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Recordless future  作者: 宮下龍美
第2章 カゲロウが揺れる
63/182

海に揺らめく光 5

 日差しが眩しくて、開こうとした瞼は反射的に強く閉じられた。

 でも、眩しいだけだ。あの肌を焼くような暑さは感じられない。いや、ここは沖縄で今は真夏で、暑いことには変わりないのだけど。


 未だ意識がはっきりしない葵の顔に、影が差した。日差しを遮ってくれたのは、安堵したように顔を綻ばせる蓮だ。


「起きた?」

「蓮、くん……?」

「うん、おはよう葵」


 どうやら膝を貸してくれていたらしい。体にはパーカーも被せてくれて、葵が目覚めるのを待っていたのだろう。

 今更ながら周囲に目を配れば、ここはまだあの砂浜だ。しかし先の戦闘による被害は、まるで最初からなかったかのように消えている。抉れた砂浜や折れた木々、倒壊した海の家は、その全てが元通りになっていた。


 そんな砂浜のど真ん中で。火を焚いて巨大なイカの足らしきものを焼いている朱音とカゲロウ。


「なんだ、結構いけんじゃねぇか」

「私も久し振りに食べましたが、やっぱり美味しいですね」


 朱音が焼けたゲソを切り分け、串に刺したそれを二人で食べている。

 思わず頬が引き攣った。


「あれってまさか、クラーケンの……?」


 恐る恐る蓮に尋ねるが、返ってきたのは苦しい笑顔のみ。どうやらそのまさからしい。

 たしかに朱音は美味しいとか言っていたけど、だからってよく食べる気になるものだ。いや、未来の世界ではそうでもしないと、食料にありつけなかったのかもしれないが。


「あ、葵さん」


 ふとこちらに目をやった朱音が、葵に気がついた。カゲロウと共にこちらへ歩み寄って来て、手に持っていた串を差し出してくる。


「なんともなさそうで良かったです。これ、どうぞ」

「え、いらない」

「まあまあ、そう言わずに」


 即答してしまったのだが、朱音は構わず無理矢理串を持たせてくる。

 いや、これ、どうしろと……? 魔物の肉とか、出来れば口にしたくないんだけど……。

 そんな思考は肉体にとって関係ないようで。


 ぐるるる、と。お腹が鳴った。誰のかなんて言うまでもない。


「……いただきます」


 熱くなった頬を誤魔化すように、大きなゲソに噛み付く。食感は普通のイカと同じ。噛みごたえがあるものの、固いと言うほどでもない。というか、普通に美味しい。


「なんで美味しいの……」

「なんででしょうね? 考えたことなかったです。あ、でもでも、キメラの肉とかグリフォンの手羽先とかは、もっと美味しいですよ! 今度探しに行きましょうか!」

「ああ、うん……」


 なにその珍味探索ツアー。できれば丁重にお断りしたいのだけれど、朱音の無邪気な笑顔を見ているとそれも憚られる。

 でも実際美味しいし、お腹も空いてるので、葵はパクパクと小さい口でゲソを頬張る。


「いや、そうじゃなくて!」


 ゲソ食ってる場合じゃない。

 あの後どうなったのか、は。まあ、見てわかるけど。

 自分の体に、なにが起こったのか。

 戦ってる最中は気にしないようにしていたけれど、なにもかも意味が分からない。


「魔力の使いすぎでぶっ倒れたんだよ、お前。吸血鬼ってのは本来、持続力に優れてる。それを一度に全部使い切るからだ」

「ぁ……」


 カゲロウの何気ない説明が、葵の胸を深く貫いた。目を逸らしようがない程に、それは明らかな事実だ。


 私は、人間じゃない。

 太陽が苦手なのも、泳ぐのが下手くそなのも。血を吸って、力が増すのも。

 私が吸血鬼だから。


「知ってたの……?」

「少なくとも、オレは知らなかった。そもそもお前、吸血鬼って言ってもオレ以上に半端だからな」

「どういうこと?」

「吸血鬼同士は、相手が同族であればそれを感じ取れる」


 それは葵も、身を以て体験していた。この場に現れた出灰翠。彼女の認識阻害が解けた時に。直感とも似て非なるなにかが、訴えかけていたのだ。目の前の少女は同族だと。


「でも、お前と初めて会った時も、今も、お前のことは人間として認識してる。多分、半分もないんだろ。良くて三割くらいじゃねぇか?」


 その少ない三割が、朱音の血を飲んだことで覚醒した。


 理屈は分かった。けれど、根本的なところはなにも分かっていない。

