それぞれの夏休み 3
八月も中盤に差し掛かり、いよいよ夏休みの終わりが見えてきた。
とは言え、殆ど毎日学院へ足を運んでる葵には、その辺りあまり関係なかったりする。まあ、二学期が始まればまた、あの教室に一日の半分ほどを縛られると考えれば、ずっと夏休みのままの方が嬉しいのだけど。
そんな葵にとって重要なのは、夏休みが終わることではない。夏自体の終わりが見えてきたことだ。
「あと数週間……長い……」
風紀委員会室のソファに座り、テーブルに突っ伏してなんか溶けてるツインテールの少女。長い髪がテーブルの上で乱雑に広がり、隣に座る蓮はそれを一房取って、手元で弄んでいた。
「まあ、九月いっぱいまでは暑いままだと思うけど。吸血鬼的にその辺どうなんだ、カゲロウ?」
「あんま大差ねぇよ。マシになるのは十一月過ぎたあたりからだな。そもそもこの国、最近は四季もクソもねぇだろ」
向かいに座っているカゲロウの言う通り、ここ数年の日本は秋と春が極端に短い。四季? なにそれ美味しいの? とかいうレベルだ。
よって葵の感じてる苦しさは、まだしばらく続くことだろう。
「でも不思議だな。半分吸血鬼のカゲロウはなんのもなくて、二割か三割だけの葵がこうなんだから」
「それもあんま関係ないんじゃねぇの? 完全に吸血鬼のやつでも、太陽を克服してないやつはいるしな。要は年季の差だ」
「喉乾いた……」
「俺の血、飲む?」
「いや、違う。違うから蓮くん。そっちじゃなくて、普通に喉乾いただけだから」
朱音にしてもそうだが、そんな簡単に血を差し出そうとしないで欲しい。またいつ、あの吸血衝動に襲われるか分からないのだから。
なんて言ったところで、蓮はきっと血を差し出すことを厭わないのだろうけど。
葵の髪を手放した蓮が立ち上がり、部屋に備え付けられてる冷蔵庫から麦茶を出した。熱中症対策にと置いていたものだ。
ていうか、敢えてスルーしてたけど蓮くんなんで私の髪触ってたの……いや別に嫌な気はしないしむしろ全然ウェルカムなんだけど……。
「はい、麦茶」
「ありがと」
「サンキュー」
三人分のグラスに注いだ麦茶を、器用にも一度に全部運んでくる。一気に喉へ流し込めば、少しだけ生き返った気分。暑いのが苦しいことに変わりないが。
「よしっ、なんかジッとしててもしんどいままだし、なんか適当な依頼でも探そっか」
動いていたらこの暑さも少しは紛れるだろう。蓮とカゲロウも賛成のようで、二人が麦茶を飲み終わってから三人揃って部屋を出た。
適当に談笑しつつ辿り着いた掲示板。最近は学院長から直接仕事を頼まれることが多かったから、なんだか久しぶりな気がする。
さてどんなのを受けようかと息巻いていたのだが、しかしそこには依頼書が一つも貼られておらず。
「一個もねぇじゃん」
「珍しいな。貼り出すの忘れてるとか?」
「それはないと思うけど……」
日本支部は人手不足だ。故に掲示板から依頼書がなくなるなんてこと、これまでに一度もなかった。特に最近の状況を踏まえれば、むしろ溢れかえっていてもおかしくないのに。
学院としてなにかしら方針の変更があったのだろうか。それならそれで、学院長の蒼か有澄から連絡がありそうなものだが。
「なにやってんだ、お前ら?」
掛けられた声に振り向いてみれば、そこには男にしては長い金髪を一つに結った、鍛治師にして日本支部の教師である剣崎龍が。その隣には、小柄な金髪ポニーテールの女性、ルーク。
