は蓮が台座へ向かった。
そして剣の柄を握った時。一瞬だけ、台座の方のグラフがわずかに揺れた。クラスメイトたちはもう勝手に談笑していて、葵とカゲロウは蓮の方を見ていたから、一瞬の動きに気づいたのは龍と緋桜だけだ。
「なるほどな……」
「剣崎さん、どうかしました?」
「いや、なんでもない」
小首を傾げて怪訝な目を向けるものの、龍が頷いた意味は分からない。大したことじゃないだろうと思考を切り捨て、戻ってきた蓮を迎える。
「ね、全然動かなかったでしょ?」
「うん、デカい木を引っ張ってるみたいだった。あれは抜けないな」
「正しい心を持ってる人じゃないと使えない剣だし、抜くのも出来ないんだろうね」
「んだよ、じゃあオレとチビが抜けるわけねぇじゃねぇか」
「は? 私はカゲロウと違って綺麗な心の持ち主ですけど?」
「どの口がいいやがる」
正しい心の持ち主。果たしてどのような基準で、正しい心と呼ぶのか。
いくら葵が綺麗な心を持っていると自負していても、その基準が分からなければどうにもできない。いや、綺麗かどうかは、正しいか否かに関係ないのか。
なるほど、綺麗な心の持ち主である私が抜けないわけだ。
と、心の中で自分にフォローを入れておく。
「さて、そろそろ二階の方に行ってみようか。次は実際に、異能持ちの人たちの研究を見せる。とは言っても、別に非人道的な実験とか、そんなんじゃないから安心してくれ。ネザーはアットホームな職場だからな」
それ、確実に真っ黒な企業の謳い文句じゃん。我が兄ながら心にもないことを言わせたら天下一だな。
◆
その後も特になにも起きず、葵たちは緋桜の説明を受けながらも地下三階までを見て回った。
なんだかんだで、ネザーの研究は面白いものが多かった。特に魔術師である生徒の興味を引いたのは、先ほどの地下三階で聞いた、異能と魔術の相互作用についてだろう。
「根本が同じだからって思ってたけど、言われてみればたしかに魔術から異能の干渉ってあんまり聞かないね」
「朱音の概念強化ならできるんだっけ」
「うん。あの魔術、概念に作用するから。例えば私っていう存在の概念を強化したり、そんな回りくどいことしなくても、直接異能の概念を強化したり。殆ど反則みたいな魔術だよ」
「つーか、そもそもが異能に魔術を加える必要もねぇだろ。オレとかチビみたいな異能なら特にな」
葵たちの他にも、地下四階へ向かうエレベーターの中では、クラスメイトたちが思い思いにそれぞれの考察を口にしている。さすがは魔術学院の生徒といったところか。
地下四階に到着してエレベーターを出ると、そこは他の階と少し作りが違っていた。
廊下は横長に広がり、壁には窓がついてある。その向こうに見えるのは、とても巨大な空間だ。地面はまださらに下の方にあり、東京ドーム一つ分とはまさしくこのことかと思わされる面積。
「この階は、異能による戦闘実験のデータを取る場所だ。その異能によっては結構大規模な被害があったりするから、そこの実験場はかなり広く作られてる。この壁も、中々の強度になってるぞ。まあ、中には強度とか関係なく問答無用で真っ二つに斬るやつとかいるけど」
誰のことを言っているのかが分かってしまい、葵は苦笑が漏れた。たしかにあの人の異能なら、硬さなんか関係ないけど。
窓から見下ろした先の空間には、その中央あたりに人影が見えるくらいだ。ここからでは二人いることしか分からず、顔もよく見えない。実験中、ということもなさそうだが。
葵たちと同じく下を見下ろした緋桜の表情が、僅かに強張った。
『準備しとけ』
短い念話。緋桜からのものだ。それだけで切れたが、意味は通じた。
葵だけでなく、カゲロウと蓮、龍にも聞こえていたのだろう。四人で顔を見合わせ、頷きを一つ。
懐にしまってある注射器を、制服越しに触れる。できれば、使うような状況にはなりたくないけど。
だが、そんな葵の思いも虚しく。足元に、この場の全員まで届くほどの魔法陣が広がった。
「龍さん!」
「任せろ」
緋桜からの呼びかけに応答し、龍が取り出した西洋剣を地面に突き立てる。ただそれだけで魔法陣は瓦解、魔力が剣に吸収されていく。
葵も見たことのある魔術。敵の魔力を吸収する、魔導収束だ。
まさかここまで堂々と仕掛けてくるとは。たしかに不意は突かれたものの、都合がいいのは事実。これなら後々に、学院がネザーに対して優位に動ける。
「葵、乗り込むぞ!」
「うん! みんなはここから動かないで!」
返事を待つこともなく、葵は異能を使って緋桜、蓮、カゲロウ、龍と共に下の空間へと転移した。
果たしてその先にいたのは、メガネをかけた細身の中年男性と、灰色の短髪を持つ少女。
男性の方を見て、カゲロウが硬い声を出す。
「あの男、吸血鬼だぞ」
警戒が一層深まった。
サーニャがかつて所属していたくらいだ。今でももしかしたらいるかもしれない、と少しは考えたけど。まさか、ここで出くわすとは。
「おやおやぁ? 転移を崩されたと思いきや、まさかそちらから乗り込んでくるとは。なにが狙いですかなぁ?」
「……たしか、ここの支部長でしたか? 来客者への魔術行使。転移で実験室への無断連行。本部に報告させてもらいますが、よろしいですね?」
「それはあなたも同じでしょう、黒霧緋桜くん? しかし報告されるのは面倒ですねぇ。カゲロウとシラヌイだけ頂いて、後は消してしまいましょうかぁ?」
ニヤリと、下卑た笑みが浮かべられたのと同時に。灰色の少女、出灰翠がハルバードを手に斬り込んできた。今回は最初から全力、背中には三対の灰色の翼があり、マントの中からは機械の尻尾が伸びている。
甲高い金属音が、この広い空間内に響いた。
真っ向から翠を受け止めたのは、黒翼を現出させた葵だ。しかし今は昼。地下とはいえ、照明に照らされているここでは、本来の力を発揮できない。
拮抗していたのは一瞬のみで、パワー負けして宙に弾き飛ばされる。
「くッ……やっぱり強い……!」
使うしか、ないか。
懐から注射器を取り出し、腕の血管に刺す。
途端、葵を中心として魔力が渦巻いた。背後にはクラスメイトたちが覗き込んでいる窓があるけど、関係ない。
犬歯が少し伸び、瞳は紅く染まる。黒い翼は鋭利に変化して、以前朱音の血を吸った時よりも吸血鬼然とした姿になっていた。
喉が、渇く。
今すぐ後ろにいる人間たちの血を吸え。訴えかける本能は、理性でねじ伏せる。
葵に続いて、カゲロウも注射器を腕に刺した。背中に現れるのは三対の白翼。右手には、身の丈ほどもある巨大な剣が。
「あの女の子は、私に任せて。みんなは吸血鬼をお願い」
地上の四人が頷いたのを見て、葵は刀を鎌に変化させる。
蓮とカゲロウは心配だが、緋桜と龍がいるのだ。その二人に任せていれば大丈夫だろう。
「出灰翠。あなたには、聞きたいことがあるの」
「あなたの問答に応じる義理などありません。任務を遂行します」
「だったらふん縛ってでも話をしてもらうから!」
黒と灰が、再び激突した。