 葵には、記憶がある。幼い頃から黒霧の家で過ごした記憶が。あの家で生まれ育ったことは、紛れもない事実のはずだ。

 先祖に吸血鬼がいれば、あるいは可能性もあったかもしれないが、魔術師の家である以上、そんな重大なことは子に明かすものだ。


「プロジェクトカゲロウ……」


 ふと口にしたのは、先の戦闘で翠から聞いた言葉。ネザーからやって来たというあの灰色の少女が告げた、目の前の半吸血鬼と同じ名を冠したプロジェクト。


「あの翠って子は、私のことをシラヌイって呼んだ……」

「悪りぃが、んなもんオレも知らねぇぞ」


 それはそうだろう。仮にプロジェクトのことを知っていたなら、カゲロウは葵との初対面時に、なにかしらの反応を示すはずだ。

 その場で隠し通せたとしても、彼の性格上今日ここまでボロを出さないとも考えにくい。


 この場で唯一知ってそうな朱音に視線を向けても、首を横に振るだけ。


「私がいた未来では、ネザーなんて殆ど壊滅寸前でした。形の上では残っていましたが、こちらに介入してくることもなかった」

「でも朱音ちゃん、言ってたよね。私たちの推測が正しければ、って。それって、他に誰のこと?」

「……未来の両親です」


 間違えた。

 苦しそうな表情の朱音を見て、葵は己の失態に気づく。その答えが全く予想できていなかったとはいえ、そこは踏み込むべき場所ではない。イタズラに朱音の古傷を抉るだけだ。


「ごめん、朱音ちゃん……」

「謝ることはありませんが。葵さんがそこを気にしても、仕方ないので」


 それでも朱音は、気丈に振る舞う。その傷自体を、己への戒めにして。


「恐らくですが、未来の碧さんは知ってたんだと思います。私や私の両親にはなにも言いませんでしたが、それでも、時折そういう素振りを見せていました」

「未来では、黒霧たちがまだいたのか?」

「二重人格の呪いが解けてなかったんですよ。私は未来で緋桜さんとも、そこの半吸血鬼とも会ったことはないので」


 まだ魔女が生きていた頃のような、些細な変化とは違う。黒霧葵の周囲を取り巻く状況は、本来の未来から大きく逸れていた。

 その中で最も大きな存在は、やはりカゲロウか。


 ネザーは、最高の研究成果であるあなた達を、必ず取り戻す。


 そう言われた。翠の言葉だけで推測するならば、カゲロウも、シラヌイと呼ばれた葵も、ネザーのプロジェクトに大きく関わっていたのだろう。そして未来では、カゲロウがネザーに捕らえられていた。

 今ある情報からでは、それくらいしか推測できない。


「分からないことをどれだけ考えても仕方ありません。知ってる人に聞きましょう」

「サーニャさんは、このことを知ってたのかな……」

「カゲロウと初対面の時に言わなかったのは、このことなんだろうな」

「恐らくは。葵さんのことを気遣ったためでしょうが。でも、サーニャさんじゃなくても、ちょうどここに一匹、その辺りを知ってるかもしれない悪魔がいるので」


 不意に手をかざした朱音。その先に、銀の炎に包まれた悪魔が現れる。


「こいつは……!」

「ああ、安心してください。これはもう、私のモノですから。危険はありませんので」


 そう言った朱音が銀炎を解けば、あの不愉快な笑い声が砂浜に響いた。


「ギャハハ! ようやく殺してくれる気になったか! 何千年待たせるつもりだよ!」

「まだ一時間も経ってないぞ」

「別の時間流に隔離していました。これの体感では、凡そ五千年ほどは時間が経過しているはずですが」


 そのえげつなさに、葵と蓮は表情が引きつる。平気でそんなところに放り込む朱音も相当だが、それだけの時間が経って尚、なにも変わらない悪魔こそ恐ろしい。

 最初から狂っているからこそ、なのだろうけれど。


「質問に答えなさい。あなたの目的は?」

「カゲロウとシラヌイの捕獲! ネザーよりも早く!」

「プロジェクトカゲロウというものについて教えなさい」

「ギャハハ! 知らねぇよ!」

「なら、葵さんをシラヌイと呼ぶ理由は?」

「グレイ様からそう教えられたからなぁ!」

「グレイの目的について」

「知らねぇ!」

「お前に異能が通じない理由」

「知らねぇ!」

「ネザーとグレイの関係」

「知らねぇ!」


 その後もいくつか質問を続ける朱音だが、返ってくる答えは同じ。この悪魔は、本当になにも知らない。グレイから与えられた命令は、ただカゲロウと葵を捕まえろと、それだけ。どころか、自分たちについてすらろくに理解していない有様だ。