「剣崎さん、ルークさん。こんにちは」
「やあやあ三人とも。依頼を探してたのかな?」
「はい。でもひとつもなくて……」
チラリとなにも貼っていない掲示板を一瞥する。釣られて龍とルークの二人もそちらを見て、龍がため息を吐いた。
「あいつ、マジで全部持って行きやがったのか……」
「今日中に終わるか微妙だねぇ」
クスクスと愉快そうに笑っているルーク。話が見えなくて三人が首を傾げていれば、龍が一言で説明してくれた。
「依頼なら、朱音が全部持っていった」
「え」
「朱音が?」
「なに考えてんだあの仮面女」
いや本当になにを考えているんだ。
具体的にどれくらいかは分からないが、ここに貼ってあったの全部となれば相当な数になる。それを一人でとか、正気の沙汰とは思えないのだけど。
無事に帰って来れるだけの実力を、あの少女は有している。
心配するだけ無駄だろう。分かっていても、あの妹分への心配は尽きない。
葵達よりも強くて、一人でなにごとも完結させてしまえるからこそ。致命的ななにかが起きるんじゃないかと思ってしまう。
「この前敵の魔術師を取り逃がしたらしいから、その憂さ晴らしに行ってくるってよ」
「過保護なツンデレ吸血鬼も一緒だから、心配しなくてもいいと思うよ」
「なんだ、サーニャも一緒なのか。なら安心じゃねぇか」
胸をなでおろすカゲロウ。葵と蓮も、ホッと安堵の息を吐く。
しかしどうしたものか。こうなると本来の目的が果たせない。まあ、ジッとしてても暑いから動きたいだけなのだけど。
こうなればまた、ルークに稽古をつけてもらおうかな。なんて考えていると、そのルークから提案があった。
「丁度ボクが受けてる仕事があるんだけど、良かった黒霧ちゃんも一緒にどうだい?」
「……私だけ、ですか?」
「うん、君だけ」
一体どのような意図があるのかは知らないが、ルークほどの実力者に同行できると、得られるものもあるだろう。
だが今は葵だけじゃなく、後ろに男二人もいる。チラとそちらを見れば、特に異論はないようで。
「いいんじゃないか? 俺たちは俺たちで、適当に時間潰してるよ」
「そもそも、依頼行きたいって言ったのはお前だしな」
「ありがと、じゃあちょっと行ってくるよ」
決まりだね、とルーク。龍も頷いたのを見るに、彼も一緒に行くのだろうか。
蓮とカゲロウとはその場で別れ、三人は目的地へと跳んだ。
◆
やって来たのは人里離れた断崖絶壁の崖の下。目の前には洞穴があり、異能により可視化された情報には、魔術師の作った迷宮とある。
「一昨日くらいからこの洞窟に潜った生徒と、連絡が取れなくなっててな。有澄から見てきてくれって言われてるんだ」
「え、それってまずくないですか?」
「そりゃもちろん。潜ったのは三年生。魔術の腕は確かなやつらばかり。修羅場もそれなりに潜ってきてる子たちだ。本来なら、ボク達がこうして来ることもない、はずだった」
それだけ予想外のなにかが、ここには潜んでいる。
龍は具体的にどうかしらないが、ルークはかなりの実力者。世界最強をして、純粋な実力ならルークの方が上と言わしめる。
そんな彼女が出張ってくるのだ。石持ちの魔術師がいるのはまず確定として、果たしていくつ取り込んでいるやら。
「まあ心配することはないさ。ボクと龍が来たんだから、余裕で片付くよ。先に中に入ってる子たちがどうなってるかは保証しないけどね」