 やがてため息を吐き出した朱音は、落胆を隠そうともせずに悪魔へ言い放った。


「もういい」

「ギャハハハハハハハ!! ようやく殺してくれるのか! せめて楽に殺してくれよな!」

「……誰の前で、誰に手を出そうとしたのか、理解できてないようですね」


 悪魔の言葉が、朱音の逆鱗に触れた。

 直接それを向けられたわけではないのに、背筋がゾッとする。手足の感覚が遠くなって、息が詰まる。

 それは、彼女の母親と同じもの。

 桐生朱音という人間が、殺意そのものへと変貌したかのような。それ程までに強い怒りが、葵を恐怖させていた。


「お前には、死すら生ぬるい」


 低く冷たい声音と共に、悪魔の体が宙に浮かぶ。転移させたハンドガンの銃口をそこへ向ければ、複雑な魔法陣が広がった。


超絶時空破壊魔砲エーテライトブラスター


 魔導収束。その極致にある魔力砲撃が、悪魔の体を呑み込んだ。

 海へと落ちるのは、銀色の炎。あの悪魔はこれから死ぬことも許されず、永遠と魔砲に灼かれる苦痛を受け続ける。


 だがそんなことを知る由もない葵たちにとっては、朱音が問答無用の魔導収束を使ったという事実の方こそ重要で。


「オイ仮面女! お前、勝手に人の魔力奪るな!」

「葵はまだ魔力回復してないんだから、もうちょっと考えて使ってくれ」

「いや、私もたしかに余計しんどくなったけどさ……今の魔術、朱音ちゃんの魔力全部使うんじゃないの……?」

「……てへっ」

「てへ、じゃねぇ!」

「いだっ! 殴ることないじゃないですか!」


 結局、砂浜に残った四人は四人ともがグッタリして、挙句葵と朱音に至っては歩くことすらままならないほどになってしまった。

 でも朱音のてへっ、が可愛かったから許す。



 ◆



「葵ちゃん、良かった、目を覚ましたんですね」

「有澄さん! ご心配おかけしました」

「いえいえ」


 蓮の背中におぶられて戻ってきたホテルの自室では、有澄が服を着替えて待っていた。

 どうやら有澄があの場にいなかったのは、色々と後処理に奔走していたかららしい。まずは目撃者全員の記憶改竄。余波でめちゃくちゃになった周囲の土地を元に戻し、葵のインドラで停電になったホテルの修理。

 それから学院への報告も済ませて今に至る。


 なんか、殆ど自分のせいで申し訳なくなる葵だった。


「葵、本当に体調大丈夫か?」

「ありがと、蓮くん。少し休んだら回復するから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 ベッドの上に葵を下ろし、自分もしゃがんで視線を合わせる蓮。その気遣いがありがたくて、それ以上に嬉しくて、なんだかふわふわと地に足がつかない気分になる。


「ほい、到着っと。これに懲りたら、変な真似すんなよ!」

「みぎゃっ! ちょっと! 乙女を投げ捨てるなんてどういうつもりですか! そういうとこ、本当サーニャさんとそっくりですが!」


 一方で、まるで米俵でも担ぐように運ばれた朱音は、ベッドに放り投げられてそれこそ乙女が出してはいけない悲鳴を上げていた。

 まあ、たしかにサーニャもよく朱音を放り投げてるけど。


「ここからも見えてましたけど、カゲロウ君の言う通りですよ。エーテライトブラスターはそんなにほいほい撃っていいものじゃありません」

「うっ……すみません……」


 有澄からもお叱りを受け、さすがの朱音もショボンとしてしまう。ベッドに投げ捨てられて寝転がったままなので、反省の色はイマイチ見て取れないが。


「そこのチビも、ちゃんと休んどけどよ。普通に考えて、お前が一番消耗してんだからな」

「チビって言うな。でもありがと」

「じゃあ部屋に戻るから。また後でな」

「うんっ」


 一応カゲロウにも礼を言って、二人は自分たちの部屋に戻っていった。

 羽織ったままのパーカーをギュッと寄せて、ベッドに倒れこむ。疲れた。


 魔力が空っぽで、体が悲鳴を上げている。それだけなら、どれほど楽だったか。

 思いもしなかった事実は、葵の精神を着実に蝕んでいた。

 疑うとか信じるとか、それ以前の問題。自分が純粋な人間じゃないなんて。そんなの、考えたことある方がおかしい。

 人間とも吸血鬼とも言えず、カゲロウのような半吸血鬼とも言えない。黒霧葵という名はどこか宙ぶらりんになっていて。


 ならば一体、私は誰なんだろう。


「葵さん、葵さん」

「……あ、なに?」


 変なことを考えていたせいか、反応が少し遅れる。視線をやった先、そこにいた朱音の、酷く透明な瞳が、葵を射抜く。昨日も、似たような目を向けられた。こちらの全てを見透かすような、透明な瞳。

 けれどそれも一瞬のことで、桜色の唇は愉快げに口角を上げていき。


「師匠のパーカー、いつまで着てるんです?」

「え、ちがっ……⁉︎」


 ぶわっ、と瞬間湯沸かし器のように、葵の顔は熱を帯びた。


「これはっ、そう、後で! 後で返そうと思ってて! 今は疲れてるからっ、脱ぐ気力もないだけだからっ!」

「へー」


 まるで話を聞いていなさそうなニヤニヤ顔。可愛くなければぶん殴るとこだった。


 ていうか、半ば忘れていた。このパーカー、葵が起きた時からというか、もっと前からずっと着させて貰ってるけど。蓮のやつだ。

 意識し始めたらなんだかイケナイことをしているみたいに思えて、すぐにパーカーを脱いだ。朱音は尚もニヤニヤといやらしい笑み。

 ホントにムカつくなぁ……!


「二人とも、もう少し回復したら温泉に行きませんか? ホテルの屋上に、見晴らしのいい露天風呂があるんですよ」

「お風呂! 行きます!」


 有澄の提案に朱音が飛びつき、葵も特に断る理由はなかったので、水着から部屋着に着替え、二十分ほど休憩した後に温泉へ向かうことに。


 たしかな足取りで歩き、エレベーターを使って屋上へ。魔力もある程度回復してきた。以前愛美が陥ったような、魔障による魔力欠乏とは違うのだ。他人からの魔力供給がなくとも、自然回復で事足りる。