「いいから、さっさと行くぞ。それこそ、早くしないと手遅れになる」
二人の言葉に血の気が引き、葵も続いて洞穴へと入って行く。
中には等間隔に灯りがあり、視界は確保されている。足場も悪くない。先日の砂浜より余程マシだ。
なにより、太陽の光が届かないこの暗闇の中だと、葵も十全に力を振るえる。
しばらく洞窟を歩いていると、そこかしこに魔物の死体が見て取れた。恐らく、先に入っている生徒たちが倒したのだろう。
だが魔物の中には、倒しても復活するようなやつだっている。例えば、死霊系の魔物だ。やつらは実体を持たない故に、殺しきるのは容易ではない。暗い場所を好むやつらは、もちろんこの洞窟内にも。
「お、ようやく一匹目だね。退屈してたところだ」
「まあ待てルーク。黒霧、あいつの相手を出来るか?」
現れたのは、骨の体を持つ鎧武者。辺りに散らばっていた骨が一箇所に集まる形で出現した。感じ取れる魔力は相当なものだ。ただそれだけを比べるなら、葵よりも上。
「……行けます」
それでも、強くなるためには。
ここで首を横に振るわけにいかない。二人の前に一歩進み出て、黒い刀を現出させる。三対の黒翼を広げ、鎧武者と相対した。
「殺しきる必要はない。倒せばいい。あいつは、そういう風に作られてる」
「はい」
鎧武者が構え、葵を見据える。骨の体に目はないはずなのに、重い圧を感じる。
自分より強いのは確実。だがなにも、相手の土俵で勝負してやる必要はない。
「雷纒」
雷を纏い、小手調べのつもりで電撃を放った。骨の体に電撃が効くのかは分からないが、電流そのものに効果がなくとも生じる熱程度は通じてくれるだろう。
だが、葵のそんな想いは通じず。
鎧武者が、手に持った大太刀で電撃を真正面から斬り裂いた。
「嘘っ⁉︎」
愛美のような異能ではない。ただ、生前に持っていた剣の腕のみで、魔術を斬り伏せたのだ。人の業とは思えない。
「いわゆる剣豪ってやつだ。覚悟しなよ黒霧ちゃん。理由や理屈のない強さってのは、どんな魔術や異能よりも厄介で理不尽なもんだぜ?」
ルークのそんな声が聞こえて、鎧武者が斬り込んできた。大太刀による上段からの一撃。刀で受け止めるが、あまりにも重い。握る両手に痺れが走り、気を抜いてしまうと刀を落としてしまいそうだ。
雷纒のスピードで即座に離脱しながら、雷撃を放つ。それも大太刀に斬り落とされてしまい、遠距離からの攻撃は効果が見込めない。こうも狭い中だとインドラは使えないし、やはり正面から斬り合うしかないか。
葵がこの鎧武者に勝っているのは、スピードだけだ。一撃の重さも、戦闘経験も、比べるべくもなくあちらが上。ならばそれを最大限に利用するしかない。
異能も併用して、雷纒のスピードを更に強化させる。
光に届く速度で肉薄した先。しかしそこには、既に大太刀が振るわれていて。
「くッ……!」
咄嗟に張った防護壁が、重たい一撃を受け止めた。
相手は殆ど生身と変わらないのに、光速に近い葵の動きについてきた。半ば未来視のようなそれは、しかしただの直感によるもの。
戦慄しつつも、好機であることには変わらない。両手で握られた大太刀は、防護壁で受け止めている。互いに動きを硬直させたこの瞬間、明らかな隙が生まれていた。
魔力をフル稼働させ、足に力を込める。重たい大太刀を弾き返し、一歩踏み込んだ。速度を取り戻せたなら、この鎧武者に為すすべはない。
目にも留まらぬ速さで振るう横薙ぎの一撃。
貰った……!