 脱衣所で衣服を脱いで、同性とは言え恥ずかしいのでタオルを巻いてからいざ浴場へ。


「おぉ……!」


 タオルなんて巻かずに素っ裸の朱音が、感嘆の声を上げた。

 見下ろせるのは沖縄の海。太陽の光を反射して煌めき、水平線の彼方へと綺麗な青が広がっている。

 もう少し時間が経てば水平線に沈んでいく夕焼けが。更に遅くなると、綺麗な夜空が拝めたことだろう。


 つい数時間前まではそこで戦っていたのに。そんなことすら忘れるほど、葵は圧倒されていた。


「どうですか? 実はこのホテル、昔蒼さんと来たことがあるんですよ。この露天風呂、気に入っちゃって」


 懐かしむような声が聞こえて振り向けば、あんぐりと口を開ける羽目になった。


 水着の状態でも分かっていたことだし、なるべく意識しないようにはしてたけど。有澄もタオルを巻いているとは言え、こうして裸になれば如実に分かる。

 なんというか、大きい。絶望的なまでに。


「どうしました?」

「い、いえ……」


 小首を傾げる様はちょっと幼く見えるのに、どうして胸部にそんな凶暴なものを持っているのか。

 隣を見ると、朱音が自分の胸をペタペタ触って、めちゃくちゃ重いため息を吐いていた。


 うん、まあ、遺伝的なものを考えちゃうとね……どうしてもね……。


 三人しかいない筈なのに覚えのある殺気を感じて、葵は思考に蓋をした。下手したら殺されかねない。怖い。


 さっとシャワーで体を流した三人は、早速浴槽に浸かる。まだ日も登ってるこの時間では、他に利用客もいない。広い浴槽を貸し切り状態だ。


「はふぅ〜」

「生き返るぅ……」


 特に魔力を使い尽くした葵と朱音は、温泉のぬくもりで完全に溶けていた。

 部屋はスイートだし、温泉は見晴らしが良くて気持ちいいし、このホテル自体は素晴らしいものだ。有澄に礼を言おうと視線を向ければ、またしても絶句した。


 浮いてる。二つのお山が、水面に。


 自分の胸元を見下ろしても、そこに山はなく、よく言って丘程度。朱音に至っては断崖絶壁。涙がちょちょぎれる。


 やっぱり、大きい方がいいのかなぁ……。


「師匠はそんなこと気にしないと思いますよ?」

「……読心能力でも持ってたっけ」

「いえいえ。ただの勘ですが」


 ジトッとした目を向けるが、朱音はニマニマ笑うのみ。ていうか、仮に心を読まれてたとしても、蓮のことなんて考えてなかった。


「それで、葵さんは結局、師匠のことどう思ってるんです?」

「直球だね……そういうの、普通は遠回しに聞くものだと思うけど」

「それってなにか意味ありますか?」


 嫌味でもなんでもなく、純粋に疑問なのだろう。朱音の人間関係は、身内だけで完結していた。それも、自分より年上ばかり。同年代の友人なんて誰もおらず、それ故にこういう話題では言葉の駆け引きをしない。


 朱音はこれまでも、折に触れて葵と蓮について邪推してきた。葵自身それは理解しているから、自分で思ったよりも重いため息が漏れてしまった。


「どう思ってるんだろうね……自分でも分かんないや……」

「自分の気持ちじゃないですか。他の誰でもない、葵さんが一番分かってると思いますが」


 自分。

 果たして私のそれは、どこにあるのだろう。

 人間なのか、吸血鬼なのか。

 黒霧葵なのか、シラヌイなのか。

 あの二人が消えてまで生きている私は。


 朱音はそんな意図があって聞いたわけではない。これは、私の考えすぎだ。

 分かっていても、自問自答を繰り返す。

 だからこそ、蓮のことを考える余裕なんてない。それだって、大事な妹の一人から託された、後悔と未練の一つなのに。


「蓮くんは、友達だよ。私を私として肯定してくれる、あの子達を否定してくれない、大切な友達」


 そして、最後の防波堤。

 蓮がいなければ、葵は完全に自分を見失う。正気を保っていられた自信がない。


 道標になると、言ってくれた。

 自分が何者なのか分からなくなっても。例え何者であっても、蓮が友達なのは変わらないから。糸井蓮の友達として、ここにいればいいと。


 その言葉が、胸に深く突き刺さっている。心の奥底に浸透して、私を私として保ってくれる。


「今はそれでいいですが。伝えたい想いがあったら、伝えられるうちですよ。本来時間は不可逆ですから」


 重い言葉だ。朱音の小さな体からは、想像できないほどに。


「朱音ちゃんの気持ちも分かりますけど、あまり急かすものじゃありませんよ」


 柔らかな声音は有澄のもの。異世界からやって来た魔術師は、年上らしい包容力に溢れた笑みで、葵の頭を優しく撫でる。


「たしかにわたしたちが生きる世界は、常に死と隣り合わせ。誰がいつ死んでもおかしくない。いつだって、終わりは突然やって来るもの。でも、あなたたちはまだ子供です。時間は不可逆でも、これから先に未来がある。その未来を守るのが、わたしたち大人の役目ですからね」