確信した手応えは、けれどなぜか感じられず。大太刀から離した右手の籠手が、葵の刀を受け止めていた。
マズい。そう思った頃には一瞬遅く、反射的に後ろに下がろうとするも、片手で振るわれた袈裟の一撃が、葵の体を薄く斬った。
「ッ……!」
痛みに顔を歪め、牽制の雷撃を放ちながらも後ろに下がる。だが鎧武者は、それを斬り落としながら追撃に迫る。
「氷纒!」
纏いを切り替え、何重もの氷の壁を眼前に作り出した。その悉くを砕いて突き進む鎧武者。だが、時間稼ぎには十分だ。演算は終了した。
纏いを解除して、三対の黒翼から魔力弾を放つ。これまでと同じように、それを斬り落とそうとする鎧武者。しかし、魔力弾に触れた瞬間、大太刀は逆に粒子となって消滅した。
相手が驚愕の気配を見せるが、葵がそれに構う道理はない。続け様に放つ魔力弾が鎧武者の体を穿ち、その存在を構成している情報を消滅させていく。
やがて大太刀と同じように粒子となった鎧武者を見届け、葵は大きな息を吐き出した。
「終わった……」
「お疲れ様、黒霧ちゃん。まさか勝てちゃうとはねぇ」
「適当なところで助けに入ろうと思ってたんだけどな。予想以上にやるじゃねぇか」
「ありがとうございます……」
龍が真紅の炎を展開し、葵の体を包み込む。大太刀で斬られた傷は瞬く間に塞がり、痛みも消えた。転生者の炎が持つ再生能力は本人にしか効果がないと聞いていたが、これは龍の炎が持つ力だろうか。
それでもバッサリ斬られた制服と下着まで元に戻ったわけではないので、そちらは自分の異能で直した。
「悪いが、休んでる暇はないぞ。さっさと奥に進まないとダメだからな」
「はい、分かってます」
「ま、次に何か出てきたら、ボクが相手するから。黒霧ちゃんは後ろで大人しく見てるだけでいいよ」
なんとも頼もしい言葉を受け、葵は疲労の残る体を引きずりながら、洞窟の先へと進んだ。
◆
「ありがとうございます……本当に助かりました……!」
「いいから、先に学院戻ってろ。後は俺たちで片付けとく」
救出対象の生徒たちは、しばらく進んだ先で発見した。四人でこの洞窟に潜り込んでいたようだが、うち二人が罠に掛かってしまい、魔力欠乏を起こしていたのだ。他二人の魔力供給でどうにか繋いでいたが、先に進むことも後ろに戻ることも出来ない状況だったと言う。龍の炎によって魔力欠乏までも回復した生徒たちを学院に転移で戻した後、一先ずの目的も達成したことで、三人はその場で小休止を挟むことにした。
龍とルークの二人だけなら、ここで休憩なんて挟まなかっただろう。葵のことを気遣ってくれているのだ。明らかに足を引っ張っていることを自覚しているから、どうにも気分は沈んだまま。この二人と自分を比較しても仕方ないことは、分かっているつもりだけど。
「黒霧、こいつ食っとけ。まだ先は長いだろうからな」
龍から手渡されたのは、携帯食料。ルークにも渡してるあたり、いくら転生者と言えど空腹には勝てないのだろうか。
礼を言って受け取り、口の中に放り込む。喉が乾くタイプのやつだが、まあその辺は異能で誤魔化しておこう。
「そう言えば有澄から聞いたけど。黒霧ちゃん、半分くらい吸血鬼なんだって?」
もきゅもきゅと小さな口で携帯食料を頬張っていると、出し抜けにルークからそう尋ねられた。
まあ、この二人には有澄から話がいっていてもおかしくはないか。それはそれとして突然すぎるけど。
「お前な……もうちょい聞き方ってもんがあるだろ……」
「あはは……気にしてないのでいいですよ。半分じゃなくて、三割くらいらしいですけど」
呆れたように言う龍だが、実際に葵としては気にしていない。自分の中で完全に消化しきったわけではないけれど、ある程度割り切れてはいるから。
それに、丁度この二人に聞きたいこともあったのだ。転生者として、様々な自分を経験している二人に。
「お二人は、何度も転生してるんですよね?」
「回数だけなら、龍がボクたちの中で一番多いんじゃないかな? 朱音みたいな例外は別として」
「まあ、そうだな。俺はルークや蒼みたいに、どこぞの神をやってたわけじゃねぇし。なんだ、なんか悩みでもあんのか?」
悩みというほどのものではない。それ以下のものだ。答えなんてどこにもないただの自問自答。
だから、二人に打ち明けようにも、うまく言語化できるものではない。
それでも、敢えて言葉にするのなら。
「なんか、自分っていうのが、よく分からなくて……」
他人に打ち明けたところで、どうしようもない類のものだ。
自分自身ですら、その答えが出ない。
それでも、転生者であるこの二人なら。もしかしたら、答えに近いものを得られると思ったから。
「自分は人間だと思ってたのに、吸血鬼の血が入ってるとか言われて。黒霧葵が私の名前なのに、シラヌイなんて呼ばれて。どれが本当の私なのか、私自身でもハッキリしないって言うか……」
辿々しく紡いだ言葉を、二人は決してバカにしたりせず聞いてくれている。聞く人が聞けば、一笑に付すようなものなのに。
やがて口を開いたのは、普段の明るさを潜めたルークだった。
「ボクたち転生者が、どうして転生者たり得るのか、黒霧ちゃんは知ってる?」
「いえ……」
「一番最初の自分の時に、悔やんでも悔やみきれないなにかがあるからさ」
一番最初。つまり、転生者となる以前の彼女たちだ。その時に、どうしようもない後悔を抱いて、だから転生してまで、その後悔を晴らそうとする。
「ボクも、龍も、蒼も。ボクたちはみんな、後悔を抱えて生きている。それがボクたちの生きる意味になって、炎として形に現れる」
「炎として、ですか……?」
「そう。朱音が分かりやすいんじゃないかな?」
未来から来たあの少女は、両親を灰色の吸血鬼に殺された。両親だけじゃない。親しい人間も、自分自身も。だから転生者になったのだと言う。
死の間際に抱いたのは、グレイに対する圧倒的な憎悪。
もしも、もっと力があれば。自分も両親と一緒に戦えていたなら。
なにより願ったのは、両親の幸せ。
だから、時を巻き戻せる炎を手に入れた。何度繰り返しても、いつか必ず憎き吸血鬼を殺すために。両親に、幸せな未来を送ってもらうために。
朱音が織と愛美に転生して尚、それでも葵のように自分を見失わなかったのは、グレイを殺すという絶対の目的があるからだ。
それは朱音に限らず、転生者ならば等しく同じだと、ルークは言う。
「何か一つ、絶対的な目的がボクたちにはある。だからボクたちは、自分を見失わない。いや、違うな。自分が誰であろうが、どうでもいいんだ。その目的を果たすためならね」
その考えは、葵の中になかった。
自分が何者であろうがどうでもいいなんて、そんな風に割り切れる気がしない。あるいは、転生者というのはそこまでのナニカを抱えているのかもしれないけれど。
「黒霧ちゃんはどう? ボクの今の話に照らし合わせてみて、君の中にはなにか、絶対的なものってあるかな?」
「私の中に……」
思考を巡らせる。葵の中にある、絶対的なもの。ルークたちのような後悔から来る目的じゃなくてもいい。私にしかない、なんて贅沢も言わない。ただ、これだけは譲れない、忘れられない、ただ一つのもの。
ある。と、言えるのだろうか。
あの子達から託された後悔と未練は、それに該当するのだろうか。それは本来あの二人のもので、今の葵自身のものじゃないけど。
あるいは。大切な友人の存在が、そうであるのかもしれないけれど。