 未来は、ある。回避できない滅びの結末を知っていて尚、有澄は断言する。

 あるいは、ある種の戒めでもあるのかもしれない。違う時間軸、分岐した未来の先であっても、朱音の生まれた未来を守れなかった自分がいたから。

 そう言った並行世界が、無数に存在しているから。


 それは、今ここにいる有澄が背負わなくていいものだ。言ってしまえば、関係のない話。同じ結末を迎えるのかもしれなくても、違う時間軸での話なのだから。


 この話は終わりだとでも言うように、有澄が両手を打った。


「それより! わたし、ずっと気になってたんですよね。葵ちゃんってツインテール以外も似合うんじゃないかなーって!」

「あ、私も思ってました! いつもツインテールだから、たまには他の髪型も試してみましょうよ!」

「え、それなら朱音ちゃんの方が髪長いし、弄り甲斐もあると思いますけど」

「私はダメです。母さんと同じ髪型は譲れません」

「だそうなので、部屋に戻ったら色々試してみましょうか」

「えぇ……」


 我ながらツインテールには自信があるから、他の髪型とか試したこともなかったんだけど。そもそも、ツインテール以外の自分というのも中々想像出来ない。


 でも、他の髪型を試してみれば、蓮はなんと言うだろう。


 思考の中に優しい笑顔が浮かんで来て、葵は逆上せそうになった。



 ◆



 露天風呂から部屋に戻れば宣言通り髪を弄られて、ホテルのレストランではバイキング形式の豪華な夕食を、朱音がとんでもない量を平らげたりしたのを若干引き気味に見守った後。

 夜も更け、空に月や星が登った時間。携帯のメッセージアプリに、蓮から連絡が来た。


 またなにかと揶揄われても癪なので、異能で気配を完全に消しつつ部屋から出た葵は、ホテルの一階へ向かう。

 エレベーターから現れた葵を見つけて、先についていた蓮が手を挙げた。


「ごめん、お待たせ」

「いや、俺も今降りて来たとこだし。朱音を撒くの、苦労しただろ?」

「異能使っちゃえばバレないよ」


 悪戯が成功した子供のように笑い、借りていたパーカーを返す。それを腰に巻いた蓮と連れ添ってホテルを出た。

 行く宛なんか特に決めなくて、ただちょっと外に出ないかと誘われただけ。パーカーを返す口実にもなるし、葵としても丁度良かったのだけど。

 風呂場での会話が頭によぎって、ちょっと落ち着かない気分になる。


 二人の足は自然と海の方に向いていて、ただ砂浜には入らず、コンクリートの上からビーチを眺める。


「なんか、新鮮だな」

「なにが?」

「髪型。いつもツインテールだからさ。下ろしたとこみるの、初めてだ」


 それも、風呂場で朱音たちと話してたことだ。色んな髪型を試したいと言われて、ポニーテールやらハーフアップやら三つ編みやらと部屋で試されて。

 結局今の葵は、なにも触らず髪を下ろしてるだけ。朱音や愛美ほどではないけれど、葵もそれなりに髪が長い。


「変かな?」

「いや、変じゃないよ。多分葵なら、どんな髪型でも可愛くなるんじゃないか?」

「ふふっ、ありがと」


 その言葉が嬉しくて、自然と素直な気持ちが

 口に出た。それなら本当に、色んな髪型をしてみるのもアリかもしれない。


 視線の先に広がる海は、昼とは違って黒く染まっている。それでもキラキラしているのは、空にある月の灯りや星の輝きのおかげ。

 見上げた先にある中途半端な形の月は、今の葵にとって切っても切れない関係がある。


「元気出たみたいで良かったよ」

「言われた通り、ちゃんと休んだからね」

「そうじゃなくてさ」


 蓮の言いたいことは分かる。ここに連れ出してくれたのだって、色々と気を遣ってくれてるからだろう。


「……今でも、気にしてないわけないんだけどね」

「うん」

「あの二人でもない、人間でもない、吸血鬼でもない。もしかしたら、黒霧葵ですらないかもしれない。なら私は、一体誰なんだろうって、ずっと考えちゃう」


 あの二人がこんな事を知ったら、どうするんだろう、とも。

 考えてしまう。やめようと思っても、思考は止まらない。最初からゴールがないと分かっている迷路に、自ら飛び込んで行くようなものだ。


 兄にすら打ち明けていない悩みを言えるのは、この夜空が持つ不思議な魔力のせいか。それとも、相手が蓮だからか。

 半ば答えの分かっている自問に、葵は内心で苦笑する。


「ねえ、蓮くん」

「なんだ?」

「私は、何者なんだろう?」

「黒霧葵だよ。強くて、優しくて、可愛い、俺の自慢の友達だ」

「そっか……」


 口の中で、何度もそっか、と呟く。決して意味のある音ではない。ただの確認。そのためだけの相槌。


 糸井蓮の友達として。黒霧葵はここにいる。


 もし仮に、この気持ちが。たった二文字で表せられる気持ちだとしても。

 彼には決して、届かない。その心に、あの子がいるから。


「私は、黒霧葵。蓮くんの友達」

「自慢の、だよ」

「それを自称するのは、さすがに恥ずかしいかな」


 だから私は。

 友達というその関係を、楔にするのだ。

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