「焦ることはない。お前はまだ子供なんだ。生きていればいつかそのうち、欲しい答えが見つかるさ」
優しい声でそう言った龍は、でもな、と言葉を継いで。低い声音で、葵に忠告する。
「それが見つからないと、俺たちみたいになっちまう。転生者なんかにはなるもんじゃねぇぞ。どう控えめに言ったとしても、待ってるのは地獄だけだ」
◆
休憩もそこそこに、三人は再び洞窟内を歩き始めた。道中それなりに魔物が出てきたが、ルークが鼻歌交じりに片付けてくれたお陰で、葵の出番は全くなし。
やがて辿り着いた洞窟の最奥には、いかにもな扉が待ち構えていた。
一切の躊躇なくルークが扉を開けば、中には広々とした空間が広がっていた。その中心に立っているのは、葵とそう歳の変わらないように見える男の魔術師。
そいつから感じられる魔力に、鳥肌が立って足が竦みそうになる。
しかし魔術師の目は虚で、正気を保っているようには見えない。
「十や二十はくだらねぇな。どんだけ賢者の石を取り込んでんだか」
「それで正気を失ったんじゃ世話ないね。全く、生徒に向かわせるような相手じゃないだろうに」
「帰ったら蒼に文句言っとくか。黒霧は下がってろ」
頷いて、一歩後ろに下がる。
先程休憩中に、転生者の話を聞いたからだろうか。目の前にある二つの背中は、とても大きく見える。
「速攻で終わらせるぞ」
「言われなくても」
互いに両刃の西洋剣を手に握り、左右から距離を詰める。うめき声のようなものを発する魔術師は、正気を失っていても敵は分かるのか、迫る二人に向けて魔力弾を放つ。
魔術以下の単なる魔力行使。しかしそれは、取り込んだ何十もの賢者の石によって、絶大な威力を誇っている。
そこにあるだけで空気を震わせるほどだ。果たしてまともな魔術を使われたらどうなることか。
しかし二人は表情を変えることもなく。龍は冷静に、ルークは好戦的な笑みのまま、魔力弾を剣で弾き落とす。
肉薄して容赦なく剣を振るう二人。魔術師の両腕が斬り落とされるが、痛みを感じていないのか、それに構うことすらなく、魔法陣が展開された。
魔術師を中心に広がる黒い波動。葵が咄嗟に防護壁に異能を重ねて身を守ろうとしたが、敵の魔術は葵に届くことすらなかった。
龍の持つ剣が光を帯び、黒い波動を斬り裂いたから。
それは単なる西洋剣にあらず。
正しい心を持つものが手にし、あらゆる邪悪を打ち払う聖なる剣。
神々しさすら感じさせる魔力を纏い、暗い洞窟内で輝くのは、彼が転生者として得た力の一つ。
彼の王が石から引き抜いた、ブリテンの統治者としての象徴。
その名を、エクスカリバーと呼ぶ。
「終わりだ」
輝きを放つ刀身が、魔術師の体を横一文字に両断した。賢者の石を何十も取り込んでいれば、再生が可能なはずだが。邪を打ち払う聖剣はそれを許さない。
文字通り瞬殺。葵が出る幕なんて一欠片もなく、どころか龍一人でも事足りただろう。
空を切って血を払い、剣をどこかへと消した二人が葵の元へ戻ってくる。
「強いでしょ、ボクの龍は」
「誰がいつお前のになったんだよ。聖剣と相性が良かっただけだ。誰にでも今みたいに勝てるわけじゃねぇよ」
エクスカリバーは選定の剣だ。王を選定するだけじゃない。正邪を選び定め、剣自身がその力を発揮するか否かを決める。
と、葵の視た情報にはそうあった。だから例えば、仮に裏の魔術師が相手だったとしても、その力を発揮できない時だってあるのだろう。
「実物の聖剣って、初めて見ました……」
「見たいなら幾らでも見せてあげられるよ。ボクもいくつか持ってるしね」
「やめろバカ。そう軽々しく取り出していいもんじゃないだろ」
「龍は重く捉えすぎなんだよ。それがどれだけ価値のあるものでも、今のボクたちには関係ないじゃないか」
何気なく放ったルークの言葉は、けれど今の彼女とかつての彼女を、決定的に別つ言葉だ。先ほどの休憩で言っていた通り。自分が何者かなんて、どうでもいいのだろう。
だからこそ、聖剣なんて大層な持ち物があっても、今のルークはそこに価値を見出していない。
なるほど、それは葵には出来ない考えだ。かつての自分。妹であるあの子達のことをどうでもいいだなんて、そんなこと言えるわけもないのだから。
◆
学院に帰還したら、報告と文句を言いに行くらしい龍とルークとはその場で別れ、葵は風紀委員会室へと戻った。
蓮とカゲロウはまだいるだろうかと扉を開けば、その先にはもう一人、顔なじみの少女がそこにいて。
「だから! 何遍言ったら分かるんだ! お前が強いとかサーニャが一緒とか関係なく、無茶な真似すんなって言ってんだよ!」
「そっちこそいい加減分かって欲しいのですが! 私は強いから大丈夫だと先程から何度も言ってます!」
「わかんねぇやつだな! それが関係ないって言ってるんだ! 蓮もチビも心配してんだぞ!」
「そ、それはたしかに申し訳ないですが! だからってあなたに指図される覚えはありませんので!」
依頼を全て終わらせたらしい朱音と、そんな朱音を心配していたカゲロウが言い争いをしていた。蓮はソファに座ってお茶を飲んでいる。いや、止めよ?
「あ、おかえり葵。無事に終わった?」
「うん、ただいま。二人が強すぎて、私は殆ど見てるだけだったかな。ところでなんで蓮くんはそんな落ち着いてるの?」
「一時間も同じことで言い争いしてるから、まともに付き合うのがバカらしくなってきた」
「そっか……」
一時間か……まあ、蓮が匙を投げるのも仕方ないかな……。
「あ、葵さん! 葵さんからも言ってやってくださいよ! 私がどれだけ強いのか!」
「おいチビ! お前からも言ってやれ! こいつがいくら強かろうがまだガキなんだってな!」
賑やかに言い争いをしていた二人も葵に気づいたようで、挨拶もそこそこに矛先を向けられる。
巻き込まないで欲しいのだが、これに関しては葵もカゲロウに同意だ。
ため息を一つ吐き、朱音に向き直る。
「カゲロウの言う通りだよ。朱音ちゃんが強いって言っても、こっちは心配なんだからさ。残ってる依頼全部持って行くとか、そういう無茶なのはやめよ? 愛美さんと織さんも心配すると思うよ?」
「うっ……ここで二人の名前を出すのは反則だと思うのですが……」
両親の名前を出されれば弱ってしまうのが朱音だ。ある種の弱点だとも言える。
それはそれとしてカゲロウはチビって言うな。私はまだ成長期が来てないだけだから。希望は捨ててないから。
「ほれ見たことか。憂さ晴らしだかなんだか知らねえが、んなもんサーニャなりに相手してもえばいいだけだろ」
「サーニャさんだとうっかり殺しちゃうかもしれないじゃないですか。その点、裏のやつらとか魔物なら容赦しなくてもいいですし、安心です」
「そもそも、憂さ晴らしするような失敗したお前が悪いんだろ」
「過去の失敗をほじくり返すとか情けなくないんですか?」
「あぁ?」
またぞろ言い争いを始めてしまった二人を眺めつつ、葵もなんだかバカらしくなって来たので、蓮に倣ってお茶を淹れてソファに座る。
「二人とも元気だねぇ……」
「だな。ちょっと分けて欲しいくらいだ」
などと老人の繰り言めいたことを二人して言いつつ、ぼんやりと考える。
もしかしたら、この賑やかな空間が。蓮がいて、朱音がいて、カゲロウがいて。いつかあの二人も帰ってくるこの部屋こそが。
葵にとっての、絶対的なナニカ足り得るのではないだろうか、と。




